第20話 血煙


 「なんだこの化け物は…………。こんなものが存在していいのか…………」


 「しかもこんな動物の顔は存在しない、化け物だ…………」


 ミドリとアンリは見たこともない動物のような化け物の顔に恐怖で縮こまってしまった。


 「いや、違うわ。本で見たことある。この化け物の顔は、絶滅危惧種のサイガ…………」


 しかしルナはこの動物を知っているようだった。山羊のような角に異様に進化した鼻、本当にこのような動物がいるのかと疑いたくなる見ためをしている。


 「…………ニンゲンの小娘よ、サイガを知っているとはな……。だが、知っていたところで無意味。貴様ら三人とも今から儚く散るのだ」


 巨大化していよいよ完全に化け物の体と化したものは三人に対して威嚇するように再び吠えた。


 「お前はどうして人間の言葉が喋れる!あのシルグとかいう妖魔の仲間か!お前は何者だ!」


 ミドリは化け物に対して問いかけた。


 「……ほぉ、何者かと問う前に自分の名を先に言うのが礼儀ではないのか。……だがまぁいい。我の名はビッグロープ、妖魔などという卑俗なものと同列に並べられるとは酷く不愉快極まりない。この私は妖魔やジンルイなどはとうに超越した存在、この世界が示した奇跡である」


 「この世界が示した奇跡、だと」


 「有り得ないわ、こんな化け物が存在していいはずが無いもの……」


 アンリもルナもビッグロープの放った言葉をにわかには信じられないようである。この点においてこの世界に対しては全てが初めての体験となるミドリの方が受け入れるのが早かった。


 「ビッグロープとか言ったか、どうして俺たちを攻撃する!その場を去ろうとした俺たちに鍾乳洞の結晶の柱を投げつけてきたのはお前からだぞ!」


 「ふむ、貴様のその疑問は正しいようで正しくない。貴様は子供の頃に道を歩いている蟻を踏んづけてみたことはないか?そしてそれは正しいこととは言えないまでも悪いことでもない。踏んづけてみたくなる心理も十分に理解に足るものである。私が貴様らを攻撃したのはその感情と何一つ変わらない。それだけのことだ」


 「僕たちはお前にとって道を歩く蟻と変わらないってことか…………」


 「私たちはこれ以上もう攻撃しないわ!お願いだからここから逃がして!」


 「…ここから逃がせ?それはもはや有り得ない選択肢だろう。貴様らは私を傷つけた。状況は既に後に引けない状況に陥っている。ここに足を踏み入れたこと自体を後悔してくたばるがいいッ!」


 ビッグロープはそういうと両手の拳を地面に勢いよく叩きつけ、咆哮した。巨大化し力を増したその拳は洞窟の地面を大きく揺らし、咆哮は空気を振動させ、三人の肌をビりつかせている。


 もはや交渉や和解など許される状況では無いことは三人も理解していたため、すぐに後ろに下がってビッグロープとの距離を取った。


 「逃げても無駄だぞォッ!!ニンゲンッ!!」


 ビッグロープは叫びながら両腕を大きく振り回して洞窟の壁を破壊しながら進んでくる。壁にぶつかるたびに洞窟を壊して崩れて土煙が舞って三人にはビッグロープの巨大な影だけがぼやけて見える。


 「どうするのアンリ、ミドリ!これじゃ逃げることも出来ないわ!」


 「ルナはとにかく下がって!ミドリも怪我がこれ以上悪化しないようにできるだけ後ろに下がるんだ!」


 「アンリ、お前はどうするつもりなんだ!」


 「僕にはまだ武器があるッ!」


 アンリはいつ集めていたのか矢の入っていない矢筒に手を伸ばすと、尖った石や鍾乳洞の結晶の欠片を取り出した。そして背中に背負っていた弓にそれらをかけると次々とビッグロープめがけて放っていった。


 濃い土煙が舞ってはいるものの、洞窟を埋め尽くすほどの巨体になっているため矢から放たれたものが外れるということはないが、正確に急所を狙うことは難しいし、第一きちんとした矢を五本も放ってほとんど無傷だった相手に対して石ころをぶつけても、いくら高速とはいえ大したダメージになるとはアンリ自身思えなかった。

 

 「ニンゲンよ!それだけかッ!」


 やはりアンリが放った石は全くの効果を得られなかった。


 ビッグロープは低い声で不気味な笑い声をあげて暴走しながら進行を止めない。


 「駄目だ!攻撃が効かない!」


 「アンリも逃げて!」


 アンリは絶望して足が止まってしまっているのをみてルナは必死に呼びかける。アンリは正気を失ってはおらず、彼女の声はしっかり届いていて、ハッとしてすぐに後ろへと後退したが、彼が後ろに下がると同時にミドリとすれ違った。


 「ミドリ!何…………」


 アンリは逃げようとしないミドリに対して「何をしているんだ、早く逃げろ」と言おうとしたが、彼の横顔を見て思い出した。「逃げても意味はない。逃げることは何の解決策にもなりはしない」ミドリはそう言っていた。そして彼の横顔からは覚悟が見て取れた。


 「貴様は先程から私に怪我を負わせているニンゲン……。無謀にも殺されに来たか…」


 「あぁ、お前からは逃げても仕方ないことはよく分かった。逃げても戦っても殺されるなら俺は逃げない!最後まで足搔いてやるさ!」


 「逃げぬというのか…哀れなニンゲンの子よ。ならば後悔する暇さえ与えずに葬り去ってくれるッ」


 一瞬ビッグロープの暴走が止まった瞬間にミドリはまたしても壁際へと駆け出し、近くの鍾乳洞の結晶の柱を蹴り飛ばして剣にした。右肩からは血が滲み出ているがもはや彼から痛みという概念は消えている。巨大化け物を前にしてアドレナリンが大量に放出され、ハイになっていて脳内の色々なリミッターが外れてしまっている。


 ミドリは剣を取り素早くビッグロープに接近すると、その剣を振り上げて脚の脛辺りを切りつけようとしたが、土煙の中から巨大な拳が飛び出してきてミドリの体に直撃した。


 「ぐがぁッ!…………オエぇッ」


 土煙で間近まで迫っていたビッグロープの攻撃を察知することができなかったミドリは体にまともに拳を受けてしまい、数メートル吹き飛ばされてしまった。一瞬呼吸が止まり、息を吸えるようになると胃からこみあげてくるものが食道を通り口から飛び出した。


 今の一撃であばらの骨が数本は折れてしまい、呼吸もままならない状況になってしまったがミドリは何とか剣を支えにして立ち上がった。


 「…………ふん、まだ立ち上がるか」


 「当たり前だ……」


 今の一撃と、ビッグロープが攻撃を止めた数秒の間で土煙は立ち消え、再び攻撃が繰り出されようとしているが今度は拳が飛んでくるのがしっかりと確認できた。ミドリはそれを目で捉えると躱すのではなく剣で拳を受けた。化け物じみた、というか完全に化け物の力の拳を剣で受けるだけでもまた吹き飛ばされてしまいそうになったがミドリはなんとか堪えることに成功した。


 「ぬぅ…………」


 拳を剣で受け止められてしまったビッグロープは攻撃を加速させ、最初に壁を乱暴に殴りつけていたように、それを今度はミドリに対して両腕を振り回して攻撃を始めた。


 滅茶苦茶に拳を振るっているように見えるが、その照準は正確にミドリを捉えている。


 だがミドリはその全てを正確に見切って剣で全て受けている。


 その度に吹き飛ばされそうになるのを何とか重心を低くして耐える。


 この極限の状態がミドリの反射神経や動体視力、肉体の限界を超えさせていた。


 数十発に渡るビッグロープの拳の雨はさらに加速し、蒸気のような白い煙を腕から出しながらミドリに降り注ぐ。


 ミドリにはどこにそんな力が隠されていたのか分からないが、やはりその拳も全て剣で受けている。


 剣と拳の応酬は激しく目にもとまらぬ勢いで繰り返され、剣と拳がぶつかるたびに衝撃波のような空気の波が洞窟中に伝播し、土煙が彼ら二人の間で舞う。


 アンリとルナはその人間離れした戦いをただ黙ってみていることしかできなかった。


 「すごすぎる…………ミドリのどこにこんな力が。ミドリはもう限界のはずなのに……」


 「私には何が起きているのかさっぱり分からないわ。ミドリはどうしてあんなにも勇敢に戦えるの…………」


 ミドリとビッグロープの攻防はとどまる所を知らず、時間が経つとともに二人の拳と剣がぶつかる速度が速くなっている。そして激突を繰り返すたびに血しぶきが舞っている。


 「血が出てるわ………!」

 

 「いや、あれはミドリの血じゃない、ミドリは衝撃を受けてはいるけれど剣で全て受けきっている。あれはビッグロープの拳に剣が少しずつダメージを与えているんだ!ミドリは攻撃を受けているだけじゃない!」


 ビッグロープの拳は血に濡れ始め、舞う土煙が次第に血煙へと変わっていく。


 しかし既に限界を迎えているミドリの体も悲鳴を上げていた。


 「ここまでとは驚いたぞ……ニンゲン。私の拳をここまで受けたニンゲンと出会うのは久しい…。だが、先にも言ったようにニンゲンであるが故に貴様の肉体は限界を迎えているのではないのか」


 「……超えてやるさ、限界くらい」


 「ならばもっと楽しませろッ!」


 ビッグロープはいつ倒れてもおかしくないミドリに向かって今度は拳ではなく頭に生えた巨大な角をミドリに突き刺すように頭突きを繰り出した。


 ビッグロープの巨大なサイガの頭部は風圧で轟音を轟かせながらミドリの体めがけて接近する。


 「……ッ!角は避けれても頭突きをまともに受けてしまう!ミドリッ!!」



 アンリもルナももう助からないと覚悟して目を伏せた。


 ドスンという鈍い音がして辺りは静まり返った。


 アンリとルナが目を開け、視界を遮るほど舞った土煙が晴れると、そこには巨大なビッグロープの体が洞窟に横たわっている。


 瞬時に状況を理解できずにビッグロープの倒れている身体を見ると、頭の上に人が立っているのが見えた。

 

 「…………ミドリ、なのか」


 そこにはビッグロープに結晶の剣を脳天から突き刺したミドリの姿があった。

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