七十億総ヒーロー時代に中指を立てて

雪車町地蔵

第一話 ヒーローとは私を救うものである

 全身タイツの不審者だってヒーローだ。

 ××きょうじん特有の怪力で、飲んだくれを叩きのめす奴だってヒーローだ。

 金と、暴力と、笑っちゃうけど正義の心があれば、人は誰でもヒーローになれる。


 そう、いまや七十億総ヒーロー時代。


 この世に、ヒーローじゃない人間なんていないし。

 それはひるがえって、悪党じゃない人間もいない、ということを意味していた。


 当たり前の話だ。

 悪役がいなければ、ヒーローなんて必要ない。

 秘密結社でも戦争請負人でも薬物の密売人でもなんでもいいが、そいつらを叩きのめすのがヒーローの仕事であり、それ以上は誰も求めていない。


 彼らをたたえるものはいないし、迷惑にすら思うものもいる。

 中には、ヒーローが出しゃばらなければ、悪役だっておとなしくしてだろうに、なんてことを言う奴もいる。


 くそくらえだ。


 ヒーローがいようがいまいが、弱者は食い物にされる。

 だから、弱者はより弱いものを食い物にする。

 そいつが世の摂理せつりだ。


 私だけのヒーロー?

 ちゃんちゃらアハハだね。

 ……いるもんかよ、そんな都合のいい存在が。


 誰もがヒーローになれるってのは。

 誰もが正義面せいぎづらで他人をぶん殴れるってコトだ。


 暴力の質や種類は問わない。

 金銭でも権力でも超能力でも、それこそ筋力でもいいわけ。

 自分より弱い奴を殴りつけたとき、アンタは立派なヒーローだ。

 本当、糞食らって思うよな。

 胸くそが悪くなって仕方がないよなぁ。


 きっと、初めはこうじゃなかった。

 弱きを助け、強きをくじく――そんなヒーロー達もいたんだろう。

 でも、いつの間にか世界は、勧善懲悪を、単純な構造を許してはくれなくなったんだ。


 正義の反対は、また正義である。

 これは別段真理でもなんでもない。

 否定しようと思えばすぐさま否定できる。

 だが、相手がヒーローを名乗るなら別だ。


 ヒーローは、正義の味方であり。

 正義そのものである。

 彼らの振り上げた拳は、神の裁きそのものなのだから。



 ……さて、前置きが随分長くなったが、私の話をしよう。


 私はちっともヒーローではない。

 しいたげられる一市民というところだろう。

 父親がアル中で、母親がネグレクト気味で、電波を嫌い自然を愛する、そんなどこにでもある平凡な家庭に生まれた。


 小学校に居場所はなく、話しかけようものなら露骨に無視され、机の上に落書きだとか花瓶だとかを飾られたりする。

 なぜかノートや消しゴムはよく無くなるので、両親に買い直してもらうことになるが、それすら頬をぶん殴られるのと一セットだ。


 教師というものに相談したこともあるが、返ってきたのは私にも悪いところがあるのだろうという答えだけだった。


 なるほど、迂闊うかつにクラスの人気者より速く走って見せたとか。

 テストでいい点を取ったとか。

 そういったことを悪いというのなら、私は甘んじていまの境遇を受け容れるしかないのだろう。

 なんとも理不尽にしか見えないこの生活を、幼い私が経験値にすべき社会経験として享受きょうじゅすること――これが大人たちの解答である。


 糞食らえ。


 しかし、しかしだ。

 いまの私の境遇が、主観的にどうあれ。

 ヒーローなのは、周囲の方なのだ。


 先生は仕事を完璧にこなし、自己批判も出来ない愚図ぐずな私を教えさとすヒーローだと自分を信じてやまない。

 学友達は異物を排除するために団結した、自らたちこそが弱きもの。クラスの輪を乱す私へと鉄槌てっついを下すヒーローだと自認してはばからない。


 そこにあるのは、とろ火のように生温い正義への情熱というやつだ。


 彼らは悪と戦っているに過ぎない。

 七十億人類全てがヒーローで、私だけが悪党なのだ。


 まったくもって、馬鹿馬鹿しい。

 決め台詞よりも呆れて笑いが出てくる。


 そんな笑い顔が気持ち悪いと小突こづかれる。

 だが、そうか。

 この顔は、気持ち悪いのか。

 それならば、私もいい加減、身の振り方を考えるべきだろう。


 この日から、私は笑みを絶やさぬことにした。

 ニコニコ、ニコニコと、なにがあっても笑うことにした。

 他の感情など全て笑顔の仮面で塗りつぶした。


 初めこそ気色悪いと嘲笑あざわらわれ、変わらぬ暴力の応酬を受けていたが……やがて彼らは、私を遠巻きにしはじめた。

 私に触れることを嫌がった。


 事態は解決などしなかったが、硬直状態におちいった。

 当然だ。

 おまえたちがヒーローならば、私にだってヒーローがいてもいいだろう。

 他の誰もが私の敵ならば。


 私自身が――私だけのヒーローになればいいのだ。


 暴力によって悪党を叩きのめすのが、ヒーローである。

 ならば、自分にとっての不都合を、自力で破壊するのもヒーローの仕事だろう。

 幸いなことに、私は〝相互確証破壊〟という概念を知っていた。


 相手が絶大なる暴力に打って出たとき、こちらは無事であった全ての暴力によって相手への報復を行う。

 私は、自身が触れれば危険なナニカであると、彼らに印象づけたのだ。

 下手に手を出せば、その喉笛を食い破る用意はあるのだと。


 それから私の人生というやつは、皮肉でしかないが順調に回り始めた。

 中学受験も、高校への進学も、そこから先も。

 私は、私のやりたいことを押し通すことが出来た。


 すべてはこの武器えがおが、支えてくれたことだった。


 ……いや、もっと正しく言い換えよう。

 私はかつて憎んだ、唾棄だきすべき、ヒーロー達と同じものになったのだ。

 自分よりも弱いものを食い潰し、正義を押しつける側の人間へと成り果てたのだ。


 そうして、解った。

 だれも強くなど無かったのだと。

 そこに、力など介在かいざいしなかったのだと。


 あったのは、自分の弱みを相手に悟らせまいとしてかぶる、仮面ペルソナだけだったのだと。


 まったく、なるほど確かに、かつての恩師は正しかった。

 私の側にも、食い物にされる理由はあったわけである。

 ジャングルで裸で横になっていれば、猛獣の餌になるのは目に見えている。アリンコだって、私の肉のおこぼれをほしがりたかってくるだろう。

 世界とは、それだけのことでしかなったのである。


 かくて、私は今日を生きている。

 醜悪なヒーローのひとりとして、世界に埋没しながら。

 私だけは、私の味方ヒーローであり続けながら。


 ……教訓じみたことを言うつもりはないし。

 誰もそんなものは求めていないだろう。


 だが、私がヒーローである以上、お説教というやつは必要だ。お約束というのだけは、守らなくてはならない。


 だから、最後のここだけを、〝きみ〟は聞いてくれればいい。


「生きろ。生きて、生きて、生き抜け。世界はくそったれで最悪だが……だからといって、〝きみ〟が死ぬほどじゃない」


 だから、生きろ。


 気取りすぎじゃないかって?

 ああ、そうだろうね。

 気取りもするし、綺麗事も言う。

 なぜなら私は――ヒーローだから。


 ほんと、うん、らしくない。

 こんな自分に、糞食らえと言ってやりたい。

 ……でも、〝きみ〟は生きろよ。


 たぶんそれが、食い物にされない奴ヒーローの、条件ってやつだからさ。

 きっと〝きみ〟も、ヒーローになれるから。


 なあ、私を助けると思って、生きてくれよ、ヒーロー? 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七十億総ヒーロー時代に中指を立てて 雪車町地蔵 @aoi-ringo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ