第37話 嫉妬が愉悦に変わるとき

 突然の闖入者ちんにゅうしゃにその場にいただれもが驚き、俺は彼女の容態ようだいを心配してしまう。


「なぜ来たんだ……怪我は大丈夫なのか? シズ姉ぇ」


「まあね。それよりもそこにいる女に、ちょっと我慢できなくて出てきちゃった」


 タワーの屋上にやって来た最後の人物。

 すっかり暗くなった空の下、月影を背負って現れたのは本物の月影静流だった。


「え? あ、あれ? その人……わ、私……?」


「ど、どういうことだ? 静流が二人もいる……」


 驚愕を隠せない孝太郎と偽静流。

 本物のシズ姉ぇは、すたすたとこちらにやって来ると、座り込んでいるユング大佐を改めて叩き起こす。


「大佐ぁ? 良かった、まだ生きてるわね。あなたから色々と説明してもらえないかしら?」


「ぐッ……き、貴様……〈アニムス〉か……っ」


「な~にがアニムスよ。心理学用語でですって? 本当、皮肉めいたコードネームにしてくれたわねぇ」


 シズ姉ぇは素早くナイフを取り出すと、それをユング大佐の首にカッと押し当て、妖艶に……しかし底冷えのする声音で囁いた。


「今すぐ孝太郎にすべてを教えなさい。じゃなきゃ……私の知識にある、ありとあらゆる拷問術を使って、あなたから「殺してください」と嘆願させるような状態にしてあげるわ」


「わ、わわ、分かった! 言う! 言うから命だけは……ッ!」


 すっかり小物になったユング大佐は、シズ姉ぇに脅され、一連のでき事すべてを語ってみせる。


 ――すべてを聞き終えた孝太郎と偽静流は、顔面蒼白になりながら、文字通り絶句していた。


「な…………。う、ウソ……。だって、そんな……」


「これで分かった? 私が本物の月影静流。私は生涯、空木夏也だけを愛し続ける。だから、そこにいる自分と同じ顔のビッチに、私の大切な夏也を愚弄されるのは我慢ならないの」


「そ、そんな……静流! 嘘だろう? だってだって! 静流は、僕の女に……」


「孝太郎。私はあなたなんかに呼び捨てにされたくないわ。あなたは最後まで夏也を裏切った男。それに、戦争経済の思惑を含めて最低な人間よ。従姉弟の関係だって、縁を切らせてもらうわ。二度と顔を見せないで」


「ひぎぃっ、あッ、あぁぁ……はひゅっ、しょ、しょんな……し、静流……っ」


 あまりのショックに、パクパクと口を開いて動かなくなってしまう孝太郎とは対照的に、偽静流は大声でわななきをあげる。


「嘘よっ!! あんたいきなり出てきて何なわけ!? 私が静流よっ! 本物の月影静流なのっ!!」


 必死の自己主張。もはやその叫びすらもが痛々しい。


「だってそうでしょ!? この私が、替え玉ですって……? じゃあ私の半生は何だったわけ? そこの軍服のおじさんさぁっ、なにか証拠があるの!? なら、本当の私は何なのよ!?」


「ぐ……わ、私もお前については知らん。どこからか拾われ、担当の者がお前に暗示を」


「じゃあその担当の人間を出しなさいよ! そいつがいなきゃ、私が月影静流じゃないって証拠になんないでしょ!?」


「し、知らん……私とて末端の職員のことまでは……」


「ふっざけんじゃないわよ! じゃあ本当の私はだれ!? だれなのよっ!? ねえってばッ!」


 錯乱気味の偽静流。俺は彼女を厳しい目で睨みながら、事の経緯を見守る。


「ね、ねえ? 夏也、私が静流だよね? ……孝太郎! 私が静流っ! 静流でしょ!? ずっと一緒にいたんだからわかるわよね? ね? ね!? ねぇっ!?」


「ううぅぅッ、嘘だ……静流が、偽物……本物の静流は、ずっと夏也のモノ……ぐぅゥゥ、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だぁ……ッ!」


「違うのお! ねえ孝太郎ぉっ! 私が静流なんだってばあッ!! ……あぁ、あああ……。何? 何なの? もう美味しいスイーツも、素敵なバッグも、みんな……みんなもらえなくなるの!? いやだ……ヤダヤダ! 私が静流よ! 私は月影静流がいいのッ!! 静流でいたいのおおッ!!」


 悲痛な叫び声がこだまする中、周りは何も反応しない。

 異様な雰囲気が漂う中、シズ姉ぇはゆっくりと俺の方に近づき耳打ちをしてくる。


「夏也、実は彼女の暗示のことなんだけど。一つだけ不可解な点があって……」


 その詳細を語ろうとするシズ姉ぇ。

 しかし突如として偽静流は哄笑こうしょうを上げると、まるで壊れたかのように唇を振るわせ、床に落ちていたユング大佐の拳銃を拾い上げた。


「あ、あなた……ッ!」


「あはっ、あはははは! アッハハハハハッ!! そうよ……私が本物の静流よ。あんたさえ、自称本物のあんたさえいなくなればッ! 残る私が本物ってことになるでしょぉぉオオッ!?」


 狂乱した眼光。その手に握られた銃口はシズ姉ぇにハッキリを向けられている。

 やらせるわけにはいかない。俺は彼女を守るためにグッと前に出た。


「下がってろ、シズ姉ぇ」


「だ、ダメ! 夏也ぁっ!」


「ああぁぁァァアア……ッ!! 死ねっ、シネシネシネシネ、死ねえええええッ これで私が月影静流だぁぁァアッ!! あ~っひゃっはっはっはハァーーーッ!!」


 ――パンッ


 銃声と共に硝煙しょうえんの臭いが屋上に漂いながら、沈黙が訪れた。

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