思慕はそうして怨嗟となる

蕃茉莉

思慕はそうして怨嗟となる

 傾きかけた友人の店のコンサルを終えた帰り道。俺は宿に荷物を置いて、夕食をとろうと外に出た。

 掘っ立て小屋のような食堂を見つけて中に入ると、席はほとんど埋まっていて、空いているのは大きなテーブルの一角だけだ。

 テーブルに座っていたのは十人あまりの男たち。仲間なのか顔見知りなのか、がやがやと食事をしながらてんでに話をしている。カウンターで受け取ったパンとスープをテーブルに置き、失礼します、と声をかけて、ひとつだけ空いていた席に座ると、三十半ばの男が声をかけてきた。大きな声と、童心を残したようなきらきらとした目がやたら印象的だ。彼が、このグループのリーダー格らしかった。

 行きずりの者同士のありきたりのやりとりをかわし、あとはさっさとスープとパンを食べて席を立つ。にぎやかな場所も、知らない人と話すのも苦手だから、早く外に出たかった。

 喉が詰まるような勢いで、ぱさぱさのパンを薄い塩味のスープで飲み込み、じゃ、と周囲に挨拶して外に出ると、ちょうど夕闇が天から地に降りてくるところだった。

 宿に向かって歩くにつれ、店の喧噪が遠ざかる。急に、心がしんとした。


 助けてくれと言ってきたのは、友人のほうだ。商売がうまくいかない。このままでは潰れてしまうからアドバイスが欲しいという。手紙を受け取ってすぐ、俺は勤めていた職場に休みの相談をした。だが聞き入れてもらえず、口論になった。出ていけ、と言われて辞表を出し、寮を引き払って旅に出た。布袋に一つだけの荷物をかついで町を出ると、七日の道程をかけて友人の店を訪ねた。

 友人は、最初諸手を挙げて歓迎してくれた。なのに、コンサルが進むにつれて態度を固くしていった。自分のやり方を否定されたような気持ちになったのかもしれない、といま振り返ると思う。

 助けてくれ、というのは、俺の思うとおりになるように助けてくれ、という意味なのだと。

 もう帰ってくれ、あとは自分でやるから、と言われて、初めて気づいた。


 友人を失い、仕事も住まいもなくした。帰ったら就職活動だ。やれやれ。

 宿のベッドに横になり、目を閉じる。行きには友人が気がかりで心がせいたが、もう急ぐ理由もなくなった。これからどうするか。眠れないのは、部屋のかび臭さだけが理由ではなかった。


 翌朝、宿を出ると、すぐ向かいの宿から、がやがやと人が出てきた。昨日食堂で会った連中だと、リーダーを見て気づいた。それぞれ荷物を担いでいる。連中も旅の途上らしい。

 通り過ぎようとしたのだが、リーダーがこちらに気づいて声をかけてきた。無視するわけにもいかず挨拶をすると、リーダーは、どこに行くのか、と尋ねてきた。人なつこい様子で聞かれて、俺は、家に帰るところだ、と答えた。答えながら、どこに帰るのだろう、と自分でも思った。


 住まいはない。仕事もない。身寄りもない。あの町に、帰る理由はあるのだろうか。ただ生まれたところ、というだけのことが、帰る理由になるのだろうか。

 なんとなくリーダーと話していると、後ろで仲間が困惑した声を出している。どうやら宿賃が計算と合わないらしい。聞いてみると、両替の時に余計に手数料を取られているようだった。

 見過ごすことができず、宿に交渉して金を返金してもらうと、リーダーが、儲けたな、と言う。いや、儲けたんじゃなくて、あるはずだった金ですよ、と言うと、あんたは金勘定が上手らしいな、と感心された。

 ばかばかしい。こんなものは金勘定じゃなくて、ただの計算だ。連中はこんな様子で旅をしているのだろうか。そんなことで、先行き不安にならないのだろうか。

 他人事ながら、あまりのどんぶり勘定具合に憤慨していると、リーダーが、一緒に来ないか、という。

 あんた、金の管理が得意みたいだから、助けてくれないか。俺たちはどうもそういうことが苦手で。


 そういう生き方もありか、と思った。どうせ帰る場所もない。しばらく、連中が経理を覚えるまで、面倒を見てやるというのもいいかもしれない。

 いいですよ、と言うと、リーダーは飛び上がって喜び、俺をハグした。

 あんたみたいな人が欲しかったんだよ。助かるよ。

 しん、としていた心が、満たされるように思った。


 リーダーは、今流行の巡礼者。辻説法をして献金で暮らす。話が上手で、一緒にいる連中が食うものに困ることは滅多にない。たいした才能だなと思った。

 その反面、金銭管理のへたくそさは想像以上だった。リーダーは、金がなくなれば天からなにかが降ってくるとでも思っているらしい。宵越しの金は持つな、着替えなんかなくてもいい、万事がそんなふう。他の連中も似たり寄ったりだから、金銭の扱いには、はらはらし通しだった。

 リーダーの言う通りにしていたら、たちまち俺たちは干物になってしまうから、俺は集めた献金を管理して、必要な金しかリーダーに渡さないようにしていた。献金は、その日過ごせるだけの額で報告して、あとは収入の少ない日のためにプールしておく。経営の基本中の基本だが、連中はそんなことすら思いつかないほど浮世離れしていた。だから、それまでは、ある日は贅沢三昧、ある日は宿に泊まれず野宿、極まると草を煮て喰う日もあったりしたらしいが、今はそんなことはない。

 リーダーは、それがどのような仕組みでそうなっているのかわからない様子だったが、助かるよ、といつも言ってくれた。

 あんたが来てくれてから、なぜか食事と宿金に困ることがない。俺たちは運がいい。あんたがいないと旅を続けられないよ、と。


 リーダーの説教を聞きたがる人々が、次第に増えていった。それにつれて献金の額も増えていったが、それ以上に支出が増えることが多くなった。

 なにしろリーダーは大盤振る舞い。いつだったかは、広場を埋め尽くす群衆にパンと魚を配れと言い張った。パンは五つしかありません、魚は二匹しかありませんと言ったのに、いいから配れという。仕方ないから大急ぎで買い足しに行った。それでみんなに行き渡ると、みろ、足りただろう、と言う。冗談じゃない。俺の苦労をわかってくれ、というと、リーダーは、そうか、悪かったな、と笑う。

 俺はそういうことがわからないから、あんたに任せるよ。あんたに任せておけばうまくいくからな。


 説教を聞きたがるのは貧乏人ばかりだ。いつの時代も、ふつうの人間が信仰を深めるのは人生の危機にあるときだから、豊かな信者なんてそうそういやしない。たまにいたとしても、リーダーが金を貶めるようなことを言うもんだから、ぷんぷん怒って去られてしまう。そういう時に信者をなだめて、とりなしをするのも俺の役目だった。

 苦労三昧。時に、なんで俺はここにいるんだろう、と思うことがある。行きずりの関係だったはずなのに、いつの間にかどっぷり集団に入り込んで、だれも引き受けない苦労を一人で引き受ける羽目になろうとは。

 そう思いながらも、ここを離れることができなかったのは、リーダーのきらきらとした目と、不思議な力のこもった言葉所以だ。

 助かるよ、あんたしかいないよ。

 そう言われることが、何よりの報酬だったのだと思う。


 だが、どうやらこの集団は大きくなりすぎたらしい。

 世間を煽動するテロリストではないか、と当局が怪しみ始めたようで、あちこちで当局からの風当たりがきつくなってきた。

 説法をしていると追い払われる。難癖をつけられる。そんなことが増えて、献金もなかなか集まらなくなった。俺はそれでも必死にやりくりをしていたが、ついに資金の底が見えてきて、宿のランクを落とさなくてはいけなくなったり、食事を切り詰めなくてはいけない時がやってきた。

 リーダーに話すと、おまえに任せるよ、とその時は言われた。そういうことは、おまえが一番よくわかってるからな。


 だが。他の連中はそうは思わなかったようだ。

 もともと、俺だけが金銭を管理することに不満を持っていたやつもいた。俺だけが出身地が違うことにあてこすりを言うやつもいた。それを、俺は気にしたことはなかった。リーダーが信じてくれているなら、それでいいと思っていた。


 その朝、俺が支払いと両替を終えて最後に宿を出ると、仲間がリーダーに俺の悪口を言っているのが聞こえた。

 あいつは金をごまかしている。一人にだけ金銭管理をさせるのは不正のもとだ。これからは交代で管理するのがいいのではないか。

 そして、リーダーは、

 そうだな。

 と言った。

 心が、ずんと重くなったように感じた。


 その日の夕刻、宿で食卓につくと、一人の女が香油を持って入ってきた。そして、もてなしなのだろう、高価な香油をリーダーの頭に注いだ。俺は思わず、もったいない、と舌打ちした。ずっと資金繰りに苦労していたから、咄嗟に、それを売ればまたしばらく旅費の足しになる、と思ったのだ。

 だが、リーダーは俺を叱った。

 この女を困らせるな。俺を歓迎してくれてるんじゃないか。

 他の連中も、口々に俺を非難した。お前はだいたい吝嗇すぎる。そうやって金をためているはずなのに、その金はどこに行ったんだ。俺たちに不自由させて、お前は横領しているんじゃないのか。

 リーダーは、何も言わず香油をささげた女に祝福を授けている。

 俺は、黙って席を立ち、金袋をテーブルに置くと宿を出た。リーダーは、俺を止めなかった。


 もう人を信じるのは凝りていたはずなのに。

 俺の思うとおりになるように助けてくれ。

 人は、そういうものだと。知っていたはずなのに。


 俺は、宿を出たその足で公安の窓口に行った。


 翌日、俺は公安の連中と一緒に宿に向かった。ちょうど連中が宿から出てくるところだった。

 これほどまでに心惹かれた人はいない。これからもいないだろう。だから、これで終わりにしよう。

 この人は死ぬだろう。俺は後を追おう。そうすれば、わかってもらえるかもしれない。俺がごまかしなんてしていないということを。


 俺はリーダーに近づき、ハグをすると、頬に口づけした。


「お元気で」

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