第2話 知っています

 私はなぜ――此処にいるのだろうと、思わざるを得なかった。



 私は初めて会ったばかりの怪しげな女に付いて行き、怪しげな部屋へ自主的に入った。その部屋の中は、広い空間ホールだったわけだが。


 ……閉じ込められてもおかしくはなかっただろう。


 事実、ウェイトレス姿の女は扉を引いて、私を中へ入らせたのだ。扉には錠がついているのが、部屋の外からも内からも確認できる。


 ……それなのに。


 私はなぜ――こんな場所へ入ったのだ? そして――



「子供……?」



 ――開け放たれた、広くて真っ白な空間。


 天井は低めだが、面積で言えば申し分ない。そしてその中心あたりには、元気な笑顔を見せる幼い少女の姿があったのだ。


「あー、あの人もナイトメア商会の一員ですよ。幼稚園児ですけどね」

「私、テルルっていうの~。4歳で〰〰す!」


 後ろにいた女が私の隣までやって来て言い、それに続いて少女が名乗った。女は幸い扉に鍵をかけてはいないようだった。


「幼稚園児にまで働かせるなんて……」

「働く……? そんなわけないじゃないですか」


 私が同情するようにつぶやくと、女があっさりと否定した。


「あの子はただ、あそこで立っているだけなんですよ」

「え? 何を言って……」


 ……何のために? 何が目的で、あの子はこの広い部屋の真ん中でつっ立ってるというのだ?


「まぁ……後から分かりますよ。これから深い関わりを持つでしょうから」


 私の考えたことを見透かしたように、女はそんな言葉を吐き捨てた。彼女の姿は私の視界に捉えられていない。私の視線の先には、元気な少女しかいないのだ。


 だが今の私は、少女の笑顔からさえも恐怖を感じ――――冷静な判断を欠いた自分自身に呆れるほかなかった。


「あなたも自己紹介したらどうですか、あの子に」

「あなたこそ私に自己紹介したらどうなんですか」


 さも当然のように女が言うので、さも当然のように私は吐き捨てるように言葉を返した。すると女は私の方へ一歩近づき、自分の顔を私の方へ近づけて、微笑した。そしてすぐに真顔に戻り、何事もなかったように続けた。


「さあ、さっそく本題に入りましょうか。此処が取引所だと言いましたが」


 女はやはり表情を変えない。


「詳しく言えば、最先端の技術を使って――瞬間的にある機械を取り出すんですよ」

「ある機械……?」


 どういうことだ。この部屋には何もない――否、少女も含めた私たちしかいない。


 そして――瞬間的に機械を取り出す、などと言われても、この部屋に機械を持ち込む方法など私たちが入ってきた扉から入るほかにないはずだ。


 瞬間的に――それこそ魔法ではないか。私が無意識にこの建物へ入ってしまったように、彼らは魔法で何でもできるのではないか――。


「………………」

「どうしました? 急に黙ってしまいましたが」


 言葉が出ない。……不安が募っていく。だが、今更変えることなどできるのだろうか。


 私が何も考えず、この建物、そしてこの部屋へ来たのは、私の意思ではない――はずだ。彼らが意識を操れるのならどうしようも……。


「あの、機械のお披露目、もうしていいですか?」

「…………はい」


 少し迷ったが……見るだけなら大丈夫なはずだ。私に何か危害を加えるつもりなら、もうとっくに可能だったはず。


「じゃあいきますよ……」


 彼女は後ろへ手を回し、リモコンのようなものを取り出した。


 そして、ピッ—―とボタンを押した。


「え……?」


 すると、音もなく、重厚な機械――MRIの機械のようなものが立体的に


「これで……どうやって機械を使うっていうの?」


 私は独り言のように呟いた。ホログラムで投影した機械。それはただの映像なのだから、使えるわけがない。私の呟きに笑顔で答えたのは、女――ではなく少女の方だった。


「さっき言ってたでしょ~。最先端の技術だ~って。映像なのに使えちゃうの~!」


「え……どういうこと⁉ どうやって……魔法か何か?」


「ですから……最先端の技術ですと」


 女が呆れたように言った。


「うそでしょ、さすがに……」


 私は驚きのあまり言葉を失い黙りこくってしまった。それに対して少女は心配した様子を見せるが――すぐに前の笑顔に戻り、ただ無言でこちらを見つめていた。


 そんなのはファンタジーだ。不思議現象どころではない。本当はないはずのものに触れる――ただの映像に触ることができるなど……意味が分からない。


「戸惑っていらっしゃるようですが」


「……何ですか?」


「あなたは何も気にしなくていいんです。私たちナイトメア商会は紛うことなきあなたの味方ですから」


「ですからー!!」


 女の言葉に合わせて少女までが声を張り上げた。空間は広いが、声はあまり響かなかった。


「そんなの……」


 あなたの味方――口で言われただけですぐに信じろとでもいうのだろうか。……できるわけがない。そもそも私はここへ来たかったわけではないのに。


「いえ、あなたが来たいと思っているからここへ来たんですよ」


 女は――――言った。あくまで冷静に、淡々と。


「…………っ」


 私の思考が読まれている……のか?


「あれ、そういうことを考えてはいませんでしたか? 何だかあなたはイライラしているように見えるんですが」


 観察力が鋭い? いや、イライラするのは当たり前だろう。私は冷静に――心を落ち着かせて――尋ねた。


「あなた――いえ、ナイトメア商会あなたがたの目的は何ですか? 私をここへ誘導して、何を企んで――」


「誘導など失敬な。先程も言いましたが私たちは味方です。あなたが憎い相手に悪夢を見せて復讐を成功させる――それは私たちがしたいと願っているのではなくて、あなたが望んでいることです」


「望んでない! 望んでないから……っ、今イライラしているんでしょう?」


「いえ違いますよ。あなたは――」


 女性は顎を優しく指でなぞり、少し考えるそぶりを見せた。


「望んでいるのを自覚していないだけですよ」


「違っ……自分のことは自分が一番よく分かってる!」


「いいえ。自分ではわからないことはあります。当然でしょう? 視点が違いますから。よく考えてみてください。自分のことは鏡のような反射する物体がなければ自分の顔を確認することなんてできません。しかし第三者からはすべての行動を観察することができます」


「でも……感情とか……そう、心とか! 自分でしか判らないものも――」


「確かにそうですが、自分だけが自分の全てを理解しているなどということはあり得ません。先程も言った通り、視点が違いますから。第三者からなら客観的に観察できます。自分のことは今あなたが言った心――感情に左右され、客観的に見ることはできません。ですから自分でも気づいていない小さな変化に、他人が気付くということも多いのです」


 私はもう半分諦めかけていた。私が何を言ったところで、結局彼女に言いくるめられてしまう。私は、無力だ……。でも、まだ完全に諦めたわけでは……。


 私は感情――怒りに任せて、叫ぶ。


「だから何が……あなたに何がわかるって言うんですかっ!」

「分かりません。でも――」


 女はまた不敵な笑みを浮かべた。……やはり私は無力だったのだ。何をしても意味がない。


 そしてまた、同じような台詞を吐くのだ。



「――あなたが誰かを憎んでいて、私はその助けになれる、という事なら知っています」



「そんな…………」


 ――その続きの言葉は思い浮かばなかった。口に出してはみたものの、もう言い返しても無駄だと脳が勝手に理解してしまっているようだ。くそ……負けた。負けてしまった。


 そんな私のことなど気にも留めず、女は私の前で直角に頭を下げた。


「先程は無視してしまい申し訳ありませんでした。今度はキチンと名乗らせていただきます。私は――」

「――――――――」

「――菖蒲あやめ 紅莉栖くりすと申します。以後お見知りおきを。それで……あなたの名前も教えてくださいませんか? あの子にも聞こえる声でお願いいたします」

「……わ、わかりましたよ……。私の名前は……」


 ……わかったとは言ってしまったが、何故名乗らねばならないのだろう。知らない人たちに。鍵もかかっていないこの部屋から抜け出すのは意外に容易なのではないだろうか。


「どうしましたか?」

「いや……この建物から抜け出す方法を考えてたんです」

「そうですか。でも無駄ですよ」


「なぜ? 自動でロックでもされたんですか?」

「いえ違います」

「じゃあなんで……」

「そんなの……あなたはまだ目的を果たしていないので帰るわけがないじゃないですか」


 またもやこの美しい女性――菖蒲紅莉栖はこの顔をした。とてもムカッとする顔だ……。そして……



 私はポケットに手を突っ込み、ふっ……と。私は――――軽く嘲笑した。



 ふっ……やはりこの『ナイトメア商会』は面白い。だが裏腹に……非常に冷たく、私がだ。


 そう――私は長年の経験を今経験したことに当て嵌め計算した。そして一つの回答を導き出したのだ。それが、『ナイトメア商会』は『面白い』がである――と。


 私は心中で不気味に笑っていた。それから二人の顔を交互にじっくり眺めて言った。


「――やっと名乗れました。私の名前は、如月きさらぎ 凪早なぎさ


 首を曲げて—―私はまじまじと彼女らを見つめ続けた。



 テルルは何が分かっていない様子だった。そして菖蒲は黙って表情も変えなかった。何か絶対的な策でもあるのだろうか。


 私はズボンのポケットの中身を手で探りながら菖蒲を見つめる。


「それじゃあその機械の使い方でも見せてもらいましょうかねぇ〰〰?」

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ナイトメア商会 星色輝吏っ💤 @yuumupt

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