ヒロインの名前はしずかちゃん

華川とうふ

小学生のとき、好きだった女の子の名前

「私、自分の名前キライなんだ……」


 彼女がすごく寂しそうにいったのは今でも覚えている。

 自分の名前に好きとか嫌いとか考えたことがなかったからびっくりしたのを覚えている。

 図工の時間だったと思う。

 家から子供のころの写真をもってきて、自分だけのアルバムを作る授業だった。

 学年も終わりに近づいていて、クラスメイトとの日常はちゃんと日常としてしっかりなじんでくると同時に外の空気は恐ろしいくらい冷たかった。


 向かい合わせにした机はお昼休みの後の掃除の時間で一つ一つ濡れた雑巾で拭かれたせいで少しだけ湿っていて木のにおいがしていた。


「なんで、自分の名前キライなの?」


 あまりにも予想外だったので、僕は彼女いったことをおうむ返しのように質問することしかできなかった。


「だって、私の名前ってさぁ〜一緒じゃん」


 そう言って、彼女は僕の机から勝手に青色のクーピーを手にとって、少しだけ端っこが折れた画用紙ににマルを書いて見せた。

 次は黒いクーピーを手にとって目とヒゲ、赤いクーピーで口と首輪……それらはすべて彼女のクーピーではなく、僕の持ちものだった。

 去年の4月にちびた分はママが新品と交換してくれたけれど、思ったほど使わなかったのだった。

 新品の消しゴムを使われるほど嫌じゃないけれど、さすがにちょっと図々しいなと思った。

 だけれど、彼女の机の上のクーピーは箱はボロボロでひしゃげていたし、バキバキに折れているし色も黒や茶色みたいな汚い色しかなかった。

 そうやって見ているうちに、彼女の画用紙の端っこにはどこかで見たことのあるキャラクターらしきものが描かれた。

 正直、めちゃくちゃへたくそだ。

 低学年の子が自由帳に落書きしたみたい。

 塗ろうとした部分は縁取りもせずに濃い筆圧で塗りこめられてはみ出していた。


「これに出てくるあの子と同じ名前じゃん、私って」

「確かに~」


 そんなこと特に気にしたことはなかった。

 あのアニメに出てくるヒロインと彼女はかけ離れすぎていたから。

 あのアニメのヒロインは、裕福な家で、いつもスカートをはいていて、男子ならみんな遊ぶときに仲間に入れてくなるような女の子らしい女の子だった。


「でも、ぜんぜん違うの。それでからかわれる。全然違うって言ってからかうくせに、あの子と同じように男に媚び売ってるっていじめられるの」


 女の子の世界というのはめんどくさそうだなと思った。

 いつのまにか女子はこわい。

 ついこの間まで一緒に遊んでいたような気がするのに、いつの間にか女子だけで教室の隅に固まってひそひそやっている。

 あとは、クラスで一番頭が良くて優しいやつは女子に呼び出されたと思ったら「告白された」とも聞いた。

 しかも、「付き合って」っていったのはそいつのことを好きな女子じゃなくて、別ないつも声の大きな女の子が言ったらしい。

 もう、何を考えているかわからない。


『触らぬ神に祟りなし』


 どこかで聞いた言葉がしっくりときた。

 だから僕は誰の悪口を言わない。

 今日も学校に行かず、家から、いや、部屋からもでてこないお姉ちゃんみたいにはなりたくないから。


「でも、綺麗な名前だと思うよ」


 そう言って僕は彼女からクーピーを取り返して、自分のもってきた写真を画用紙にノリで貼ってその周りに好きなもののイラストを描く作業を始めた。

 集中しているふりをした。

 それ以上、話しかけられないように。

 それ以上、めんどくさいことに巻き込まれないように。

 僕はママを悲しませたくないから。

 だから、その時間の残り彼女がどんな顔をしていたか僕は知らない。


 👓👓👓


 彼女のことをふと思い出したのは高校生になってからのことだ。

 僕は普通の高校生として生きていた。

 ママの、いや、母さんの望む普通の高校生。

 校風がゆるい進学校に通い、友達と寄り道して、彼女も作って。

 そんな、物語にでてくるみたいな、現実というよりも理想に近い高校生活を送っていた。

 僕はちっともそんなことに興味がなかったけれど。

 友達も彼女も作るのは簡単だ。

 相手にあわせて、相手の望む自分になればいいのだから。

 そんな練習は小学生のころからたくさんしてきた。

 そのとき付き合っている女の子は地味だけれど、そつがなく誰からも特に嫌われていない子だった。

 その子が今日マチ子の『センネン画報』を持っていたのを見せてもらった。

 そこには高校生になったのび太くんとしずかちゃんが掛かれていた。

 淡い水色を基調とした儚げなイラストだった。

 どのページもなぜか不思議と心をぎゅっとつかまれる苦しさがあった。

 苦しいなんて感じたのは久しぶりのことで、すごく胸がどきどきした。


 僕は家に帰ると小学生のころのアルバムをめくった。

 自分で図工の時間に作ったやつじゃなくて、一人ひとりの写真がきちんと並べられた卒業アルバム。

 僕の部屋の本棚の一番下の段の左側に中学生のころのアルバムと並んで律儀に並べられている。

 母さんがそうしたのだ。

 だけれど、僕は一度も開いたことがなかった。

 だって、卒業してしまって関わらない人の顔なんて見る必要もないし、関わりのある人は定期的にあっているのだから。


 卒業アルバムは開くと新しい、インクと紙のにおいが閉じ込められていた。

 写真のページには興味がない。

 僕は一番後ろのページを開く。


 確か寄せ書きをしたはずだった。

 クラスの子や隣のクラスの子、別に仲が良くないこでも持って行ってなにかメッセージをもらう時間があったのだ。

 そこが白紙だと、その時間何をしていたのということになってしまうので、僕もとりあえず周りと同じようにクラスメイトたちに「メッセージを書いて」とお願いして、交換するように相手のアルバムにも何かしらそれっぽいことを書き込んだことを覚えている。


 カラフルなペンでいろいろなことが書かれている。

 どれもインクの色と同じくらい浮かれていてくだらない内容だった。


 そのなかで端っこに、


        『私だけのヒーローへ ありがとう』


 と黒いインクの切れかけたかすれたメッセージがあった。

 他のメッセージと違って名前は書かれていない。

 だけれど、彼女の名前だけは一生忘れないだろうと思った。

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ヒロインの名前はしずかちゃん 華川とうふ @hayakawa5

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