第6話 経緯

 前回までのあらすじ。


「――幻蛇のアンガーを返り討ちで、モンスターの生餌に」


 マリエは執務室にこもっていたが、書類などはデジタル化できるので、この世界ではポーズばかりのものとなる。……硬派な雰囲気は大切だ。

 人間の意識や感性は、環境によって左右される。


「どうして見抜けなかったのかしらね、うちも。

 アスカくん、いつかあなたに言われたこと、あまりに改善できていないわね、当方。本当に――カレンを守ってくれて、ありがとう。本来、私が負うべき責任だった」

「今回は、損切りが早いうちに済んでますでしょ。

 そろそろカレンを、ギルドに戻したらどうですか。

 調律士としての技量は稀少だし、ここでも引く手あまたのはずだ。そうすれば、あなたの身近に彼女を置ける」

「また貴重なご意見いただいてしまったわね。

 彼女を贔屓するわけではないけど、全力で守るつもりよ。

 カレンの意向を私自らが、たった今訊いてみる。

 選ぶのは、彼女自身だから」

「わかりました」


 アスカは一礼をして、退室した。



 待ち時間、三人はヘリオポリスのラウンジにいた。


「ここも増築で、随分と広くなったな」

「お二人は、よくここに来られてたんですか?」


 ネーネリアに尋ねられ、アスカは首を横に振る。

 説明はミユキがした。


「ヘリオポリスさんには、冒険の初期にお世話になってたから」

「お世話っつぅより、ご迷惑のかけ通し」


 アスカは冷ややかに言う。


「ここの人ら、俺みたいのがいると、緊張のし通しだからな。長居はしない」


 というか、一部の女性プレイヤーに至っては、露骨に彼を警戒する剣呑な視線が、刺さる。

 アスカは無視しているらしかった。


「……ま、元凶さえいなくなればな」

「アスカさん、なにか気まずいことでも?」

「――、ここで話すのは野暮だ。

 後にしてくれ」


 マリエの執務室から、やがてカレンが出てきた。

 表情は沈んでいる、またなにか芳しくないことでもあったか?

 そのままアスカのところへやってくる。


「話があるの、ふたりで」


 アスカを連れて、彼女がネストの外へ出ると、ラウンジは少しずつ喧噪を取り戻す。

 始末屋などという物騒なプレイヤーキラーはいない、これが常態である。

 普通のプレイヤーギルドというやつは。


「……アスカさんがいるのといないので、皆さん空気違い過ぎません?」


 ネーネリアはミユキへ耳打ちした。


「別に、珍しがってるだけだよ。

 ここには彼、何回か来てるけど、そのたび案件が立て込んでたから」

「それと」


 ほかにも懸念があった。使ってから、アスカの体調がみるみる悪化した機械鴉の技。


「ヤドリギ、って、あの技はいったい何ですか」

「そうか、あなた見てたんだっけ。

 アスカさん、結局岩龍にあれ使ったわけか、急にカレンのとこに行ったから、なにかあったなとは思ってたけど――また止められなかった」

「そういう叙述端折っていただいても?」

「……、あぁ、ごめん」


 時々、オルタナの感覚が読めなくてミユキは困る。


圧搾寄生弾体ヤドリギは、固有スキル『ステータス略取』の上位にある類型の技で、これはステータスそのものでなく、纒で使用する回数に応じて、使役者プレイヤーのステータス向上上限を引き上げるの」

「まとめて話さないと気が済まないの、説明下手です?」

「――っ」


 ネーネリアは辛辣だった。ミユキは静かに小さく肩を揺らす。


「ステータスの上限を引き上げるってことは、これまでよりもっと成長できる。

 そういうことですか」

「え、えぇ……でもこれにはデメリット、リスクがある。

 対象に弾体が着弾すると、使用者の方に、その記憶や認識が流れ込む」

「ミユキさん、やっぱり説明下手です?

 ニンシキって、なんです。記憶って」

「単に、思い出を見てるのとは違う。

 生き物の脳、頭にはね、思い出を溜めるだけじゃない。

 いつも自分たちが見て、聞いて、嗅いでしたものを、無意識に選んでいるの。

 人と話しているとき、その人とどこで話していたかなんて、のちのち曖昧になって、こぼれ落ちていく」

「はぁ」

「そうしてほかの人や、生き物が感じた記憶や、場合によってはそれに紐づいて思った強い感情も、アスカさんは奪い取って、自分が追体験してしまう。

 それを自分で抑制できない、そんなこと続けていたら、どうなる?」

「さぁ……どうなるんです」


 それが不穏な結論を導こうことは、おおよそ察しがつくのだが。


「場合によったら、アスカさんはアスカさんのままでいられず、廃人になる。

 生きたまま、死ぬってこと」

「生きたまま、死ぬ?」


 ミユキなりにかみ砕いた言葉の意図は、彼女にも徐々に染みわたっていく。


「あのひとは、そんなことを」


 ……これまで何度、繰り返したというのか。



 ギルドネストから出て、裏道に入った。


「ずっと話してなかったことがあって」

「なんだよ。また湿っぽいな」

「……アスカのリアルネームがプレイヤーに知れたのは、私のせいなんだ」

「は?」


 彼女が言っていることに対する理解が、一瞬遅れる。



 ミユキは言った。


「この世界では、人が人を侍らせることができる。

 それが上位調教。……あなたが生意気な口を利くようなら、いい加減に契約紋で黙らせるぐらいは私だってやるからね」

「す、すいません」


 ネーネリアはそろそろキレかかっている彼女に恐縮して、茶を貰う。


「おいしいですね、ここのお茶」

「ギルマスと、凝ってる店員がいるから」

「へぇ」


 わりに彼女はそわそわして、落ち着きがないようだ。

 ミユキはまた、この子は何かやらかすんじゃないかと、気が気でなくて、怪訝な顔をする。



「どうして、それを今になって言うんだよ」


 アスカの声は震えていた。


「俺にはアバターとしての逃げ場も、用意されないのか。

 大体どうしてカレンが、俺のリアルネームなんて知ってたって――」


 ……いいや、考えてみたら。

 過去には思い当たる節がある。

 ギルドからマリエの持つ山荘を借りた頃、自分たち“四人”は、パーティを組んでいた。あの頃一度だけ、俺が寝落ちて起こそうとしたとき、彼女は……フルネームで俺を呼んだことがある。


「どうしてきみは、現実の俺なんて知ってる。

 きみはいったい、誰だったって言うんだ?」

「否定はしないよ。マリエさんや副団長に、話してしまったのも私。ただ」

「言うな」


 アスカは静かに一歩ずつ退く。

 本当は問いただしたいところじゃある、詰め寄るべきかもしれない。

 だがそれでは――アンガーが彼女に迫ったのと、同じことだ。

 彼女を見ればわかる、彼女自身が、そうしてしまったことに打ちひしがれているのを。

 自分はカレンに対して、加害者でありたくない。

 ……今でも、そう願っていた。


「悪意があって、したことじゃないかもな。

 でも俺には……今それを受け止められる、覚悟がない」

「――、ごめん、なさい」


 アスカはしばし黙っていたが、やがてぽつりと言う。


「いいや。きみは正しいことをしたんじゃないの。

 そうすれば、『始末屋プレイヤーキラー』の俺を止められたかもしれない……なんて、もし俺がまともだったら、それで止まるべきだったんだ」

「違う、アスカのことを邪魔したり、苦しめたくなんてなかったのに」

「だからなんだよ?」


 彼はきっぱりと言った。


「俺よりギルドの人たちが大事だった、それだけだろう」

「私は!」

「――何してるんです?」


 ひょっこり、痺れを切らしたのだろうネーネリアがやってきた。

 ミユキの方は、またしても勝手に動く彼女を引き留められなかったらしい。


「この子、また勝手に動く」


 ぜいぜいと追いついて、彼女の肩に手をかける。


「見てわからないか」

「アスカさん、カレンさんのこといじめてるんです?」

「――、かもな」


 話が下手に激化するよりはマシだ、これ以上酷いことを言ってしまう前に。

 カレンもアスカも、彼女に救われたかもしれない。


「アスカさん。頭冷やしてきてください。

 そっちは私とミユキさんで、任されますから」

「きみ、随分しっかりしてるんだな。

 ……ほんとにオルタナか?」

「いーから、行ってください」


 人間の代替物オルタナどまりにしておくにはもったいないぐらい、人間関係のアシストがうまい。多少強引なところはあるが、今回は流されておくことにしよう。今の自分に、意気消沈するカレンへの適切なアシストはできるわけがない。



「あの――カレンさんて」


 意気消沈どころか、やや憔悴している。

 ネーネリアに対し、虚ろな半眼でのっそりと首をもたげる。


「はい」

「アスカさんに、ひどいことされたんですか?」

「違う、あれは私が……責任は私にあって」

「誰の責任なんて聞いてない、何があったんです」

「ネーネリア」


 ミユキが彼女の肩に何度目か手をかけて、制止する。


「あなたが、アスカの何を知っているの」

「それは――そうですけど」

「あなた、アスカのことになると、途端に冷静じゃなくなる」


 そう語るミユキとて、いつの間にか彼を呼び捨てになっていた。

 十分取り乱しているじゃないのか。


「逆に仲間なのに、なんでミユキさんはそんなに冷たいんですか!」


 ミユキは言われると一瞬見開いてから、すぐにポーカーフェイスへ戻った。


「アスカは、私のこと嫌いだから」

「なんですそれ」


 この人は、なにを諦めている。

 なにがアスカに対する遠慮を生んでいる?

 だがネーネリアも、それ以上しつこくするのをやめた。


「キューリ君がいた頃には、戻れない。

 私も、ミユキも――」


 もう一人、プレイヤーがいたらしい。

 ミユキの主武装となっている双剣によるバトルスタイルは、消失した故人から継いだものだ。

 キューリこと、佐藤九里。

 この仮想世界において、蘇生はない。

 すべての生物、プレイヤーが基本的にノーコンティニューで活動している。

 カレンは言った。


「どのみち聡いあなたなら、すぐに行き着くことでしょう。

 アスカの目的を、先に種明かしておこうか。

 あの人はね、死人を蘇えらせようとしているの」

「そんなこと、いったい誰を――まさか」


 会話の繋がりからすれば、あからさまであった。


「失ったもの、それですべてを取り戻せるんですか」

「わからない」


 ミユキもカレンも、首を横に振る。

 ミユキが次いで言う。


「犠牲にしてきたひと、それにキューリさんを取り戻せる確証なんてどこにもない。でもそんな約束に私があの人を、縛り付けてしまった」

「あのときは、そうするしかなかった。そうでもなければ、アスカは何もできなくなりかねなかったし。

 だからミユキは間違っていない――とにかく彼の行動を、不可解だとすこしでも感じたら、ネーネリアちゃん。

 あなたは彼についていくか、いずれ選ばざるをえなくなる。

 それだけは……覚悟していて」


 唐突に浮上した、恩人を突き動かす動機は、ネーネリアからすればあまりに突拍子もないゆえに、漠然としたものだった。到底軽く流せるものでもない。

 彼女は息を呑むしかなかった。

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