ユグドー、白壁を見上げる編

 古都ジェモーには、古い建物が誇り高くそびえ立っている。だからこそ、ベトフォン邸がより目立って見えるのだ。


 ユグドーが、ジェモーに来たときにこの建物をはじめて見てすぐに分かった。


 赤い屋根を使用した白亜の豪邸。イストワール王国では、王族に連なるもの以外が建物に赤い色を使用することを禁じている。


 つまりは、王家とベトフォン家以外が、使用することの出来ない色なのだ。ベトフォン家の私邸であることは、誰にでもわかることだろう。


 ユグドーは、毎日仕事から帰宅するときに遠くに見えるベトフォンの別邸を見つめていた。幼少の頃、自分を救ってくれたベトフォン家への恩に感謝をしながら……


 ユグドーたちを乗せた馬車は、白亜の豪邸の門扉の前で止まった。馬車のドアが、開けられる。


「いらっしゃいませ。ディアーク様とユグドー様ですね。旦那様が、お待ちです。こちらへどうぞ……」


 イストワールの国章が、日差しを反射して光った。重厚かつ繊細な細工に施された鎧を着た騎士だ。


「ユグドー。行こうか。まあ、堂々と胸を張れよ。な?」


 ディアークは、笑みを浮かべて立ち上がる。馬車から降りると、ユグドーに手を差し出してくれた。


「ありがとう。ディアーク……。貴族の邸宅は、はじめてじゃないよ。でも、そう。緊張はしてるよ」


 ユグドーは、ディアークの手を握る。ゆっくりと馬車から降りると、足が地面に触れる寸前に少しだけ震えた。


「開門っ!!」


 騎士の声が、ユグドーの耳を驚かせた。門扉は、音を立てて左右に開いてゆく。


(この中に……マリエル様がいるんだ。今度こそ。誰かの何かになれたって実感が欲しい)


 ユグドーは、歩きかたを忘れたかのような不自然な歩調になった。


 あの日、巫女姫リリアーヌの破魔大祭の日のことを思い出した。もし、あのときにリリアーヌを救出していたらどうなっていたのだろう。


 大きな白壁が、遠くに見えた。穢れのない精神が、日差しを受けて輝いているようだ。


「ユグドー、やっぱり怖いか?」


 ディアークの忍び声に、ユグドーは驚いて彼の顔を見た。うつむき加減にユグドーを見ている。


「いや、大丈夫。そう、大丈夫だよ」


 ふたりの間に入った騎士は、先に進むように促してきた。不安に思う必要はない。今回は、やり遂げたんだ。ユグドーは、自分に言い聞かせる。


 長い石路の両脇には、庭園が広がっている。赤系の花が多く咲いているのは、ベトフォン家の象徴の色だからだろう。


 ここは、貴族の中の貴族であるベトフォン家の邸宅。現当主であるノルベールとその夫人マリエルが待ってくれている。


 本来ならば、自分が存在していい場所ではない。ユグドーは、幼少の頃にもらった。ベトフォン家の金貨を握りしめる。


 門口の扉が、重量感のある音を立ててゆっくりと開いた。


 ユグドーを出迎えたのは、エントランスの奥に見える赤い絨毯の敷かれた階段だった。


 ホールには、きらびやかな調度品が並べられたテーブルが、等間隔で並んでいた。細やかに細工が施された天井には、リテリュスの地図が描かれている。


「す、すごい。王都でもないのに……。これが、別邸なんだね。僕が、お世話になったブレ男爵の……」


 ユグドーは、個人名を出してしまったことを後悔して口を閉ざした。


「ん? 男爵家と公爵家では、地位が違いすぎるからな。でもな、王都に邸宅がある時点で、普通の貴族ではないんだぞ」


 ディアークは、ショーケースに入った調度品を眺めながら呟くように言う。


 ユグドーは、あまりにも真剣なようすのディアークが気になって、近づこうとする。


「いらっしゃいませ。本日は、ご足労いただきありがとうございます。旦那様より、客間にて待つようにとの言付けでございます。こちらへどうぞ……」


 エントランスの奥の扉から現れた男の声が、ユグドーの足を止めた。服装からして執事だろう。


「ええ、分かりました。ユグドー、行こう。……あまりキョロキョロしても……な」


 ディアークは、ユグドーを手招きしながら執事に近づいていく。心なしか、表情が暗く見える。


 ユグドーは、ショーケースの中身が気になったが、足早に進むディアークを追いかけることを優先した。


「いやはや、良い買い物をした。龍族の角笛が本当に実在していたとは、流石はベトフォン家ですなぁ」


 ユグドーの頭上から声が聞こえてきた。見上げてみると、恰幅のいい中年が角笛を大切そうに抱え込んでいる姿が見える。


 その中年の後ろには、複数人の執事がいた。


 逆光で顔がよく分からない。恰幅のいい中年は、エントランスに響き渡る声で笑いながら階段を降りてくる。


「ずいぶんと下品な笑い声だな。ベトフォン家の屋敷には不相応な輩だ。ユグドーは、余り見るなよ」


 ディアークは厳しい顔つきで、階段の踏み面を豪快に音を立てて降りる恰幅のいい中年を睨んでいる。


 ユグドーは、その顔つきに尋常ならない感情が込められているのだと察した。ディアークを落ち着かせようと近づく。


「おや? 来客ですかな。おふたりも、ご商談ですかね。良いモノ、素晴らしいモノは……全てベトフォン家に集まるもの。良き買い物ができることを願っていますぞ。そうそう、ゴキゲンついでに、ひとつアドバイスを……」


 恰幅のいい中年が、階段の手摺を握ってこちらを見下ろしてきた。


 ギラギラとした目付きは、まるで戦いに勝って戦利品を求める騎士のように見えた。ユグドーは、下腹部に違和感を覚え、息を止める。


「おふたりが、旅人ならすぐにジェモーを離れることをオススメしますぞ。何やら、天気が良くない……。ワシ……。いや、ワタシは、これから港街アジルに向かうつもりぃ。縁があったら、次は商談の場でお会いしましょうぞ。それでは」


 恰幅のいい中年は、一方的にまくしたてると階段を降りていく。角笛を掲げると「良い、良い」と悦に入ったようすで開かれたドアを通った。


「龍族の角笛……。骨董商か何かか? 俺たちとは無縁だな。ユグドー、行くぞ」


 ディアークは、鼻を鳴らすと執事がドアを開けて待つ部屋へと入っていった。


(天気が悪くなるってどういう意味だろう。それにあの角笛……。ただの骨董品とは思えない。僕の中の悪魔が、騒いでる感じがする。でも、声は……)


 ユグドーは、閉められた玄関のドアを見つめながらお腹に手を当てた。



***



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 私は今、港街アジルにいる。潮騒を聴きながら、ユグドー求道譚を執筆しているのだ。


 手元には、壊れた角笛の欠片が置いてある。友人の商人から譲り受けたモノだ。ただの骨董品となった欠片を見つめながら、筆をにぎる。


 『ショギョウムジョウ』とは、異界の言葉だ。


 ここ、港街アジルは『ショギョウムジョウ』が集まる場所と言えるだろう。


 この角笛の欠片には、どんな思いが残っているのだろうか。


 今や、音を響かせることのできない角笛はまさに『ショギョウムジョウのヒビキアリ』である。


 【ユグドー、白壁を見上げる編】完。

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