ユグドー、思い出の選択肢編

「久しぶりだね。そう。五年ぶりだよ」


 ユグドーは、注文した水が出る前にディアークのテーブルまで近づいた。


 こみ上げてくる言葉を、喉の奥に詰まらせる。


 ずっと気になっていた。今、目の前に、こんなに近くにいる。無事だったのだ。


 同じ名前の他人ではない。近づくたびに確信になる。


 綺麗に切りそろえられていた白銅色の髪は、不揃いで肩まで伸びている。


 しかし、意思の強そうな灰色の瞳は、五年前の面影があった。


「五年? 二十年だろ。ユグドー、全然変わってないじゃないか。おいおい、成長期は、どうしたんだ」


(そうか。僕の竜宮島での時間は、リテリュスだと十五年経ってることになるんだ)


 ディアークは、酒杯を持ったまま顔を近付けてくる。彼の顔が動くたびに、酒の匂いがした。


 頬の傷が痛々しい。でも、それが彼に野生的な凄みを与えていた。


「ケッ、で。なんだ? 負け犬を二十年ぶりに笑いに来たのかよ……」


 ディアークは、言葉を吐き捨てた。再び、席に付くと隣に座る女性の肩に手を回す。


 女性は、怯えたように肩をすくめる。


「ディアーク。その人、嫌がってるよ。やめてあげたら?」


 女性は、ユグドーを見ると首を横に振った。その首には、魔導具がはめられている。


 ユグドーの声が聞こえたのだろう。他のテーブル席から嘲笑が返ってきた。


「ユグドー、ユグドー。お前、変わってないな。まだ色んな意味で坊やなのか? こいつらは、お仕事なんだよ。これで、家族を養ってるんだ。お前、ここが終わったら、俺の相手をしろ」


 女性は、俯いたまま頷いた。ユグドーには、言葉の意味は分からなかった。


 しかし、ディアークが当てつけで言っていることは、よく分かる。


 馬鹿にした口調。その表情。ディアークに何があったのかは、分からない。


 彼は、何かに挫折したのだろう。


 きっと、輝いてた頃のディアークを知るユグドーには、会いたくはなかったのだ。


 それは、理解できる。


「ユグドー、悔しくないか? お前は、馬鹿にされてるんだよ。ここにいる奴らに。俺にも、な? もう帰れ、これから、お楽しみなんだよ」


 ディアークは、女性の腕を掴んで立たせた。周囲の囃し立てる声と女性の悲痛な顔。


「ね、ディアーク。仕事をしない? 僕も一緒に。大霊殿をかた……ぐっ。掃除をするんだ。今も十分綺麗だけどさ。王妃様とマリエル様に元気な子を産んでもらうためにもっともっと綺麗に。やりがいのある仕事なんだよ?」


 ユグドーは、苦笑いを浮かべた。


 危なかった。大霊殿の内部のことは、誰にも言ってはいけないことだった。


 ディアークと、あの頃のディアークと話をしたくて必死になってしまったのだ。


 挫折を経験したと仮定して、そのせいでこのような容姿に成り果てたとしても。


 生き甲斐を持てば、やる気を出してくれるのではないかと考えたのである。


「ユグドー、やっぱ。お前には、酒場は合ってない。ここには、来ないほうがいい。どけ、俺のお楽しみの邪魔をするなよ」


 冷たい目が。しかし悲しい瞳が、ユグドーを見つめていた。


「分かったよ。でも、ディアーク。その女の人に服を買ってあげてよ。そんな薄着じゃ……。可哀想だ。これで……」


 ユグドーは、テーブルに銅貨を三枚並べた。嘲笑は、更に酷くなる一方だ。


 俯いたままのディアークに「またね」と声をかけて店を出ようとした。


「坊や、水よりミルクはどうだい?」


 マスターに声をかけられたが、丁寧に断った。嘲笑は、店を出てからも聞こえるのだった。


 ✢


 ユグドーは、諦めなかった。毎日のように、酒場を訪れた。ディアークには、煙たがられた。


 客からは、相変わらずの嘲笑を受ける。でも、それも段々になくなっていった。


 ユグドーに飽きたのだろう。


 マスターの態度も、柔らかくなった。


 マスターにとっては、ユグドーのような人間は、珍しいのだそうだ。


 ✣


「ディアーク、掃除はもう終わるよ。でも、何かが足りないんだ。ベト……。いや、その……。黄金のような大霊殿にしたいんだけどさ」


 一方的な話。ディアークは、いつも俯いたままでそれを聞いていた。


「お貴族様の手先になって羽振りがいいな。ここにいる女どもに服代まで払うんだからな……。ユグドー様とでも呼ぼうか?」


 ユグドーは、ディアークの嫌味を微苦笑で返した。


 席に座る女性を見回してみる。服代を渡したのに、薄着のままである。


 それは、彼女たちの選択なのだろうか。それは分からない。


 もっと分からないことがある。


 ディアークと、昔のように話すにはどうすればいいかということだ。


「ディアーク、僕はリュンヌ教国から逃げるために、リトゥアールを離れたんだ。返事をしなくてもいい。これまでに何があったのかを聞いて欲しい」


 当然、ディアークからの返事はなかったけれど、彼は酒杯をテーブルに置いた。


 ユグドーは、リトゥアールを出てからの話をはじめる。


 小さな漁村での日々。シードラゴンとの出会い。リュンヌ教国との戦い。


 海との別れ、そして逃亡。


 ユグドーは、神罰執行対象にされたことも隠さずに話をした。


 巫女姫リリアーヌを見たときの不思議な感情。彼女との間に起こったこと。助けられなかったこと。


 島流しにされたこと。


 十五年間の孤独──ユグドーの心は、悪魔によって凍らされていた──に耐えたことを話す。


「僕は、リリアーヌを助けたいと思った。でも、なぜ助けたいのかを答えられなかった。だから、駄目だったんだと思う。結果は、島流しだ。僕は負けたんだ。僕らは、似てると思うよ。ディアークは、自分を負け犬だって言ったよね? ぼくだってそうさ。僕のことを笑う?」


 テーブル席には、ユグドーとディアークしかいなかった。


 酒場は、いつの間にか閉店していたのだ。


 ディアークは、深いため息をついた。


「ユグドー、後を追わなかったこと。もっと、ユグドーの話を聞いておけばよかったな。それに、愛だの恋だのと語り合っていればよかった……。そうしたら、違う結果もあったよな」


 ディアークは、酒杯を覗く。ゆっくりと酒杯を揺らした。意を決したように自分の頭にかける。


「何が、未来の家族だっ。大切なことを語り合ってもないくせに。自分の成功のことで、頭がいっぱいだったんだ。俺を追放したマーティン公国に後悔させてやるってな。大切な仲間、友、全て失ったよ」


 ディアークの目は、ガラス玉のように光を放つ。そこから、一筋の雫が流れた。


 それは、酒なのだろうか。ユグドーには、分からない。


 ディアークには、まだ迷いがある。感じる。挫折から立ち直れていないのが、理解できた。


「ユグドー、すまなかった。もう、俺なんて捨て置いてくれ。ここで朽ち果てていくのが、お似合いなのさ。でもな。お前は、幸せにならないとな」


 ユグドーは、閃いた。勢いよく立ち上がる。


 今こそ、消去法の選択だ。かつて、ディアークが、ユグドーにやったように。


 食器を洗いながら、わざとらしい鼻歌を歌うマスター。ユグドーは、三つの飲み物を注文した。


 もう、とっくに閉店しているのだが、マスターは注文を受けてくれたのだ。


「ディアークを立ち直らせてやってくれ。アンタならできるよ。でも、この飲み物をどうするんだ?」


 マスターは、戸惑い気味に水とミルクと酒をトレイの上に置いて、ユグドーに渡してくれた。


「ありがとうございます。思い出話をするんですよ。彼を立ち直らせるために」


 マスターは、まだ当惑気味だったが、ディアークのことをユグドーに頼んできた。


 ディアークは、見た目も心も変わってしまった。

 

 でも、誰かに好まれて何かをしてあげたいと思わせる魅力は、変わっていなかったのだ。


 ユグドーは、とても嬉しかった。


「ディアーク、今から三つの選択肢を出すよ。まずは……」


 ユグドーは、酒をディアークの目の前においた。


 これを飲めば、自分を変える機会と勇気を永久に捨てることになる。


 続いて、ミルクを置く。


 これを飲めば、ユグドーとディアークが決闘をして、負けたほうが奴隷になる。


 最後は、水だ。


 これを飲めば、ユグドーとディアークは家族になる。失われた二十年を取り戻すために。


「ディアーク、決めるんだ。どれにする?」


 ユグドーは、真剣な気持ちで、ディアークを直視する。ディアークは、ユグドーから目線をそらした。


 ディアークの手は、水の入った酒杯と酒の入った酒杯の間を彷徨う。


 不意に手を止めたディアーク。


「あぁ、俺が教えた消去法のやつかよ。これ……」


 ディアークは、感慨深げに、三つの酒杯を見つめる。そして、大きな声で笑う。


 その目、瞳の奥に、再び生気の灯火が燃えていた。


「いいぜ、ユグドー。選んでやる」



 ✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 ファミーリエ傭兵団の最後と、唯一の生き残りの末路について語ろうと思う。


 彼らの死地は、城塞都市リトゥアール。


 結成以来、ターブルロンド帝国相手に連戦連勝。白銀の狐などと呼ばれて恐れられた。


 ファミーリエ傭兵団のほとんどが、マーティン公国の騎士で構成されている。


 彼らは、団長ディアーク・ベッセマーの部下たちだった。


 上官の不興を買って、身の危険を感じたディアークは、イストワール王国の誘いもあって亡命。


 彼を慕って、後を追ってきた部下たちとともに傭兵団を旗揚げした。


 その理念は、家族の家を作るというものだ。


 これは、ディアーク・ベッセマーの父母の最後の言葉に由来する。


 ディアークの父母は、戦地にあって逃げ遅れた平民を庇って死亡した。


 ベッセマー家は、弱者に対しては、親のようにならなければならないと教える。


 ディアークは、幼少の頃。両親の墓前に「自分たちを求める人の父親になろう」と誓ったのだ。


 その最後は、まさに理念を叶えた形だった。


 リトゥアールを攻める不死魔王の軍勢。生者の生きる気力を奪う「死の気配」。


 彼らは、それに打ち勝って多くの民間人の盾になったという。


 一人を残しての全滅だった。


 生き残ったディアークは、何度も何度も死を望んでは、不死魔王の軍勢に対して無謀な戦いを挑んだ。


 しかし、死ぬことはできなかった。


 ノルベール・ベトフォンが、不死魔王の軍勢を打ち破ったとき、ディアークの姿は消えていたという。


 古都ジェモーに流れ着いた彼は、次第に自堕落な生活を送るようになった。


 彼は、家族とその家を失ったのである。


 【ユグドー、思い出の選択肢編】完。

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