四章―鬼― 3

「……あれは、前鬼ぜんき後鬼ごきだ」

「前鬼と後鬼って、陰陽道のはじまり、修験道の祖と言われる役小角えんのおづぬが使役していた伝説の鬼ではありませんか! 四百年前の鬼がどうしてここに」

「あれ、でも前鬼と後鬼は夫婦の鬼では? あれはどう見ても双子で」


 菫子は、いよいよ腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。紫檀と紫苑が、そんなに凄い存在だったなんて。知らなかった。可愛い妹や弟のように扱ってきたことに、今更ながら鳥肌が立った。


 夫婦、という単語を聞き、それまで上機嫌だった紫苑が顔をぷくーっと膨らませた。異形の姿でも仕草は変わらなくて、何だか不思議なものを見ている気分だった。


「それ! 役小角が双子だと縁起悪いとか何とか言って、書物には夫婦って書いたせい。そう思ってる人間多くて嫌になるー」

「こんなに広まるとは、思ってなかった」

 紫檀も、しょんぼりした口調でそう言った。


 紫檀と紫苑は、目を合わせて、大きく一つ頷いてから、陰陽師たちに向き合った。

「さて、さすがに全盛期ほどの力じゃないにしても、それでもこの子を護るくらいは出来る」

「帰って」

 紫檀が再び斧を振り上げた。威嚇ではなく陰陽師たちへの攻撃として振るおうとしている。紫苑が、まずい、と声を上げた。


「ちょ、紫檀、久しぶりだから力加減が分かってないんじゃ」

「!」

 もしもさっき地面を割った威力で陰陽師に振るえば、ただでは済まない。人が死ぬところは、見たくない。


「紫檀やめて! 戻って!」

 菫子の声に呼応するように、紫檀がぴたりと振るいかけていた斧を止めた。そして紫苑の作った結界の中に戻って来た。


「紫檀。人を傷つけては、殺めては、だめよ」

「……うん。ごめん」

 目の前まで迫っていた危機が去って、陰陽師たちは安堵の表情を浮かべていた。その中で、新人の青年が声を上げた。


「あの鬼、使役されています! 毒小町の命令に従っていました。見るに、術による契約ではなく、名によるものと思われます。自分に関係のある名を与えて、物の怪がそれを受け入れれば、使役に至るという」

「……ああ。そうだな」

「では、祓う必要はないのでは。野放しの物の怪を祓えとの指令で――」

「静かにしろ! 新人のくせに口が過ぎる」

「も、申し訳ございません」


 いつの間にか紫檀と紫苑を使役する契約をしていたことに驚いた。二人を見ると、えへへー、ごめんね、と返された。騙されたようなものだが、嫌な心地にはならなかった。二人と口約束だけではない、しっかりとした繋がりがあると知り、むしろ嬉しかった。


 ただ、新人以外の陰陽師たちの顔が険しく、渋いものになったことが気にかかった。菫子自身知らなかったとはいえ、使役していたのなら、危険はないはず。


「ああ……そういうこと」

 紫苑が、低い声でそう呟いた。他を威圧するような重さがあった。


「あんたたち、この子があたしたちを使役してようがしてまいが、どうでも良かったんでしょ。物の怪を祓おうとして、抵抗されたから、やむなく殺した、っていう筋書きが最初からあった。だから、対物の怪のものより、対人の武器が多いわけね」

「どうして、藤小町を、殺そうとする」


 斧を持ったままでそう問う紫檀に、陰陽師たちは少し怯んだが、あくまでも毅然として、言ってのけた。


「人を殺すことの出来る者が宮中にいるというだけで、厄介だ。排除すべきだ」

 火が付いたように、紫苑が怒りを露わにした。どん、と水瓶を床に叩きつけた音だけで、空気が震えた。


「あんたたちの持っているそれは何!? 刀も、弓も、人を殺すものじゃない! この子と何が違うの」

「害をなす可能性のある毒小町と鬼を排除する。それの何がいけないというのか。人々は、危険がなくなったと喜び、我らに感謝する」


 正当性はこちらにあると、声音だけでなく、表情や態度からも主張が溢れ出していた。菫子は自分がどのように見られているかを思い知った。ここへ来て、毒の効かない人や物の怪、対等に扱ってくれる人たちに、運よく出会えただけ。それは念誦堂を中心にした、とても狭い世界。


 外から見れば、排除すべき人間。菫子を、毒小町を殺すことは正義なのだ。正義は簡単に、人を殺す。毒と同じように。


「だからって、この子を殺させるわけにはいかないから! 気に入ったから、名前をもらって、ここにいるの」

「僕も同じ。……殺さない、でも、本気でいく」

 紫檀は、再び斧を構えた。


 陰陽師たちは、陰陽頭に指示を仰いだ。陰陽頭は、ぎりぎりまで逡巡していたが、手を前に突き出した。待ってくれ、と示している。


「分かった。我らは退く。無駄な怪我人を出すことは避ける」

「そう」

「ただ、我らが退いたとて、近々正式に処分が下る。どうせそれまでだ」

「ごちゃごちゃ言っていないで、さっさと帰りなさいよ!」


 陰陽師たちの半分は、不完全燃焼だと言わんばかりの顔をしながら帰っていった。もう半分は安堵の表情だった。誰だって死にたくないし、怪我も出来ることならしたくないだろう。


 紫檀と紫苑は、陰陽師が見えなくなったところで、ようやく元の子どもの姿に戻った。やっぱりこの姿の方が可愛らしいし、目線も合う。


「二人とも、ありが――」

「もっと頼りなさい!」

「もっと頼っていい」

 左右から、同時にそう言われて、菫子の感謝の言葉はかき消された。菫子は、目をぱちぱちさせて、呆気にとられている。


「あたしたちは、藤小町が好きで、ここにいるの。いなくなられたら困る。どーんと頼りなさい」

「藤小町は、僕たちの主人。何でも言って。頼って」

「……ありがとう。紫檀、紫苑」


 紫檀と紫苑は、満足げに笑うと、ふらりとへたり込んだ。菫子の膝の上に寝転がるようにして脱力している。


「わっ、大丈夫?」

「久しぶりで、疲れただけ」

「あの姿、ものすごく燃費悪くて。こっちの方が何倍も楽なの。あー疲れた」


 ふと、さっき菫子の言葉で紫檀が動きを止めたことを思い出した。あれが使役の力なのだとしたら。


「ねえ、わたしが命令したら二人とも従わなくちゃいけないの? いいの、わたしと契約なんてして」

「こっちが勝手にしたのに、お人好しね。強い命令じゃなければ強制ではないから。今までだって気ままにやってるでしょ、あたしたち」

「契約をしたいと、思った人にだけしてること。最近はずっと二人だけだったから、久しぶり。楽しい」


 二人がそう言うのなら、気にせずにこの繋がりに甘えていようかな、と思った。二人の頭を撫でたら、嬉しそうに笑い返してくれた。あの陰陽頭の言い残したことは気になるが、今は、笑顔で。

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