菫青の追憶

伊島糸雨

菫青の追憶



 ──いったいどれだけの魔法少女が大人になれるというのだろう?



 *     *



 結界が〈魔導法則マギア〉の煌めきを分光し、鈍色の空と混じる粉塵を色とりどりに染め上げている。


 熱を孕む衝撃波に吹き飛ばされ、瓦礫の山に全身を打ち付ける。気道が萎み、酸素を求めて喘ぐたびに砂を噛みしめる。筋肉が断裂したのか、痺れる激痛によって立つこともできない。地に臥したまま、投げ出された杖に向けて地面を掻く。みんなはどうなった。アカネは、サクラは、マシロは、トバリは?

 顔を上げた先には、絶望がある。

 第二世代識別番号付悪性魔法災害セカンド・ナンバーズ・ディアブロ

十三番目裏切りのバラム=ベレ〉

 蝿と爬虫類を混ぜ合わせたような醜悪な威容の表皮には、毒々しい花が大口を開けて咲き並び、咆哮の合間には黒ずんだ唾液が垂れる。複眼の小さな枠の一つ一つに眼球が蠢き、四本のねじ曲がった角と背で震える穴のあいた二対の羽は、その存在が悪魔である証左に他ならない。四本の脚を潰し、頬を抉って腹を穿った。心の臓に微かに覗く核にも、致命的な罅がある。あと少し、あと少しで、終わるはずなのに。

 一切を諦められたらと、何度も考えた。私はただ巻き込まれただけで、こんなことをやる理由も責任も本来であればないはずだった。こんなことを始めなくても、私たちは平穏だったはずなのに。

 博愛も正義も私にはない。私はそれを持ち得る人間の傍にたまたまいただけの女でしかなくて、一人にすべてを押し付ける罪悪感を抱えていたくないだけだった。その異常な精神性で一切を背負い込もうとする馬鹿な少女を死なせないことだけが私の目的だった。

「あと一撃……でしょ?」

 後方から立ち上がった声が、私の隣を歩いて行く。〈魔導法則マギア〉の輝きが散逸する度に彼女の傷は癒えて、所々が欠けた黒鉄の籠手と紅玉ルビーに光が戻る。「待って」ねぇ、と声になったかも自分ではわからない。翻る紅い衣装が炎を帯びて、すべてを焼き尽くすべく全身へと広がっていく。「アカネ、」彼女は身を起こすこともままならない私たちに背を向けて、滴る血の跡を蒸発させながら前進する。

 彼女だけは動くことができた。自分の傷を治す魔法が彼女の得意技だった。朱藤しゅとうアカネだけは、その異常な精神性から、身を粉にすることができてしまった。

 ただの人間であるうちは、すぐに限界が来ると知っていたから。

「普通の人にはできない力で世界を変えられるなら、それっていいことじゃない?」

 何もいいことはない。どこも正しくはない。けれど私は彼女を止めることもできない。

 その理想は、歪だからこそ美しかった。

「これが最適解。これが私の最終回。ごめんね、みんな。私の頭じゃ、他のやり方は思いつかなかった」

 だから、あとはよろしくね。

「アオイ」

 彼女は跳躍する。そして核を打ち砕く一つの拳として、火の粉を散らす光となる。

「待っ──」

 伸ばした手も、声も、願いさえも、すべては届かぬまま地に落ちて、やがて閃光が世界を包む。




 霧散した〈魔導法則マギア〉の粒子を浴びて、彼女の四肢は小刻みに震えている。

 銃口から放たれた極大の光線が〈二十八番目唄いのウカロ=バゼナ〉を瞬時に消滅させても、桃ヶ瀬ももがせサクラはその場を動かなかった。

「サクラちゃ……」

 怯えながらも声を上げるマシロをトバリが手で制する。異様な空気、明らかに常軌を逸した出力だった。周囲から〈魔導法則マギア〉の力を奪って大規模な投射を行うことを得意とする彼女でも、ここまでの威力を発揮すればしばらくは動けないはずだった。少なくとも、私たちの知る上では、そうあってしかるべきだった。

 なのに──

「……どういうつもりだよ、サクラ」

 今やその周囲の景色は膨れ上がる〈魔導法則マギア〉によって陽炎のように揺らいでいる。出現と同時に消滅した二十五番目と二十六番目への疑問。そして、しばらく姿を消していた彼女がどうして今になって現れたのか──考えれば考えるほど、ロクな答えに辿りつかない。

「……ずっと、思ってたんだ。おかしい、って。十三番目を殺したのに、どうしてアタシたちは戦い続けなきゃいけないわけ? ねぇ、ハチ?」

 水を向けられたハチ──異世界の住人たる〈契約生物アーキテクチャ〉八号は、柴犬に擬態したまま悠々と口を開く。

「十三番目は間違いなく最強だったよ。でもね、悪魔はトップが死んだからって活動をやめるわけじゃない。むしろその座を奪おうとして競争し合うくらいだ。なら、それを倒す存在が必要じゃないかな」

 君たちみたいな魔法少女がね、とハチが私へ顔を向ける。俯いたサクラが、白い歯を剥いて威嚇するように言った。

「アンタたちはそれでいいの? このままダラダラと悪魔を殺して、殺して、殺して、殺し続けてッ! いつ終わるのかもわかんないことに時間使って、死ぬかもしれないのに、貴重な子供の期間をこんなふうに使い潰して……」

 言葉の一つ一つが溢れる度に、遠くサクラの銃身に輝く黝輝石クンツァイトが暗い光を灯していく。「〈契約のアーク〉が──まさか」声と同時に黒い風となったトバリがサクラの背後から短剣を振るい、渦巻く力に弾かれる。傍でその光景を見つめるハチが、小さく呟いた。

「二十七番目発生の気配がないと思っていたら──そうか、君が席を埋めていたんだね。サクラ」


「ねぇ、アオイ。こんなの早く終わらせようよ。教えてもらったんだ。強い〈魔導法則マギア〉を集めていけば、アタシならすぐにでも悪魔を滅ぼせるって!」

「サクラちゃん、ダメ……ッ!」

「クソッ!」

 マシロが生み出した〈透剣〉がサクラを囲み、私の〈分光結界プリズム・アーツ〉が力の波濤を押し込めるべく幾重にも連なっていく。「穏やかになんて生きられない。強くならなきゃダメだったんだ」乱反射する光の中で、サクラの涙を見たような気がした。

「アカネちゃんが死んだのも、ぜんぶアタシたちが弱かったからじゃん!──」

 絶叫の中でサクラの形が膨張する。引き裂かれた結界の先には、彼女だった異形ものしか残されていない。




 崩れ落ちた聖堂、その最奥へと導くように、斜光が道を照らしている。

 二日前に〈三十三番目漁火のイャニカ=ヴァラ〉が出現し崩壊した市街地には、〈悪魔の仔〉の真新しい惨殺死体が点々と転がっていた。それを印に息を切らして辿り着いた私とトバリへ、祭壇を前に佇む雪野ゆきのマシロが静かに振り返る。変身した彼女の右手には玻璃クォーツの埋め込まれた直剣が握られて、想定外への困惑が悲壮を伴って表情に描き出される。

「ああ、また……迷ってるうちに、手遅れになっちゃった。見せたく、なかったのに……」

「マシロ、お願い。馬鹿な真似はやめて」

 顔を歪めて訴えながら、トバリは前へと一歩踏み出す。次こそは間に合うよう、密かに〈魔導法則マギア〉を収束させながら。

「あと少しですべてが終わるのよ。悪魔を倒し切りさえすれば、私たちは魔法少女をやめられるの」

 だから、耐えて。一緒に戦って。

 言外の意味は明らかで、私たちにはもはやそれ以外に頼れるものがなかった。サクラが転化してから三ヶ月のうちに、私たちは五体の〈識別番号付ナンバーズ〉を消滅させた。〈十三番目バラム=ベレ〉や〈二十七番目クンツァイト〉に比べれば、どれもとるに足らない脅威だった。私たちは強くなった。そしてそれと同じだけ、多くのものを背負い過ぎたのだと、思う。

 もうすぐ、あと少しだけ頑張れば、戦わなくて済むようになる。互いにそう言い聞かせながら、別の方向を見たまま悪魔を殺し続けた。〈悪魔の仔ザコ〉を轢き潰し頭部を串刺しにして、核を砕き続けた。いつか限界が来てしまうとわかっていたはずだった。学校からも遠ざかり、憔悴した顔のまま泣くこともなくなった弱虫のマシロを見ながら、いつ自分がそう・・なるかと怯えていたのは、紛れもなく私だったのに。

「こんな私でも、みんなと協力できるんだって、人の役に立てるんだ、ってわかって、本当に嬉しかった。でも、アカネさんが死んじゃって、サクラちゃんもあんなことになっちゃって、それでも、アオイさんとトバリさんがいるから、頑張って、我慢してきたけど──もう、ダメなんだ、私」

「なんっ……ぐ」

 マシロの剣が小さく動くのに気づいた時には、地面から生えた〈透剣〉が私たちの足を貫いていた。〈魔導法則マギア〉の予兆も感じ取れない──マシロが得意とする武装錬成アルケミスムの、異様な特性だった。

「みんなのことが大好きだった。たくさん喧嘩もしたけど、サクラちゃんと仲良くなれて、楽しかった。形は違ったけれど、私もサクラちゃんも……ただ愛して、愛されていたいだけだったから」

 魔法で剣を無理やり砕いたところで、聖堂の四方から突き出した刃の群れが巨壁を作って行く手を阻む。屈折したマシロの像が刃を掲げ、胸元に添えて微笑んだ。「どうか、許して」

「マシロ」足を引きずり壁に縋って爪を立て、けれど、とうに刺し貫かれた肉体は表皮を裂いて内から沸き出る無数の刃に埋め尽くされて、果てには巨大な結晶塊が、空へと向けて屹立する。



 *     *



 現在、魔法少女の活動期限は、多くの場合で一年程度だという。

 〈魔導法則マギア〉が身体に馴染み、魔法から逃れられなくなるのを防ぐためだ。

 深海ふかみアオイと烏珠目ぬばためトバリ。かつて五人だった私たちは二人になってからも戦い続け、合わせて三年近くを魔法少女として過ごした。当時増加の一途を辿っていた第二世代の識別番号付セカンド・ナンバーズが滅びてからも、私たちを求める場所はいくらでもあった。私は少女と呼べる時間のとりわけ繊細な一部を、傷つきたくない誰かのために消費した。アカネならきっとこうしたはずだと、密かに回収した〈契約のアーク〉を撫でるたびに考えていた。烏珠目トバリ──最終的に相方となった陰気な女が何を考えていたのかは、結局最後までわからずじまいだったけれど。

 ある時ふと目が覚めて・・・・・、私はトバリとの作戦行動中に役目から逃げ出した。私の〈分光結界プリズム・アーツ〉は使い方次第ではなんでもできた。魔法管理協会の目を欺くのは難しくなく、唯一懸念していたトバリも、黒い剣が突き立った核から短剣を抜いてからは、どんな行動も起こそうとはしなかった。認識阻害を受けているはずなのにただ黙って私を見つめ、そのまま最後まで立ち尽くしていた。

 十代の未成熟な心と身体に、〝魔法少女〟は重すぎたのだ。

 だからこそ、

 正義のためにアカネは死に、

 終わりを願ってサクラは転化し、

 優しさゆえにマシロは自ら命を絶った。

 トバリは少女の季節を終えた後も、〈魔導法則マギア〉の定着したベテランの魔女・・として、今も魔法災害を殺し続けているという。彼女なら確かにそれもできるだろう。仲間でいた最後の一年、アカネの自己修復と、サクラの砲撃と、マシロの武装錬成で戦い抜いた彼女であれば。

 けれど私には、表に立ち続ける勇気も敵を殺すための暗い情熱もありはしなかった。ただ悲しみがあり、息苦しさがあり、怒りだけがあった。


 だから私は、魔法少女をやめた。


 そして今、寂れたアパートの片隅で、かつての相棒が自分を見つけに来るのを待っている。



 私たち第二世代魔法少女セカンド・マギカが始めたチームでの活動は、それまでフリーランスでの活動が主だった魔法少女に、少人数で連携して戦うことの可能性を提示した。結果として死亡率は大きく下がり、私が残した〈分光結界プリズム・アーツ〉の汎用版である〈多面結界グラス・アーツ〉も、戦闘区域を限定し被害を低減させることに役立っている。

 三年の歳月は私と〈魔導法則マギア〉を分ち難く結びつけ、変身による状態変化も必要ではなくなった。魔法から逃れることは、できなくなっていた。

 魔法少女から逃亡し、魔法に囚われて十年を過ごした。

 その間につくり上げた二つの魔法──転化粒子の一つ一つに極小の遅延結界を張ることで転化を抑制する魔法・・・・・・・・・も、戦闘行為を〝悪い夢〟としてマスキングし精神を保護する魔法・・・・・・・・・も、今ではまだ私しか使えない欠陥品だ。しかし、それでもゆくゆくは、誰もが自由に使えるものとして、すべての魔法少女に公開したいと思っている。



 目を覚ますと、腹の上で寛ぐ三毛猫の姿が目に入る。薄く開けた窓からは涼やかな風が流れ込み、澄み渡る青空をまばらな雲が揺蕩っている。古びた畳の匂いを掻き分けて半身を起こし、猫の位置を腿に移して心地よい背を優しく撫でる。

「お前は、柔らかいなあ」

 呟くと、応じるように一声鳴いて、眠りの姿勢に入っていく。しばらくは、動けそうにない。

 仕方なく腕をのせたちゃぶ台には、吸い殻の積もった灰皿と酒の缶が無秩序に並んでいる。

 そのどちらもが、大人になれた私たちの特権だ。

 窓際にある背の低い棚には、菫青石アイオライトの嵌め込まれた短い杖が横たわり、その傍では、罅割れた紅玉ルビーがガラスの中で光を失っている。私はそれを見つめながら、いつものように、

「いつの間にか、また春になったね。アカネ──」

 窓の隙間に飛び込んできた薄紅の花弁が、微かな虹色を散らして落ちていく。

 今もどこかで、少女たちが戦っている。

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