第38話 一瞬の油断


 「ほぅ、とうとう剣を使う気になったか。………なるほど、これ以上の攻撃は受けきれないと踏んで次の一撃に懸けるか、小僧。潔良し。ならばその心受けてやろう」


 ゾンダンはミドリの覚悟を決めた構えを見て彼もまた剣を構えた。


 「ミドリも次の一撃に懸けているのだろうけど、あの構えはなんだ。あれでは速度で負けてしまわないか…………」


 アンリはミドリの構えの不自然さに驚いた。


 ゾンダンは鉈のような剣を両手に持ち、体の正面に構えているのに対し、ミドリは腰を落として剣を鞘にいれた時のような場所に構えている。それは居合切りの構えだったが、それを分かる人間はこの場にはいなかった。


 「その構え、初めて見るぞ………。我流か」


 「……日本流だ」


 「面白い。初めて聞く」


 ゾンダンとミドリは静かに互いの間合いを正確に目で図りながらどちらかが動き出すのを待っている。


 一撃で決めに行く場合、先に動いた方が負ける。ミドリは直感で理解し、ゾンダンは経験において理解していた。


 森は静まり返り、賊もアンリもただ黙って向かい合うミドリとゾンダンに惹きつけられていた。この勝敗がほとんどこの場での勝敗を決すると言っても過言ではない。


 風が木々の葉を揺らす音だけが森の中をこだまし、辺りは静寂に包まれる。


 勝負は一瞬。最後までこの極限の状況で集中力を保ち続けたものだけが勝つ。


 そしてそれは突然やってきた。


 いくらゾンダンがミドリよりも戦闘における経験値が豊富とはいえ一瞬の油断は誰にでも訪れる。


 ゾンダンは緊張からか剣を握る手に手汗が出始め、それが気になったのか柄を握る手を少しだけずらした。だがそれもほんの一瞬で、ゾンダン自身も無意識のうちに行ったことだったに違いない。


 だがミドリは極限状態の中でその僅かな手の動きを見逃さなかった。


 ミドリは限界を超えた足で素早くゾンダンの懐まで踏み込んだ。


 「先に動いたのはミドリだ!速い!あの距離を一瞬で!」


 「ゾンダン!剣で撃ち落とせ!」


 両者の味方からそれぞれに対する檄が飛ぶがそれは二人には届かない。


 ゾンダンは無意識とはいえ、手汗が気になり柄を握る手をずらしていたためにミドリの踏み込みに頭では反応していても体は直ぐに反応できなかった。


 ミドリも無意識ではあるが、完璧に居合切りと全く同じ要領で下から剣を抜き放つ勢いでほんの一瞬反応の遅れたゾンダンの右腕を素早く下から切り上げた。


 ゾンダンの右腕がぼとりと地面に落ちる。


 激しい血しぶきが舞い、ゾンダンは苦悶の表情に顔をしかめる。


 「か、勝った。ミドリが勝った!」


 静まり返ったその場の沈黙を破ったのはアンリの声だった。


 「ヤバい、ゾンダンが負けた今俺たちにあいつに勝てるやつはいねぇ!ずらかるぞ!」


 賊のリーダーはこれまでの威勢のよさはどこへ行ったのか片腕を落とされたゾンダンを置き去りにして残った人間を集めて森の中へと逃げていった。


 「汚いぞ!逃げるのか!!」


 ミドリもアンリもこれ以上戦闘を続けられれば辛い戦いになるため、正直な所助かりはしたが賊の仲間を見捨てて逃走する様にアンリはそう言わざるを得なかった。


 ミドリは落とされた右腕の前で地面に膝をつきうずくまるゾンダンの前に立っていた。


 「小僧、私の負けだ。一瞬で勝負が決まる状況の中で少しの油断と慢心がこの結果を生んだ。言い訳の余地なし。………さぁ、首を落とすなり、体を切り刻むなり好きにしてくれ」


 ゾンダンは素直に負けを認めて潔くミドリの前に頭を突き出した。右腕を落とされた状態で、加えてこの出血ではもはやまともな戦にならないことは明らかである。いくらミドリが疲弊しているとはいえゾンダンが巻き返す未来は恐らくない。


 「いや、俺にこれ以上お前をどうこうする意思はない。その右腕は十分すぎる代償だろう」


 「小僧、後悔するぞ。それはこのゾンダンを生かしたことではない。私はもう貴様にはたとえどんなことがあろうと手出しはしないことを誓おう。だがな、敵に対して情けをかけるその姿勢はいつか身を亡ぼす。人を斬れない剣士は戦場では致命的だ。今のも腕ならば死なぬと分かってわざと腕を狙ったな」


 ゾンダンは息も切れ切れに何とか言葉を絞り出す。

 

 「確かに俺は人を斬ることを躊躇った。だけど、そもそも俺たちは人と戦うために旅をしているわけじゃない。こんなことは稀だ。人を斬る必要はどこにもない」


 「小僧どこの出身だ」


 「一応ニルディだと言っておこう」


 「ニルディか…あの外れの村か。ならば世情に疎くしても仕方あるまい。ニルディはこの時代では奇跡と言っていいほど平和な唯一の村に等しい。ここまで旅をしているのならばもう薄々気づいているのかもしれないが、この国も他の国も基本的に戦乱の時代だ。いつもどこかで紛争や戦争が起きている。そんな状況で争いが起こらないはずがない。男ならば誰しもが剣を持つ時代だ。お前らもそれを分かって武器を持っているのではないのか」


 「いや、これは旅立つときに持たされたものだ」


 「そうか………ならばそれを持たせてくれたものに感謝するのだな。きっとそれを持たせてくれた人間は外の現状がこうなっていることは知っていたのだろう。今の時代丸腰じゃ格好の的だ。前にこのゾンダンを盗賊の真似事だと言ったな。それは認めよう。だがな、今は盗賊など可愛いものだ。これまで普通に生活していたものが次の日には貧窮に喘いで剣を持って戦う世の中だ。ニルディの方角は確かにまだ穏やかな街や村が多いがこれより東に向かえば向かうほど状況は酷くなる。覚悟することだ」


 「何の覚悟だ」


 「もちろん、人を殺す覚悟だ。メトラムが隣国のサンスベールと戦争をしているのは言うまでもないがそれによって国内の紛争だけでなく敵国の兵士たちが街に進行してきて突然争いが起きることもしばしばだ。そんななか生き残っていくには人を斬らないなんて綺麗ごとを貫いていれるほど生易しい世界ではないということだ。世情に疎ければ仕方のないことなのかもしれないが、忠告だ」


 「忠告はありがたく聞いておく。鵜呑みにはしないがな」


 「話を全部信じる方が危険だ。その姿勢は大事に持っておけ。………もう行け、私に対するこれ以上の慈悲は必要ない」


 ゾンダンはミドリが自分を斬る意思がないと分かると反対手で追い払うような仕草をした。


 「あぁ、行くさ。あんたも、その右腕に懲りて盗賊なんか辞めることだな」


 ミドリがそういうとゾンダンは少し笑ってから仰向けに地面に倒れこんだ。


 「アンリ行こう」


 ミドリは呆然と立ち尽くしていたアンリに声をかけてその場を後にした。


 

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