ユグドー、魔物のようなもの編

 長く反り返った脚は、あらゆる物を切り裂く異国の太刀のようだ。


 それが、堕竜の返り血で黄金に染まっていた。


 地面をはうたびに、重量感のある音を発している。大蜘蛛は、ゆっくりとユグドーに近づく。


「君は……。そうか。大霊殿に住んでいた大蜘蛛? いや、似てるだけなのかな」


 ディアークが、剣を構えてユグドーの前に立とうとしたが、反射的に片手で静止する。


「ユグドー……こいつは、魔物じゃねぇか。でも、ただの魔物が堕竜を倒したのか??」


 大蜘蛛は、歩みを止めない。ユグドーを見据えて、さらに近づいてくる。


 ディアークは、構えた剣を落とした。素早く剣をひろおうとするが、何度か落としかける。


 慌てたようすで、再び剣先を大蜘蛛に向ける。


 疲労なのか焦りのためか、額から汗がながれ呼吸も荒い。魔術具もない状態だ。無理もないだろう。


 ユグドーは、大蜘蛛を見つめた。魔物は、人間と違い個体差が分かりにくい。


 あの大霊殿にいた大蜘蛛なのか。もし、そうならば堕竜を倒した理由も納得はできる。


「ユグドー……。怪我はないか。ワタシだ。あの劣悪なる巣窟より、魂の故郷に帰してくれた。ありがとう。ユグドー。あの堕竜を仕留めて恩を返した」


 大蜘蛛の表情は、変わらない。けれども、ユグドーとの再会を喜んでくれていると伝わってくる。


 大霊殿を「劣悪なる巣窟」と言ったことをリュンヌ教国が、知れば大変なことになるだろうが。


 さらには、魔物が長年に渡って巣食っていた事実があきらかになれば……


 ジェモーの歴代都区長は、その墓まで壊されることになるだろう。


「ユ、ユグドー……。魔物が……人の言葉を??」


 ディアークは、手に持った剣とともに力なく地面へと崩れる。


 リテリュスにおける魔物は、言語能力を持たぬ凶悪な獣程度に考えられていた。


 貴族階級において、平民を侮蔑するために「魔物と変わらない」は常套句になっている。


 だからこそ、ディアークにとっては、衝撃なのだろう。


 大蜘蛛が話をするというのは、ユグドーの純粋さから聞こえた幻聴くらいにしか思っていなかったのではないか。


「怯えなくていい。ワタシは、人を襲わない。誓った。ユグドー、あの龍族に似て非なるもの。その体内に持っていたものだ……」


 大蜘蛛は、腹の内皮から黄金に光る宝珠を取り出して、ユグドーの前に置いた。


 宝珠からあふれだす禍々しいオーラは、黄金という高貴なる色と噛みあっていない。


 違和感が、宝珠に力と特異な意味を与えていた。ユグドーの中に眠る悪魔の力と同じ気配だ。


「ディアーク、これが……なにか分かる?」


「おい、そんなの手に持って大丈夫か? 堕竜の体内にあったやつなんだろ? その形は……」


 ディアークの青ざめた顔が、不安気にこちらを見つめてくる。


 その様子から、大蜘蛛を見ないようにしているのが察せられた。


「多分……だが。龍核だろうな。普通に人間が触れていいものじゃない。俺らで言ったら……心臓みたいなものだ。龍核は、力の源とも言われている」


 ユグドーは、黄金の蝦蟇の力について考えた。悪魔の力がなくとも、空を飛ぶことのできる翼。


 大蝦蟇に擬態できる能力。いや、もっと可能性のあるものがある。


「黄金化。黄金色に変える力じゃないかな?」


 ユグドーは、大蜘蛛の鎌脚を見つめる。日差しを反射する見事な金色。


 黄金の蛇竜の体内にある宝玉に触れたために黄金化したのだろう。


 少し動かしにくいようだが、痛みは感じているようすはない。


 そうだ。この宝珠を使えば目的は、達成できる。大霊殿を黄金に染めることができるだろう。


 ただの自己満足のために?


 ユグドーは、浮かんだ感情に少しとまどった。意味はあるはずだと、自己反論する。


「ユグドー、おかげ、安住の地を得た。感謝している。いつでも、訪ねてほしい……」


 大蜘蛛は、ディアークに鋭い眼光を向けた。なにか言いたいことがあるのだろうか。


 ユグドーには、その目の奥から異質な感情のようなものを感じたが、言語化はできない。


「ユグドー、早く戻ろうぜ。ここに長居すべきではないだろ? 黄金の蝦蟇以外にも化け物がいるかも知れないぞ。あの山は……創世記時代からの」


 ディアークの指差す先、雲海をつらぬく大山が見える。異様に動く雲が光を発していた。


 先ほどまでは、見られなかった光景だ。そして、雰囲気である。


 微かだが、ものの焼ける臭いが鼻をかすめた。ユグドーが視線を戻すと、もう大蜘蛛はいない。


「とにかく、俺の許容範囲はとうに超えてるぞ。ユグドー、魔物と会話したこと……。あれは、忘れた方がいい。ベトフォン家くらいだよ。あんな現象を受け入れられるのは、な」


 ディアークは、深く息を吐くと剣を鞘に納める。大蜘蛛への警戒心から解放されたのだろう。


 ユグドーは、ジェモーの方角を見た。目的は達成したのだ。あとは帰るだけである。


(……あれは?)


 鳥が、ジェモーの空を飛んでいた。群れなのだろうか。その数は、異様なまでに多かった。


 悪寒が走る。


「どうした? ユグドー。何かあったのか?」


「……鳥が……見たこともない群れで……飛んでるんだよ。何かあったのかな」


 ディアークは、ユグドーの横に並んで視線の先を見ている。


 目を細めるが、表情は変わらない。


「別に気にすることはない。よくある大移動だろ? 魔物に住処でも追われたんだな……」


 ディアークは、抑揚のない口調であっさりと言い終えると「行くぞ」と歩き出した。


 ユグドーは、小さく頷くと先を行くディアークの跡を追いかける。


 黄金の堕竜が消えた静かな湖畔に、さざ波が見えた気がした。


 ユグドーには、オロルの山が、何かをささやいているように感じられたのである。



***



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 異界には、逆鱗に触れるという言葉がある。


 逆鱗とは、龍の顎の下の鱗らしい。私には、リテリュスにおける龍玉のことではないかと思うのだ。


 リテリュスにおける龍の体内には、龍の心臓ともいえる「龍玉」がある。


 ともに、外からは見えないところにある龍の宝ともいうべきものだ。


 ユグドーが手に入れたと伝えられる黄金色の宝珠なのだが。現在は、その行方は分かっていない。


 玉に念ずれば、龍の奇瑞を起こす魔導具の素材としても注目されている。


 しかしながら、龍族はリテリュスの生態系の頂点に立つ存在。


 龍の宝珠を持つものは、極めて少ない。何故なら、龍族の里で厳重に保管されているものだ。


 以前、説明をした「黄金」こそこの龍の宝珠に当たる。


 龍族にとっては、頂点の証であり、神からの贈り物なのであろう。


 【ユグドー、魔物のようなもの編】完。

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