編集魂!

高村 樹

編集魂!

漫画家岸山ロダン先生は、多摩川を挟んで神奈川寄りのとある町に素敵なご自宅を所有している。

田園都市線の最寄り駅を降りて徒歩で一五分。

駅前商店街を抜け、しばらく歩くと岸山先生のご自宅が見えてくる。

家の庭先には柴犬がいて、僕の訪問に気が付くと親の仇のように吠えて威嚇する。

正直、僕はこの犬が苦手だ。

犬は僕が屋敷に到着する前から吠え続けていて、扉の前に立つとなお一層強く吠え始めた。


犬の吠え声を無視し、インターホンを鳴らす。

先ほどまで人の気配とテレビの音が聞こえていたのに、急に静かになる。

再びインターホンを押すが、出てくる気配がない。


「先生、いるんでしょ。開けてください」


ドアを叩く。


しばらく叩き続けていると、ドアの向こうから靴を履く音が聞こえた。


「久保田くん、そんなにドアを叩いたら近所迷惑じゃないか」


岸山先生の声だ。やはり御在宅だった。


「先生、開けてくださいよ。『私だけのヒーロー』をテーマにした読み切りの原稿取りに伺いました」


うちの出版社で発行している漫画雑誌「少年ジャンピング」では、連載作家による読み切りリレーという企画が行われている。

これは読者から募集したテーマで連載作家が読み切りを書き、掲載するという人気企画だ。

岸山ロダン先生は、海賊の少年が世界各地で略奪の限りを尽くすバイオレンスアドベンチャーの先駆け的な漫画を連載されており、当雑誌でも三本指に入る人気作家だ。

その先生に書いてほしいと応募があったテーマの一位が『私だけのヒーロー』である。


「原稿はもうできているが君に渡すことは出来ない。帰りたまえ」


「そうはいきません。締め切りはとっくに過ぎているんです。他の先生たちにも迷惑をかけますよ」


「知らん。とにかく原稿は渡せない」


岸山先生はどちらかといえば遅筆で有名だ。原稿を落としそうになるとよく仮病を使って長期休載に入る。こんなことが許されているのは先生が売れっ子作家だからだ。


「先生、僕はこう見えても中学から大学までずっと柔道部だったんです。先生が開けないなら、この扉壊してでも原稿いただきますよ。編集に命を懸けてる人間を舐めないでください」


「本当に警察を呼ぶぞ。脅しじゃない私は本気だ」


岸山先生の尋常ではない気迫に一瞬後ずさってしまった。


仕方ない、出直すかと振り返った時、久保田は奇妙なことに気が付いた。

岸山先生が飼っている柴犬が僕の方ではなく家の中の方に向かって吠えていたのだ。


柴犬と一瞬目が合うが、また建物の方を向いて吠え始めてしまう。


「まさか」


久保田は嫌な予感がして、勝手に庭に回り込み、縁側から窓を開けた。

夏ということもあり、窓には鍵がかかっていなかった。


木土間のお洒落な室内に土足はためらわれたが、この際、四の五の言っている場合ではない。


「入って来るんじゃあないといっただろう」


キッチンが見える部屋に続く引き戸の開口部分から人影が現れた。


岸山ロダン先生だ。そしてもう一人見知らぬ男がいた。


男はサングラスに全身黒ずくめで、岸山先生に刃物を突き付けている。

果物ナイフより一回り大きいナイフだった。

この男は空き巣か強盗の類だろう。

先生は僕を巻き込まないためにドアを開けなかったのだ。


「先生を離せ」


「うるせえ、大人しくしろ。さもないとコイツを刺すぞ」


男の声は震えていた。

そして、柴犬の吠え声にいら立っている様子だ。


「床にうつぶせになって、両手を床につけ、妙な真似をするなよ」


久保田は言うことを聞くように見せかけ、いきなり前回り受け身をした。


「お前、何をしてるんだ」


男は戸惑いの声を上げる。


素早く立上り、距離を詰めると、強盗のナイフを持つ手を押えた。

意表を突かれた強盗はなす術もなく床に投げつけられ、したたかに後頭部を打ち付け、動かなくなった。

久保田は間髪いれず、素早く袈裟固めをきめる。


「先生、早く警察を」




警察が到着し、男を引き渡すと、岸山ロダン先生にようやく原稿の催促ができた。


「すまない、実はまだ書けてないんだ」


岸山先生は申し訳なさそうに下を向いた。


「先生、今日は災難でしたし、これで帰りますが、本気で頑張ってくださいね。読者たちは先生の作品を待っているんですよ」


久保田はため息をつきながら、土足で汚してしまった床をハンカチで拭く。


「ああ、任せてくれ。アイデアが浮かんだんだ。私は君を書くことにしたよ。命の恩人の君こそ、『私だけのヒーロー』だ」


岸山ロダン先生はにやりと笑った。


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