第6話

「俺が呼ぶまで入って来るんじゃねえ。いいか、毛玉?」

「毛玉じゃない、マリモだっ!」

「うるせえ。」

「……くっ、なんて横暴な教師なんだ。」


 場所は変わって教室の前。上のプレートには1-Sと書かれている。本当にこのホスト、担任だったんだな。


 そして今更ながら緊張してくる。ずっと桐生先生と口論していたから、そこまで気が回っていなかったが、自分が今教室の前にいると考えると足が震えてきた。どうしよう、先生に啖呵きった割に、友達が出来なかったら……! いや、そこまで悲観するな。相手は健全なる男子高校生だ。不用意な発言をしなければ、前世知識がある俺なら誰とでも上手くやっていけるはず……!


 そんな俺をよそに、せんせーはさっさと教室の扉に手をかける。その様子を俺は固唾をのんで見守る。そして扉が開いた瞬間―――


「キャー!! せんせぇー!」


「格好いいですぅ!」


「抱いてください!!」



 ……あ、無理かも。


 いやいやいや、健全な男子高校生が言っていいセリフじゃないだろ!? ……そうだ、ここは王道学園だった。普通であるはずがない。ハハッ。


 ……どうするんだよっ!? どんな話をすればいいんだ!? 友達なんて夢のまた夢なんじゃないか? いや、まだ希望を捨てるな、俺。こんな時こそあれの出番だろ! そう、『おともだちの作り方―サルでも出来る実践法 応用編―』だ!! 「極意8 第一印象は大事だよ!元気と笑顔で、自分のことを相手に印象付けよう❤ どんな時でもスマイル、スマイル♪」というかなり前向きな極意を実践する時がきた! 


 自分の目の前のドアをじっと見つめる。じんわりと手が汗ばんでいるのが分かる。何度も深呼吸を繰り返し、強ばった顔に笑みを浮かべる。大丈夫だ、きっと大丈夫。元気と笑顔で何とかなるはずだ。某国民的ヒーローは愛と勇気しか友達がいないんだ。それに比べれば、俺には少なくとも知り合いぐらいはいるぞ。うん……。前世知識によれば非王道転入生は皆から嫌われるらしいし、実際の俺も既に色んな人から嫌われているけど……。それでも俺は、この学園で絶対に生き抜いて見せると決めたんだ。


「このクラスに転入生がくる。おい、入れ。」


 俺は大きく息を吸い込んで、一歩踏み出した。


 教室の扉を開けてまっすぐ教卓へ向かう。そして前に立つことでわかる、それぞれの生徒の表情。そこにあるのは嫌悪か、興味か。ある者は俺の容姿に顔を顰め(かなり大多数)、ある者は興味深そうに俺を見ている(少数)。


 こいつらが俺のクラスメイトか。一癖どころか三癖くらいありそうな奴らばかりだ。いいぜ、望むところだ。確かに見た目はこんなんだが、絶対にお前らと友達になってみせる!!


「おっす! 俺、マリモ! 気軽にマリモと呼んでくれ! 毛玉じゃないぞ、マリモだからな。俺の当面の目標は、友達100人作って富士山の上でおにぎりを食べることだ! これからよろしく頼む!」


 がばっと頭を下げる。どうしよう、俺なりに元気と笑顔を詰め込んだ自己紹介だった……と思う。震えそうになる足に力を込め、教卓についた手を握りしめる。



 ……パチ、…パチ、パチパチパチ…



 ぱらぱらと拍手の音が聞こえる。恐る恐る顔を上げてみれば、クラスのうちの何人かが手を叩いているのが見えた。その光景を見て、ため込んでいた息を吐く。



「……ねえ、あいつが会長様を……。」


「…うわあ。近づかないようにしないと……。」


「……なに、あのぼさぼさ頭。気持ち悪い……。」



 まばらな拍手の音に混じって聞こえてくる声に、びくりと体がすくむ。決して大きな声のわけではないのに、耳に響く音。自然と体が強ばっていく。



「おらっ、毛玉。ぼけっと突っ立ってんな! お前の席は窓際の一番後ろの席だ。」



 先生の言葉に、意識が引き戻される。そうだ、どんな時でもスマイル、スマイル。


「毛玉じゃなくて、マリモですよ。桐生先生。」

「へーへー。んなことより、さっさと席につけ、毛玉。」


 なっ、俺が人前だからあえて敬語使って訂正したというのに……! 許さん、ホスト教師め。俺のアイデンティティを否定するとは、良い度胸だ。この恨み、忘れないからな!


 心の中でホスト教師への恨み、つらみを唱えながら、指定された席へと向かう。




「…………モ君、マリモ君!」


 はっと顔を上げて、声が聞こえた方を向いた。するとそこには、ニコニコ笑いながらこちらに向かって手を振る西野の姿が見えた。


 その姿を見て自分の心が一気に浮上する。そうか、俺なんかを認めてくれる、西野みたいな優しい奴もいるんだ。悪口ぐらい、ホスト教師ぐらい、別にいいじゃないか。言わせたい奴には言わせとけ。俺がすることはただ一つ、この恐ろしき魔窟を、無事に生き抜くことだけだ!


 西野に手を振り返しながら、席へ座る。一番後ろの席なので、教室全体が見渡せる。居眠りをしている奴も一発でわかる、人間観察に適した席だ。ちなみに西野の後ろなので、けっこう嬉しい。


「HRはこれで終わりだ。あー、そういやぁ、そろそろ体育祭だな。それに向けて、競技の割り当て考えておけ。その辺のことは、体育委員に任せる。以上。」


 そう言い残して、ホスト教師こと桐生先生は教室から出ていく。その姿を見送りながら、教室のあちこちから嘆きの声が上がる。……いいや、もう何もツッコむまい。


 そんなことより……。



「良かったね、マリモ君! 僕たちこんなに席が近いよ。これでいつでも話せるね! って、マリモ君?」



 ……た、体育祭だと! それはあれか。お互いに切磋琢磨をし、友人と励まし合い、絆という名のバトンを繋げ、時に涙し、時に笑い、なんやかんやで最終的には友情が深まるという、あの体育祭か!



「……西野、俺は決めたぞ。」

「えっ? うん、何を?」

「俺は……俺は全力で体育祭に臨むっ!!」

「そ、そうなんだ! よ、よく分からないけど、僕応援してるね!」

「ありがとう、西野。西野も一緒に頑張ろうな。」

「えっと、うん、そうだね!」


 西野が若干戸惑いながらも頷くのを横目で見つつ、俺は決意を新たにした。体育祭に全力で打ち込む。これぞまさに健全な男子高校生のあるべき姿だ。そして友情を深めるのに、これ程うってつけの行事はない!


「へー、意気込みは十分ってところだな。期待してるよ、マリモ君?」


 振り返ると、声の主は俺の隣の席だった。


 ……な、なんだ。この爽やか系イケメンは!? 背は高く、すらっとしているが、よく見ると筋肉質で、よく鍛えられているのが分かる。整った顔立ちをしており、きちんと着こなした制服が、好青年の様に見せる。サラサラとした黒髪を持ち、笑うと細まるこげ茶色の瞳が明るい印象を与えていた。


「俺の名前は速水透。バスケ部に入っていて、体育委員やってるんだ。よろしくな。」


 う、ウインク……!? 一般人がやるとあざとく見えるが、速水がやると爽やかにしか見えない。やるな、こやつ。


それにしても、会長や副会長、ホスト教師や西野と言い、この学校はアイドル養成学校の間違いじゃないのか……? くっ、平凡はどこにいるんだ! 俺の同志はどこだ! 


「そうだ、いちいち君付けなんて面倒くさいし、マリモって呼び捨てでもいいか?」

「お、おう!」


 呼び捨て……! なんて友達みたいなやり取りなんだ!


 感動に打ち震えていると、速水は何かを思い出したかのように口を開いた。




「そういえばお前、あの無限地獄の石段を登り切ったらしいな。体育会系の奴らでも、登り切れる奴はなかなかいないのに、凄いな。」

「え!? マリモ君、あれ登ったの!?」


 速水の言葉に、西野が驚いて目を丸くさせているが、俺には何を言っているのか全く分からない。え、無限地獄の石段? そんなもの恐ろし気なもの、俺がいつ登ったんだ。

 俺が目を白黒させていると、速水の前に座っていた男子生徒がこちらを振り向いた。


「こら、透。そんなこと急に言われても、わかんないだろ。俺だって知ったのは最近だし。」

「あー、そうだな。悪い、マリモ。」


 会話に入ってきた彼を見ると、これといった特徴がない男子だった。痩せすぎもせず、かと言って太っているわけでもない、平均的な体型だ。髪は染めておらず、日本人が持つ一般的な黒髪、黒目だ。顔も一見普通そうに見えるが、笑うと左側にえくぼができる。一緒にいるとホッとするような雰囲気を持つ、生徒だった。


 か、彼だ! とうとう俺は見つけた! 俺の同志がここにいる! 学園に来てからイケメンばかり見てきたせいか、少し感覚がおかしくなっていたが、イケメンなんて所詮はマイノリティ。社会は平凡な奴が支えているんだよ!


 彼と仲良くなりたい。け、けどどうやって話しかけたらいいんだ……! 


 ここに来て、自分のコミュニケーション能力の低さを恨めしく思う。今まで友達なんて出来なかったからな。作り方が分からない。


 どのように話しかけるか俺が逡巡していると、幸いなことに彼から話しかけてくれた。


「俺、斉藤誠人っていうんだ。外部生で、この学園には2か月前に来たばかりなんだよ。だから、まだここについて知らない事が多くて、けっこう困るんだよな……。不慣れなもの同士、仲良くしてくれ。あっ、俺もマリモって呼び捨てでいい?」

「も、もちろんだ!」



 な、仲良く……! 同志として、是非!! そして一緒に平凡同盟を作ろうぜ!



「こう見えて、マコトって凄いんだぞ。何せこの前の新入生一斉試験で、4位だったもんな。」

「いや、俺は特待生だから10位以内に入らないといけないし……。それに俺は勉強しか取り柄がないからさ。」

「謙遜するなって。マコトは十分凄いよ。」

「そうだよ、マコト君はもっと自信を持つべきだよ!」

「うん……ありがとう、2人共。」



 そう言って、はにかみながら笑う斉藤。その様子を絶句しながら見る俺。特待生と言えば、授業料が免除される代わりに、学力が優秀でなければいけないというものだ。この学園は良家の子息が通う学校だから、全国的にかなり偏差値が高い。その中で4位の成績をとったのならば、凄いことだ。そうか、彼は平凡ではなかったのか……。うぅ、せっかく同志を見つけたと思ったのに……。



「やっぱ外部生って頭いいよな。この学園の入試ってめちゃくちゃ難しいって聞いたことあるし。マリモもやっぱり勉強得意なのか?」



 速水の問いかけに、ギクッとする俺。なぜなら俺はコネ入学だからだ。勉強が出来たからこの学校に来たわけではない。いくら前世知識があるからと言って、それは所詮BL知識だ。勉強に役立つはずがない。



「い、意気込みだけなら誰にも負けないぞ!」

「何だ、意気込みって。」

「すごいね、俺も負けないようにしないと。」



 ………これから全力で勉強しよう。俺は心の底からそう思った。


 そのときチャイムが鳴ったので、俺たちはそれぞれ自分の席に戻った。えーと、1時間目は英語か。とりあえず、教科書がないのでノートを机に出す。まぁ、最初だから当てられないだろ。


 と、高を括っていた数分前の俺。それは間違いだ、馬鹿野郎。



「はい、それでは窓際の一番後ろの席のそこの毛玉君。今から流される英文を、全て訳したまえ。」



 そう言ってニッコリと笑う先生。お、恐ろしや、進学校。先生の要求水準が高すぎる。そして毛玉じゃない、マリモだ。

 そして奇しくも、当たった所は昨日俺が英語の予習をした所だった。なら、俺は出来るっ!!!



「えっと、『トムはシャーペンを持ってタンザニアの森にいるジャックの所へ果し合いに行きました。』…………。」






 あの瞬間、俺は自らの名を、己の黒歴史に刻んだ。


 こう語るだけで、全てが察せられるだろう。泣ける。









「なぁ、なんで俺こんなに当たるの……?」


 授業が終わった後、机に突っ伏しながらそう呟く。疲れた……。なぜか最初の質問が終わった後も、ちょくちょく俺に当てられた。俺に恨みでもあるのか。


「うーん、恐らく昨日会長を膝蹴りしたからじゃないか? 教員の間でも会長、人気が高いから。」


 隣に座っている速水がそう口にする。


「えぇ……。じゃあ、この後も俺当たるの?」

「だろうなぁ。」

「まじか……。」


 速水の返事を聞き、絶望した俺はまた机に突っ伏す。しばらく現実逃避したい。会長に謝りに行くのが一番だとは思うが、話しかける前に親衛隊に阻まれそうだ……。下駄箱に手紙でも入れるか? でも会長の下駄箱がどこか知らないし、誰も教えてくれなさそうだ……。


 そして速水の予想通り、午前中の授業全て俺が当たった……。先生にまで影響を与えるとは。恐るべし、会長人気。


「なぜ一度ならず何度も当てるんだ……。はぁ。」

「見事に撃沈したなー。」


 俺の呟きに、速水が答える。


「どうして俺に何度も当てるんだろうなぁ。普通、一回でいいだろ。」

「まあ俺たちにとって、マリモに集中する分、楽だからいいんだけど。」


 速水が笑いながら答える。俺は恨みがましい目で速水を見た。くっ、毎回当てられる俺の気持ちを考えろ!


「まぁまぁ、2人共。もうお昼だし、早く食べないか? 次の時間は体育だし、着替える時間も必要だろ。」


 俺と速水のやり取りを見ていた斉藤が、そう言って窘める。


「確かにそうだな。さっさと食べるか。俺とマコトは先にパンを買ってあるけど、悠とマリモはどうなんだ?」

「僕とマリモ君はお弁当があるんだよー! 実は今朝、マリモ君が一緒に作ってきてくれたんだ。」

「おお、すげえな。マリモって料理出来るのか。」

「うん、とっても美味しいんだよ!」

「へえ、俺も食ってみたいな。な、マコト。」

「うん、けっこう気になるかも。」

「だってさ、マリモ君! お弁当のおかず、あげてもいいかな?」

「あー。うん、別にいいけど、あまり期待するなよ。」

「じゃあ俺、唐揚げにする。」

「うーん、それじゃあ俺は、卵焼きをもらうね。」


 速水と斎藤が、俺と西野の弁当箱からそれぞれおかずを取り、口に放り込む。俺は無表情を装いながら、ドキドキして見守った。



「「…………………。」」



 え、無言……? それはそれでかなりショックだ。



「…………うまい。」



 ボソッと速水が口にした言葉を、俺は聞き逃さなかった。えっ、うまいって。マジですか!

 にやつきそうになる口元を必死に抑える。


「うん、この卵焼き、程よい甘みで口に入れると、ふわっとして凄く美味しい。」

「こっちの唐揚げも、外側はパリッととしていて、噛み締める度に肉汁が出てきて、すげーうまい。」

「こ、これぐらい普通だ!」

「また食いたいな。」

「うん、確かに。マリモ、食材費は渡すから、またいつか作ってきてくれないか?」

「べ、別に、そんなのはいらねえよ。そう、作り過ぎたときに、またやるから。」

「おー、サンキュー! マリモ!」

「ありがとな、マリモ。」

「ほ、ほら。次体育だし、西野もさっさと食おうぜ。」

「うん、そうだね、いただきまーす!」


 速水と斉藤と西野が笑いながら、お昼を食べるのを見ながら、俺は幸せを噛みしめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る