草叢の白骨に一輪のお花を供えましょう

わら けんたろう

第1話

 繰り出しあゆみとりおきて~、生まれた儘のさらば垣~♪

 おせさっ、よーいさっ。


 あたしは最近花街で流行りの歌を唄いながら、堺の街の外にある久米寺へ向かう。

 そのお寺にある三昧堂近くの草叢くさむらに、姐さまが眠っている。


 今日は、姐さまにお花を一輪お供えしに行くつもり。それは、あたしの名前と同じお花。


 お堂の周りには、あたしよりも背の高いススキやよもぎがたくさん生えていた。お寺の屋根では、真っ黒なカラスがこちらを見てガァガァ鳴いている。


 あたしは、草をかき分けながら進んでいく。


 白い経帷子きょうかたびらを着て横たわる姐さまの姿が見えてきた。

 あたしは姐さまに駆け寄った。


 けれども姐さまを見て、あたしは息を呑んだ。胸がどきんとして、両足ががくがくと震えている。


「う、うそ……、そんな……」


 目をぎゅっと閉じて、首を左右に振った。怖くなって、二、三歩後退りした。

 躓いて尻もちをついて、そのまますわりこんだ。


 あんなに綺麗だった姐さまが、信じられない姿になっている。


 絹のような黒髪は、そこいら辺に生えているよもぎみたいにぼうぼうだ。

 雪のように白かった肌も、青く腫れあがっている。

 花のような顔は、腐ってしまって酷い匂い。

 ぽてりとした唇も、ただれて血が流れ出している。


(これが、堺住吉高須さかいすみよしたかすの遊女のなかで、いちばん綺麗だった姐さまなの?)


 目から涙が溢れ出してくる。


 七日前、そこに横たわっていたのは、確かに姐さまだった。

 だって、あたしは、あのときちゃんとこの目で見た。


 でも、ここにいるのは、あの姐さまじゃない。


「うわわわわん、ぐっ、ふえええん」


 あたしは目からだぁーっと溢れる涙を袖で拭きながら、声をあげて泣いた。

 しばらくその場に座り込んだまま、大きな声をあげて泣いていた。



 あたしは、珠名というお店で働く遊女付きの女童かむろ。名前は「のぎく」。今年で10歳になる。


 ある日、怖い顔をした男たちに攫われて、珠名のご主人に引き取られた。6つの時だ。そしてご主人は、あたしをある遊女の女童かむろにした。


 ―― 遊女「地獄」。


 あたしがお世話をすることになった、姐さまの源氏名なまえだった。


 地獄姐さまに初めて会ったとき、姐さまは齢17と聞いた。こんな天女みたいに綺麗な人は見たことがなかった。


 お肌が八寒地獄の雪で作ったみたいに白くて、滑らかなツヤツヤの黒い髪はまるで絹のよう。白綾しらあやの小袖を着かさねた上から、五色の糸で刺繍した「地獄変相図じごくへんそうず」の打掛を柳のようなその身に纏って、丹地の錦の帯を結んでいた。


 姐さまが歩くたびに打掛の裾がゆらゆらと揺れる様子は、まるで焦熱地獄の焔を踏んでいるみたいだった。


 その姐さまが……。


 泣いて泣いて、もう、涙も出なくなるくらいになった頃だった。

 あたしは手に持っていたお花に気が付いて、姐さまに近づいた。震える手で、姐さまの胸元にお花をお供えしようとしたときだ。


 ガサッ、ガサガサガサッ。


 その音に、あたしの肩がびびっくうと跳ね上がる。


「おお、来ていたか」


 声のする方へ振り向くと、そこに素焼きの土鍋みたいなお肌で短いお髭がのび放題のお顔をした和尚さまが立っていた。墨染すみぞめの衣があちこち破れて、薄汚れた袈裟をかけている。


 和尚さまは隣にしゃがんで、あたしの頭を撫でてくれた。

 気が緩んだからか、まただぁーっと涙が溢れ出す。あたしは和尚さまに飛びついた。


「和尚さま。姐さまが、姐さまが……」


 この方は、一休宗純さま。生前、姐さまがとても尊敬していた和尚さま。



 ❁❁❁



 和尚さまと姐さまが出会ったのは、一昨年の今頃だった。


 姐さまに会うため高須の花街へ来たらしい。けれど、お店の人達に無下に扱われたと言って怒っていた。


 そんなときに姐さまが、ちょうど珠名のお店に戻ってきた。

 この頃、姐さまは咳が出るみたいで、お医者さまへ行くことが多かった。あたしも姐さまのお供で一緒だった。


 騒ぐお店の人達を宥めた姐さまは、和尚さまを見るなりこう詠った。


 ―― 山居せば深山の奥に住めよかし ここは浮世のさかい近きに。


「僧侶が、いったい何しに来たの? 寺にすっこんでろ」と言う意味だ。あたしは思わず笑ってしまった。


 すると和尚さまは、


 ―― 一休が身をば身ほどに思わねば 市も山家も同じ住処よ。


 と返してきた。「どこにいようと、俺の勝手だろっ!」と。

 あたしは、ムッとした顔で和尚さまを睨みつけた。


 でも、地獄姐さまは「おもしろい和尚さんね」と言って、ころころと笑い出した。さらに、和尚さまに近づいて手を差し伸べている。


 すると、目の前に立つ地獄姐さまを見た和尚さまが詠った。


 ―― 聞きしより、見て恐ろしき地獄かな。


 和尚さまを見下ろしていた地獄姐さまは瞬きをして、


 ―― しにくる人のおちざるはなし。


 そう返すと、微笑みながら首をこてりと傾けた。「あんたも気を付けないと、落ちるわよ」と。


 そして地獄姐さまは笑みを浮かべると、和尚さまにぴたりと寄り添って閨房ざしきへ連れて行った。

 あたしは、ふたりの姿に思わず目を丸くした。


 それから和尚さまは、度々お店に来てはタダ酒とタダ飯をねだり、姐さまと難しいお話をして帰って行った。


 ―― 極楽も地獄も知らぬおもひでに 生まれぬさきの者となるべし。


 姐さまが、時々、呟いていた歌だ。和尚さまが下さったものだって聞いた。イヤなことや辛いことがあると、姐さまはこの歌を口ずさんでいた。



 そんなことを思い出して地獄姐さまの亡骸の前で涙を流していると、和尚さまがあたしの頭を撫でながら話しかけてきた。


「のぎく。よく見ておくんだ。高須の天女と謳われた彼女も、生臭い皮袋に包まれた一具の骸骨なんだ」


 あたしは、姐さまの亡骸を見詰めた。そして和尚さまを見上げる。和尚さまは、にこりと笑って頷いた。


「今日から、七日ごとにここへ来るといい。そしてこの亡骸が白骨だけになったら、俺に知らせておくれ」


 和尚さまの顔を見ながら、あたしはコクンと頷いた。


 ―― そして七日後。


 あたしは和尚さまに言われた通り、姐さまのところへ向かった。


 久米寺への道中、姐さまが倒れたときのことを思い出していた。


 それは年が明けた頃だった。姐さまはお店の庭を散歩中に激しく咳き込んで、たくさんの血を吐いて倒れた。それからというもの、姐さまはずっと床に臥したままだった。

 ご主人もお医者さまを呼んだり、お薬を買い求めたりした。けれども、姐さまの病気はちっとも治らなかった。


 病に倒れてから月日がすぎて、姐さまはご主人に一休和尚を呼んでくれとお願いした。それが半月ほど前のことだ。


 このとき、あたしは姐さまとのお別れの日が来たのだと思った。


 ❁❁❁


 あたしは草叢をかき分けて、姐さまの亡骸がある所へ向かう。まだ亡骸は見えないのに、辺りは酷い臭いが立ち込めていた。手拭いで鼻を覆いながら、草をかき分けて進む。


 ようやくたどり着いたそこには、無残な光景が広がっていた。あたしは涙をボロボロと溢して、その場に立ち尽くすしかなかった。


 野良犬やカラスたちの仕業だろう。玉のような姐さまの乳房が食い破られている。

 身体じゅうを食いちぎられ、お腹も破れてなんだかよく判らないモノが辺りに散らばっている。

 あの優しかった眼も無くなってしまった。


「い、いやああああぁ!」


 姐さまは、もう語るに堪えない恐ろしい姿になっていた。


 ―― さらに七日後。


 前に見た姐さまの姿が、目に焼き付いて離れない。

 姐さまのところへ行かなきゃいけないのに、足が震えて胸がどきどきして身体が固まってしまう。


 途方に暮れていると、姐さまのお客のひとりだった商家の若旦那さまが、あたしのところへやって来た。なんでも、姐さまの亡骸に花一輪供えたいと言う。


 ちょうどいい。大人の人が付いて来てくれるなら、幾分心強い。あたしは若旦那さまと一緒に、姐さまのところへと向かった。


 草をかき分けながら、あたしはひとつため息を漏らした。この前来たときよりも、臭いが酷くなっていたから。あたしと若旦那さまは、手拭いで鼻を覆いながら道なき道を進んでいく。


 姐さまのところに辿り着いた。


 ああ、この前よりもさらに酷い状態だ。でも、不思議と落ち着いている。


「ひ、ひいっ」


 隣で姐さまの姿を見た若旦那さまは、後退りして尻もちをついた。


 姐さまの身体から肋骨があらわれ、肉は腐り流れて白い蛆がうねうねと蠢いていた。たくさんの青蠅が集まって、耐えられないほどの臭気が漂っている。


 かつて姐さまに想いを寄せていた若旦那さまは、この光景を目の当たりにして言葉もないようだ。


 帰り道、若旦那は一言も話さず俯き加減で歩いていた。時折、大きなため息をついて、空を見上げていた。


 そして、


「もう、花街通いは卒業だ」


 遠い目でそう呟いていた。


 ❁❁❁


 ―― 我死なば焼くな埋むな野にすてて痩せたる犬の腹を肥やせよ。


 姐さまの辞世の句だ。

 姐さまがお亡くなりになった後、ご主人は大きな葬式をしたいと言っていた。けれども、姐さまの枕の下から、この歌が書かれた短冊が出てきた。


 お寺近くのこんな草叢くさむらのなかに姐さまの亡骸があるのは、姐さまがそう望んだからだった。


 今日も、あたしは姐さまの亡骸のある場所に来ている。もう、何度、ここへ来ただろうか? もう、秋も終わる。


 あたしは姐さまにお花を一輪供えると、静かに目を閉じて手を合わせた。


「姐さま……」


 和尚さまが、姐さまが、あたしに見せたかったのは、きっとこの姿なのだと思った。この姿に変わっていくまでの様子なのだと思った。


 自然と涙がこぼれて、あたしの頬を伝う。


 悲しくて泣いているんじゃない。最後に姐さまが、ご自分の身をもってあたしに教えてくれたことが嬉しかった。


 姐さまの亡骸は、もう男なのか女なのか見分けもつかない。辺りに漂っていた酷い臭気も、もうしない。


 姐さまは、とうとう経帷子きょうかたびらを着て草叢くさむらに横たわる一具の白骨となっていた。


 和尚さまにお知らせしよう。


 あたしは、姐さまに背中を向けて歩き出そうとした。

 立ち止まって、姐さまの方へ振り返って声をかけた。


「ありがとう。姐さま。おやすみなさい」

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