逆光のヒーロー

御剣ひかる

夕陽が斜め後ろから、その人の顔を隠している

 わたしは小学五年生の時に車にひかれかけた。

 二学期の終業式の日、友達と遊んだ帰り道だった。

 横断歩道の信号が青に変わって、意気揚々と歩きだしたら、右前から車が突っ込んできた。

 事故にあう時には見えるものがスローモーションになるって話を聞いたことあるけど、あれ、本当だった。

 あぁ、わたし死ぬんだ、って思った。

 体に加わる衝撃。

 吹っ飛ばされた。

 目をつぶったわたしを、誰かの腕が包み込んでいる。

「大丈夫?」

 ちょっとハスキーな声に、どきんとした。

 目を開けると、わたしはその人にそっと地面に寝かされたところだった。

 夕陽が斜め後ろから、その人の顔を隠している。

「はい……」

 えっと、どうなったの?

 混乱する頭で、やっとそれだけ応えた。

 その人の口元が、にこりと形を変えた、気がした。

「念のため救急車、警察もお願いします」

 その人は立ち上がって、周りの大人達に声をかけた。

 わたしは体を起こして、地面に座り込んだまま、命の恩人の後ろ姿だけは、しっかりと見た。

 ジャージがオレンジ色に染まっているけど、多分元の色は薄黄色。

 これって近くの中学校のジャージだよね。

 すらっとした人。身長は百六十センチぐらいかな。

「その子も目立った怪我はないようだし、ごめんなさい、塾の時間があるから。後のことお願いします」

「あ、ちょっと、にいちゃん」

 周りの人が引き留めるのにもう一度「すみません」と言って、鞄を拾って走って行った。

 走りながら、ちらっとこっちを振り返ってわたしにも手を振ってくれた。

 やっぱり夕陽で顔はよく見えなかったけど、優しそうな人だと思った。


 そして、あれから一年ちょっと。

 わたしは命の恩人がいるかもしれない中学校に入学した。

 あの時彼が中二か中三ならもう卒業しちゃってるんだろう。

 でもなんとなく、思い出の中のジャージはまだそんなに着古されてなかった、と思う。

 あの時一年生なら、今、三年生でまだ学校にいる。

 そんな話を入学式の日に友達に話したら、じゃあ探してみようよ、ってことになった。

 あれから、警察に自分が助けたって名乗りはなかったんだって。両親が中学校に問い合わせたけど学校側も自分のところの生徒が人助けをしたなんて知らなかったみたい。

 あんまり大げさに騒がれたくないのかもしれないねってお母さんが言っていた。

 でもあれから一年ちょっと経ったし、新しい情報があるかもしれない。

 期待を込めて、先生に尋ねてみたけど。

「あー、君があの事故の被害者か。そんなことがあったっていうのは目撃者からのお話と、ご両親からの問い合わせで聞いているけれど、助けた子は名乗り出てきてないよ」

 もう卒業したのかもね、と先生も言う。

 ……がっかり。

 もういないかもって思ってたけど、手がかりもなにも判らないままだって思うと胸がきゅうっと痛くなった。

 大丈夫? って問いかけるハスキーな声。声変わりの最中だったのかな。

 夕陽に照らされた後ろ姿。スラっとしてるけどたくましく見えた。

 あぁ、わたしだけのヒーローは、これからも思い出の中だけの存在なんだな。

 その時。

「なー、明後日の部活案内の原稿はー?」

「明日にはできるよ」

 あの声だ。

 声の方に勢いよく振り向いた。

 いたっ。この人だっ。

 身長は伸びてる。体つきももっとたくましくなってる。

 けど、男の子にしてはちょっと長い襟足のさらさらの髪と、まだ声変わりの最中なの? って聞きたくなるハスキー声。あの時より低いけど、声の質っていうの? 響きは一緒だ。

 ずっと、ずっと、頭の中で繰り返してた思い出の映像と声を、間違えるわけがない。

 わたし、あの時お礼も言えてない。

 だから今、今、言わなきゃ。

「あのっ、あの時はありがとうございましたっ!」

 友達に話しかけてる彼の正面に回って、頭を下げた。

「えっ、何?」

「おまえ、何したの?」

 先輩達はきょとんとしてるみたい。

 顔をあげる。

 目が合った。

 彼がぎこちなく笑った。

「あー、もしかして、君、横断歩道で車にひかれかけた?」

 やっぱり!

 わたしだけのヒーロー、見つけた!

 思いっきりこくこくとうなずいた。

「えっ、おまえ、助けたのかっ?」

 隣のお友達が驚いている。

「ううん。俺じゃない」

 え?

「できるだけ内緒って言われてたけど、本人が来たんだからなー」

 彼は笑って「おいで」って手招きして歩き出した。

 話の流れからして、この人の知ってる人ってことよね。

 わたしはついていくことにした。

 到着したのは体育館。バレー部が練習している。

「ほのー! お客さーん」

 跳ねるボールの音や部員の掛け声、シューズが床を鳴らす音を突き抜けてハスキーボイスが響いた。

 こっちに振り向いて、歩いてきたのは、うわっ、そばにいる先輩のそっくりさん!

「お客さん? ……あぁっ!」

 見つかっちゃった! って顔をしたのは、わたしの、……ヒーローだった。


「だってさー、男に間違われちゃってたしー。名乗り出れないよ」

 わたしだけのヒーローあらため、わたしだけのかっこいいヒロインは、体育館の外でそういって頭を掻いた。

 それは、ごめんなさい。わたしもそう思っちゃってた。

 けど追い打ちかけるみたいになるから言わないでおく。

「まさかこいつ見てバレるとは思わなかったよ」

「二卵性双生児って似ないっていうのにな」

 こうやって並んでると二人似てるなぁ。

 でも命の恩人のほの先輩はあの時より体つきが女性らしくなってると思うよ。

 これも失礼だろうから言わないでおく。

「こうして会ったのも縁だろうし、一緒にバレーボールやろうよ」

 ほの先輩に誘われたっ。

「でも、わたし、やったことないですよ」

「大丈夫大丈夫、うちの部、エンジョイだから」

 ほの先輩が笑った。

 あの時と同じ、優しい笑顔だった。

 どきんとした。

 この人と一緒なら、楽しそう。

 ヒーローって英雄って意味だよね。

 だったらやっぱり、ほの先輩はわたしの、わたしだけのヒーローだよっ。



(了)

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