遠雷


 卒業式前日。

 雪柳は最後のロッカーの荷物を持って帰るために教室へ行った。廊下で進学先報告のクラスメートたちと挨拶をしてすれ違い、中に入る。

 一番後ろの席に目白の姿が見えて少し安堵する。また何か作業をしているらしい。目白の方も雪柳が教室へ入ったのに気付き、顔を上げた。


「おはよ」

「おはよう。生徒会のやつ?」

「ん、新年度の」

「目白は卒業する気あるの?」

「寧ろあいつらが卒業させる気がないのかもしれない」


 雪柳は目白の机の前の椅子へ座り、背もたれへ腕を乗せる。


「いっこ、お願いがあるんだけど」


 雪柳の言葉に手を止めた。

 それを目白へ言うということは、目白が叶えるべき願いということなのだろう。雪柳の視線は机の上を彷徨き、長い睫毛が時折揺れた。


「なに?」


 正直、見当もつかない。思えば、雪柳のことはクラスメートという関係以上のことは何も知らない。


「卒業、じゃなくて三月終わっても」

「あ? うん」


 真剣に紡がれる言葉に耳を傾ける。

 一昨日、三月が終わるまで付き合うと決めた二人。理由は雪柳への告白を妨げる為だ。

 それが関係しているのか、と頷く。


「友達でいてくれる?」


 焦げ茶の瞳が目白へ向けられる。

 友達。トモダチ。ともだち。その響きは、遠くで鳴る雷のようだ。

 雪柳と目白はずっとクラスメートだった。高校を卒業してしまえば、そうじゃなくなる。付き合うのが終われば、二人の間柄を示す言葉は特にない。

 友達になろう、なんて言葉を小学生低学年以来誰かに使ったこともなく、確かに今の時点で誰が友達なのかも判別できない。

 前に、雪柳が『付き合ったらいつか終わる』という旨を話していたな、と思い出した。確かに、いつかは終わるだろう。


 なるほど、それで友達。


「ああ」


 深く考えずに目白は了承した。将来どうなるかは今は分からないが、これからも雪柳が困っているなら手を貸したいと思うのだろう。そういう性分なのだ、仕方ない。

 その答えに雪柳はパッと顔を明るくした。


「良かった、ありがと」

「それだけか?」

「うん。それだけ」

「食堂行こうぜ、腹減った」

「空いてるかなー」


 二人して立ち上がり、教室を出た。階段を下る足音にそれを見上げる。

 樋野と目が合った。


「お、仮初カップル」

「その言い方やめろ」

「樋野知ってるの?」

「一昨日の夜聞いた」

「仲良いねえ」

「幼馴染だからな。ヤマセンに用か?」

「そ。英語の参考書借りてたの、返した。君らは仲良くランチ?」

「食堂な」


 樋野と三人並び、一階まで下りる。昇降口で樋野を見送り、食堂へと歩いた。まだ授業中で廊下は静かだ。


「雪柳さん」


 名前を呼ばれ、振り向く雪柳。同じように目白も止まった。

 呼んだのは三年の上履きを履いた三年の男子だ。ぎこちない笑顔を作る。


「今、ちょっといい?」


 廊下の先、外を示した。何か用があるのだろう、と目白は食堂へと足を向けようとした、が。

 とん、と雪柳の肘が触れた。それからセーターの背中をぎゅっと握られる。

 そこで、はっと気付いた。


「あー今から食堂行くんだよ」

「……じゃあその後でも良いんだけど」


 告白を決意した人間の心は強い。

 目白は自分が気持ちを伝えられたわけでもないのに、その気持ちの大きさに面食らってしまう。これを毎回のようにぶつけられ、断っているのだ。雪柳も疲弊するのだろう。漸く同情できた。


「いや、時間がない。悪いな」

「雪柳さんに言ってるんだけど、なんで目白くんが答えるの?」


 二人は男子の姿形だけでなく名前も知らないが、男子は雪柳のことだけでなく目白のことも知っていたらしい。元生徒会副会長だからだろうが。


「今、俺が雪柳の彼氏だから」


 さらりと言ったが、まあ勇気は要った。逆上して飛び掛かられても面倒だな、と頭のどこかで思う。

 ぐ、と男子は言葉に詰まり、頑なに視線を合わせない雪柳を見た。


「じゃーな」


 背中を掴む雪柳の手を取り、食堂の方へ足を向ける。雪柳は会釈をするように頭を下げ、目白の横に並んだ。


「追ってきてねえよな」

「た、多分?」

「こえーな」

「……うん」


 怖いと言っているのに、同じように怖いと思っているのに、何故か雪柳は嬉しそうに返答をした。

 食堂にいるのは三年生と、他学年のサボり面子。目白は食券機の前に立ったかと思えば、すぐにピッとボタンを押した。


「悩まないの?」

「カレーの気分だった」

「私はうどん食べる」


 財布から金を取り出そうとした雪柳を待たず、目白は続けてうどんのボタンを押した。受付の台に二枚の食券が出される。


「樋野と幼馴染ってことは小中一緒?」

「それから大学も」

「すごい……就職先まで一緒な未来が見える」

「雪柳って出身校どこだ? 同じ奴いんの?」

「いないよ。水注いでくる」

「お、さんきゅー」


 コップを二つトレーに乗せ、ピッチャーの元へ行った。その背中を見てから、目白は自分のトレーへと向き直る。

 雪柳はあれだけモテるわけだが、女子たちから疎まれているわけでも、クラスで浮いているというわけでもない。中心にはいないが、その横らへんで数人の女子と楽しく話しているのを見た。

 女子に生まれたことがないので目白には分からないが、クラス内で浮かず疎まれず楽しく過ごしているのは、雪柳の元の性格の良さなのか、それとも努力の成果なのか。



 一昨日の夜、樋野の家に目白は居た。目白の家族が揃うのは夜遅く、ばらけるのは朝早い。

 家が近く、幼い頃からの付き合いなので夕飯を一緒にすることも日常茶飯事のことで、殆ど家族のようだった。


「雪柳と付き合うことになった」

「へー、え? まじで? 顔タイプじゃないのに?」

「顔はとりあえず置いといけ。三月終わりまで、期限付きで、な。一応報告」

「期限とは」

「告白されるのが嫌なんだと」

「抑止力ってやつ?」


 クッキーをもぐもぐと食べ始めた樋野を見る。目白が手を挙げると、ひとつ投げ込まれた。


「それと……」

「まだなんかあんの?」

「いやこれは追々」


 何が追々、と樋野は首を傾げる。


「まあいいや、とりあえずおめでと」


 緩い祝福の仕方に苦笑いを返した。



「いただきます」

「いただきまーす」


 食堂の隅で向き合い、カレーとうどんを食べる。


「雪柳って本当に顔広いよな」

「目白程じゃないよ」

「俺は副会長で前に立つ機会が多いのがある」

「あ、そっか。でも広いここも、明日で卒業するなんて不思議な感じする」

「だよな、明後日も来そうだ」

「目白は好きだね、学校」


 他愛もない話をして時間が過ぎていった。トレーと食器を返却して、食堂を出た。

 廊下から半分散った桜の樹が見える。


「うちの高校って卒業式遅いよね」

「その代わり自由登校で、三年は免許取るのは許されてるけど」

「バイトもして良いし、結構緩い」

「楽しかったか?」


 目白の問いに、雪柳は顔を上げる。

 答えようと口を開いた。



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