第8話

「彼は杉村 樹君。一条会長の親衛隊の1人だよ。」


 西野は味噌汁を啜りながら言う。


「そうか。だからあんなに突っかかってきたんだな。」


 ちなみに今は、杉村とのやり取りがあった次の日の朝食だ。昨日は放課後に速水と障害物競走について聞いてからそのまま疲れて寝てしまったので、西野と話す時間が取れなかったのだ。




 杉村とのやり取りの後、西野と斉藤から心配された。だが、もとはと言えば速水が元凶だ。そのため速水に問い詰めたところ、


「え、だって勝ちたいじゃん?」


 拳を握りしめて堪えた俺はかなり成長したと思う。だが、こちとら退学がかかってるんだよ!!


「それにマリモだって体育祭には全力で取り組むって宣言してただろ。」

「………う、確かにそうだけど。」

「ならいいじゃないか。それに今回の勝負で杉村に勝てば、皆と仲良くなるきっかけにもなるだろ?」


 そう言って速水は俺を安心させるように笑いかけた。


「速水……!」


 お前、そこまで俺のことを考えてくれていたのか……!


「でも、やっぱり俺なんかじゃ……」


 先ほどの杉村の発言が蘇る。上手く勝てればいいが、失敗すれば退学だ。そうしたら、また父さんや母さんに迷惑がかかる。そう考えると、俺の心はたちまち不安で一杯になった。


「マリモ。」


 肩にかかる重みに思わず顔を上げれば、すぐ近くに速水の真剣な表情があった。


「マリモ。俺がお前を選んだのは、足が速かったからじゃない。お前なら出来ると思ったからだ。」

「速水……。」


「もっと胸を張れ、マリモ。周りにずっと言われっぱなしでいいのか? 言い訳ないだろ。」


「俺は体育祭で絶対に勝ちたい。だからお前を選んだんだ。障害物競走は、お前にしか任せられない。」


「頼んだぞ、マリモ。」


 ――――― 頼んだぞ、マリモ。


          頼んだぞ、マリモ……


             頼んだぞ、マリモ…………!


「おっしゃぁぁあああ!! 任せとけっ!!! 絶対に勝つぞぉおお!!」

「えっ、どうしたの、マリモ君!?」

「マリモ、何があったんだ?」


 西野と斉藤が驚いているが、今の俺はそんなことは気にならない。バーニングだ。俺の心は闘志の炎で燃えている!!


「いやー、マリモがやる気になってくれて良かった、良かった。」

「速水!!」

「どうした?」

「勝つために、俺は何をしたらいい?」

「じゃー、とりあえず今日の放課後ルールの説明をするから。」

「分かった!!」


 フッ、本気になった俺は、負けはしない。





「それにしても、トオル君から何を言われたの? 2人で話した後、マリモ君、凄いやる気になったから。」


 皿を持った西野が問いかける。


「ああ、速水はな、俺にこの体育祭の重要な役目を任せてくれたんだ。アイツは真剣な眼差しで、『マリモ、お前にしか任せられない』と言っていた。俺は速水の期待に応える必要がある。」

「それ、僕には何だか上手くのせられているだけのように聞こえるんだけど……。」

「速水がそんなことするわけないだろー。アイツは“爽やか”という言葉を体現した奴だぞ。」

「うーん、トオル君ってああ見えて食わせ者な所があるから……。まあでも、マリモ君がやる気になってくれて良かった!」

「ああ、俺は絶対に負けない!」

「僕、マリモ君のこと応援してるね!」

「ありがとう、西野!」


 本当に俺は西野と出会えて良かった。西野がそばにいてくれるから、色々とヤバいこの学園でもやっていけるんだ。


 そう感謝の思いを込めて西野を見ると、手を滑らせて皿を落としそうになっていたので、すかさずキャッチして台所に持っていく。………だんだん西野との呼吸が合ってきた気がする。


「そう言えば障害物競走のルールは大丈夫?」

「ああ、速水から放課後聞いてきた。ルールは簡単。いかにして誰よりも早くゴールにたどり着けるか。毎年定番は跳び箱、平均台、ハードル、網くぐり、縄跳びなんだろ。あと、それに加えて特殊な障害物があるんだっけ?」

「うん、そうだよ。ただ毎年その内容が変わるから競技直前になるまで分からないんだよね。」

「ちなみに毎年どんなものが出てるんだ?」

「あれ? トオル君から聞かなかったの?」

「速水の奴、『マリモなら何があっても大丈夫だ!』って爽やかな笑顔で教えてくれなかったんだ……。」

「トオル君、絶対それ面白がってるね……。」


 こっちは退学がかかってるんだ。遊びじゃないんだぞ!


「えっと気を取り直して説明すると、障害物の難易度は毎年違うんだ。凄く高い竹馬でゴールまで走ったり、ピンポン玉を恐ろしく小っちゃいスプーンで運んだり、ラムネの一気飲みとか……。けん玉や腕立て伏せ100回っていう年もあったみたい。」

「えぇ、何かどれも難易度高くないか……?」

「雑巾絞りっていう年もあったよ。」

「急に難易度低くなったっ!?」

「でも案外そうでもなくて、絞り方の分からない人が続出したんだ。ある人は地面に叩きつけたり、足で踏み付けたりしてたかな。雑巾を投げる人もいた。」


 さすがお坊ちゃん……。発想力が変な方向で凄いな。


 俺? もちろん前世知識があるから余裕のよっちゃんです。


「あとね、すごい年は、皆の前で自分の黒歴史を暴露する年もあったんだ……。」

「鬼畜すぎるッ!?」

「ある人は泣き崩れ、ある人は自分の犯した過去を悔いていた……。」

「後味悪すぎだろっ!!」


 また新たに(黒い)歴史に名を刻んだな……。

 俺は過去の英雄たちに敬礼をした。


「……どうして障害物競走に選手が選ばれるのか不思議だったけど、西野の話を聞いたら納得した。この競技には身体能力の他に、どんな課題が出ても乗り越えられる柔軟性が必要なんだな。」

「うん、そうだね。障害物競走はリレー戦と並んで毎年かなり盛り上がるんだ。だからそれだけ全校生徒に注目されるんだよ。」

「………そりゃあ勝負にうってつけだな。」


 ふきんでテーブルを拭きながらそう呟くと、服の裾を掴まれた。

 どうしたんだ……? 何気なく振り返る。


「どうした、にしっ……!」

「マリモ君、僕、心配なんだ……!」


 西野は俺の服の裾を掴んだまま、潤んだ瞳で俺を見上げる。


「……待って、西野。ちょいタンマ。」

「マリモ君?」

「俺は今、己の煩悩と闘っている……!」


 だって袖クイの後の上目遣い、若干涙目の3段コラボって普通に考えてヤバくね? 今までろくに女の子との交流がなかった俺は、もはや免疫がないに等しい。それに加えて見渡すかぎり野郎しかいない環境だ。西野が男だと分かっていても、ちょっとぐらっと来た。


 ……………しっかりしろ、桜井輝人!!! お前の将来の嫁はツンデレ清楚系でありながら実はセクシーなお姉さんと決まっているだろう!! この学園の風習に毒されるんじゃねえ、俺の煩悩!!


「えーっと、あの、マリモ君?」

「……ああ、俺の煩悩は今だに健在だ。」

「?」

「はっはっは、悪い、今の発言は忘れてくれ。それで西野、どうかしたか?」

「うん、あのね、マリモ君。杉村君との勝負なんだけど、……大丈夫?」

「ああ、俺は絶対に負けないから安心してくれ。」


 だって前世知識があるからな。大抵のことはどうにかなるはずだ。ただ黒歴史公開はちょっと遠慮したい……。


「でもっ! 障害物競走は運によるところが大きいんだ。もしかしたら負けるかもしれない。杉村君が何を提示してきたのかは知らないけど、絶対良くないことだっていうのは分かる。だから今からでも勝負を無しにしてもらうのはダメかな……?」

「勝負を…? でもそんなこと出来るのか?」

「………僕の知り合いの先輩に頼めば、何とかしてもらえると思う。」


 そう言いながらも、西野はどこか泣きそうな顔をしていた。

 その表情を見ると、西野が本気で俺を心配してくれているのが分かった。そんな西野を安心させるように、俺は笑って見せた。


「そんな心配すんな!! 俺は握力と猿並みのすばしっこさが取り柄なんだ。障害物競走もそれで乗り切って、絶対に勝ってやるから!」

「マリモ君……。」

「それに、この勝負は俺を認めてもらうために必要なことだ。だから俺は、何があっても退かない。」

「……そっか。分かったよ。マリモ君、絶対勝ってね。」

「ああ、もちろんだ!」


 そうして俺と西野は笑い合った。



「さて、8時5分だし、そろそろ学校に行かないか?」

「え、ウソ。今何時かもう一回言ってもらえる?」

「? 8時5分だけど……。」

「わー!! マズイよ!!」


 そう言って西野はバタバタと支度する。

 何をそんなに焦ってるんだ? 今から行けば余裕で学校に着くのに。


 ――ピンポーン


 すると、誰かがベルを鳴らす音がする。来客か? 西野は忙しそうだし、ここは俺が出るしかないな。


「西野ー! 誰か来てるから、俺がドア開けるなー。」

「あっ、マリモ君、ちょっと待っ」

「すみません、お待たせしましたー。」


 西野が何か言っていたが、特に気にせずドアを開ける。するとそこにいたのは……


「お前が悠の新しい同室者か。」


 不良だった……! だって眼光が一般生徒じゃないですよ!? がっしりした体つきで、身長は180㎝を余裕で越しているだろう。喧嘩はかなり強そうだ。艶やかな黒髪はワックスで固めてある。顔は恐ろしいほど整っているが、その鋭い目つきからまるで野生の獣のようだ。


 ……え、うちに何の用ですか。


「どけ。」


 そう言ってその不良は、俺を押しのけて入っていく。「おい、待てよ!」と引き留められないチキンな俺。ごめん、西野。後は託したわ。

 だがその不良が通り過ぎる時に、その腕にあり得ないものがついているのが見えた。えっ、それって……


「委員長! 俺を置いて先にいかんとって!」


 半ば叫ぶようにして慌てて入ってきたのは、これまた茶髪のイケメンの男。走ってきたのか腕まくりをして息切れをしている。


 お、お前は……!


「エセっぽい関西弁の!!」

「誰がエセや!!」


 俺の頭をはたくイケメン。地味にイタイ。


「お前ホントにええ根性しとるな。一昨日も昨日も俺の話聞かんで逃げよったしなあ。」


 そう言いながらイケメンは容赦なく俺の頭をぐりぐりする。


「イタイ、イタイです!! 俺の頭皮に甚大なダメージが!! 将来ハゲになったらどうしてくれる!!」

「それだけ口が聞けるんなら、大丈夫そうやなー。」

「おい、無力な生徒にこんなことしていいと思ってるのか!! 暴力反対!!!」

「だって俺、副委員長やし。多少のオイタは指導の範囲内や。なあ、1年Sクラス、桜井輝人君?」


 な、なぜ俺の名を……!

 

 その時だった。


 居間の方から悲鳴が聞こえる。


 この声は……西野!?


「あかん! 委員長のことすっかり忘れとったわ!」


 そう言ってイケメンは居間に向かって走っていく。俺も慌てて彼の後に続いた。

 そこで俺が見た光景は……


「や、やめてくださいって言ってるじゃないですか!! 手離してください!!」

「悠……。お前が心配なんだ。」

「ほら委員長! 西野君も嫌がってることやし、ここは一旦ひきましょ! 無理矢理はいくら委員長でもあかん!」


 必死に抵抗する西野と、西野の手を握りしめて離そうとしない不良、もとい風紀委員長。そして委員長を西野から引き剝がそうとする副委員長。


 ………なんだこの三角関係。朝から昼ドラ的展開を見せつけられている俺の心境は、かなり複雑だ。とりあえずイケメンは滅びればいい。


 だがこのままでは西野が可哀想だ。ごめん、西野。さっきは託したとか言って。


「あの、学校に遅刻するんでそろそろ行きません?」


 3人とも、同時に俺を見た。

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