ユグドー、空を見て考える編

「うん? これは、トボの茶葉……。ターブルロンド産のお茶……」


 ベトフォン家の執事から出されたお茶を飲んで、ディアークが怪訝そうにつぶやく。


「さすがは、ベッセマー家のご嫡男。しかし、その茶葉は少し改良を加えたものですよ。ターブルの土臭さもなくなっているでしょう?」


「ああ、それで飲みやすかったんですね。ターブルロンドのものは、鼻が曲がるほどの……」


 ディアークの灰色の瞳は、遠くを見ているように感じる。ディアークの故郷とターブルロンド帝国は、ながらく戦争をしていた。


 ユグドーは、ディアークの黒い部分をはじめてみたような気がして、少し怖さを感じた。悪意や暗い感情ではなく、明確な殺意だ。


「ユグドー? どうかしたのか。呆然としてるし、具合でも悪いのか?」


 心配そうにユグドーを見つめるディアークの瞳は、いつものように戻っていた。


 ユグドーは、ディアークとの付き合いの中でターブルロンドへの『復讐心』を感じた記憶はない。


 ディアークの過去を考えれば、雪辱を願っていてもおかしくはないのだ。


 なにか声をかけたほうがいいだろうか。友人として、力になりたい。ユグドーは、言葉が浮かばずにもどかしい気持ちになる。


「大丈夫だよ。ディアーク……。その故郷の……」


 ユグドーは、言葉を続けようとしたがドアが開く音で、さえぎられた。


「ふたりとも、すまないね。待たせた。マリエルに出産の兆しが見られたんだ。ユグドー、君のおかげで良い場所で子供を生むことができる。ありがとう。……ユグドー、マリエルも同じ気持ちだ」


 ユグドーは、顔を伏せる。ふたりに喜んでもらえたことが、とびはねたいくらいに嬉しかった。


 ディアークのあの瞳を見たあとでは、素直に感情を表現できない。


 ノルベールは、手に持った透明の物体を見つめた。形からして水晶のようだ。何らかの魔術具?


「今すぐに、大霊殿に来てほしいところだが。そうも行かない。もうすぐ、ここに陛下がいらっしゃる。大霊殿への道の整備は、もうすぐ終わるだろう。君たちに手伝ってもらいたいことがあるんだ。……大霊殿への入り口の警備だ」


 ノルベールの口調に苛立ちを感じる。国王の到着は、想定よりもはやかったのではないか。


「……ル様っ!! ノルベール様っ!! はあ、はあ、現在、動員できる騎士や騎士見習い。はあ、兵士などの配置を開始しております。陛下は、い、今どのあたりですか?」


 ジェモーの特区長が、慌て顔をのぞかせた。肩で激しく息をしており、顔面はアンデッドのように青ざめている。


「特区長。陛下一行は、キュートの丘越えに入った。事前に連絡をしてくださればいいものを……。住民は、家の中へ。誰ひとり出さないようにな。ギルドの冒険者どもは、連合支部内に閉じ込めておけ。古都ジェモーへの出入りは完全に禁止する。このふたりにも、大霊殿の警備を頼んでいる」


 ジェモー特区長は、お辞儀をする鳥のようにノルベールからの命令を聞いている。


 ユグドーは、何故か不安になって窓の外を見た。さきほどまで、晴れていたはずなのに灰色や黒の濃厚そうな雲が垂れ込めている。


「よし、ディアーク、ユグドー。すまないが、もう少し力を貸してもらうぞ。これが、最後だ。私とともに大霊殿がある高台の下へ来てほしい」


 ノルベールは、執事に耳打ちをする。何を話しているかは聞こえなかったが、執事は顔色ひとつ変えずに部屋を出ていった。


「さあ、行こう。時間がない……」


*


 ノルベールは、頻繁に空を見上げている。天気を気にしているのだろうか。妻が出産間近で、大霊殿にいるのにそちらの方は、気にしているようすはない。


 ときより、馬に乗った騎士たちがノルベールに報告に来ては去っていく。それすらも、どうでもいい感じの対応だった。


「……ユグドー。人げ……いや、生き物に名付けをしたことはあるか? それこそ、魔物でもいい」


 ノルベールは、警備の任についてから何も話しかけてこなかった。ユグドーは、唐突すぎる問いかけにどう答えていいかがわからない。


「分からないです。覚えている限りではないと思います。どうして……」


 こちらを見つめるノルベールの目は、少し悲しそうに見えた。どう反応したらいいのだろう、とディアークを見る。


「ノルベール閣下、質問の意図をご教授下さい」


「ああ、そうだな。急に……こんなことを言われても理解できるはずもない。すまない。忘れて欲しい」


 ディアークは、言い出せないユグドーに変わって疑問を口にする。しかし、ノルベールからの答えは謝罪だ。ますます謎が、深まるばかりである。


 再び、空を見上げる大貴族の表情は、曇り空の写し鏡のようであった。


 遠くから音が聞こえる。次第に大きくなって反響していく。住民や冒険者がいなくなったジェモーの町で、聞こえていた馬や騎士たちの声は、一瞬で聞こえなくなる。


(ラッパの音……。そう、ラッパの音だ)


 金管楽器の響きが、大きくなるたびに巨大な蛇のような列が近づいてくる。



***



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 運命の予言は、この世の中にあふれるほどにある。それらは、予言の書として後世に伝わっていく。予言なのだから、伝わらなければ意味がない。


 何よりも、当たらなければ意味がないのだ。何千何万枚の予言の書は、当たらなければ焚書される。そうして、本物だけが残っていく。


 私の手元にひとつの予言の書がある。タイトルは、運命の日だ。この書には、ふたりの赤子がイストワール王国に変革をもたらすと書かれている。


 この手の予言は、精霊世界リテリュスだけではなく異界にも溢れていると聞いたことがある。


 ふたりの赤子だけで、何が変えられるのだろうか。世の中の仕組みを変える革命は、たくさんの血を流させる。


 そうして、ようやく国を世界をもゆっくりと変えていくのだ。


 この予言が示した運命の日は、ユグドーの青年時代と同じだ。私の手元には、運命の日と書かれた予言の書が現存している。


【ユグドー、空を見て考える編】完。

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