第四十六話・深読み

 ルキフグスを睨むベルゼブブ。

 このくだらない会議をさっさと終わらせ、悪魔界に蔓延る数々の問題解決を急がなければならないというのに。

 いつも彼がその邪魔をする。

 だが神と天使にとってはルキフグスの制止は救いだった。

 地獄界に常駐する悪魔ならではの観点、そこから見えてくる悪魔界の欠点。

 地獄界の王ルシファーは七つの大罪の一員なので悪魔界にとって不利益な事は今まで言った事がない。おそらくこれからも。

 オーディンたちはルキフグスに希望を託して一言一句に耳を傾けた。


「この資料と話を聞く限りじゃ、転生者が現れたせいで七十二柱の仲間割れが激化しているように感じるが」


 なんだそんな事か、と神は肩を落とした。

 七十二柱の仲間割れは前々から言われていた悪魔界唯一の大問題。

 何の進展もないまま数十年が経っており、激化するのは時間の問題なのはこの場にいる権力者はおろか、日々穏やかに暮らしている民衆でさえわかっている。

 聞けば、自分がいつ死ぬかと怯えている者もいれば、管轄の七十二柱を信じる者、少しでも力になろうと兵士を志す者もいるらしい。

 民衆の考えは様々なれど、戦いの終結を望んでいるのは同じ。

 前回の四界層会議通常開催の際の議題を今更持ち出してもどうにもならない、そう思っていた。

 だが、何かしらの反論をしてくると予想していた悪魔界側の反応はその真逆で、サタンは顔をしかめ、ベルゼブブは押し黙っている。


「さっき、急拵えで資料の情報が不充分と言ったな。確かに言い訳としては通っているが、俺からしてみれば不都合な情報を隠しているとしか思えねぇ」

「ルキフグスの言う通りだ。どうなんだ?」


 ミカエルが同調して、ベルゼブブを指差した。

 仮面に隠れてどんな表情をしているのか読み取れないが、不機嫌なオーラを全開。会議室が重苦しい空気になる。


「それに、俺らみてぇな悪しき種族は殆どが地獄行きだ。資料にその事は書いているが、見るのとやるのは違う。魂の処理ってのは面倒なんだよ」

「地獄の王ルシファーよ。そう言っているが」

「うえぇ!?」


 急に話を振られたルシファーが変な声を出す。

 手元を見ると、資料の一枚を使ってバレないように折り紙をしていた。

 竜か何かの翼のようなものが出来上がっていたが、ベルゼブブが肘で小突くと握り潰して捨ててしまった。


「おい。話聞いてたか?」

「も、もも、もちろん聞いてますよ! いやだなぁ、ベルゼブブさん。王様なんですよ、俺。聞いてますって」

「ならいい」

「え、えぇと、そう! 魂の処理についてですよね!」


 嘘ではなかったようだ。サタンがほっと胸を撫で下ろす。

 咄嗟に笑顔を貼りつけて少しだけ時間を稼ぐ。


「面倒なのは本当です。それに最近、魂の処理に必要な技術者が不足してまして、悪魔界で多くの死者が出れば作業が追いつかないで逼迫する可能性はあります」


 ベルゼブブもサタンも、地獄界の内情を知らないわけではない。

 地獄で裁きを待つ魂がどうせ死んでるのだからと、勤める役人を殺したり人質にしたり。

 最後の跑きで毎年数名の死者を出す。

 一方で、魂の処理に携わるためには実務経験、筆記試験、面接の三つで受験者の人格と技量を計り、ルシファーの承認を得られた者が作業に参加できる。

 厳しい試験が故、合格者は少なく需要と供給が追いついていないのが今の地獄界である。

 オーディンがその事を絡めて追及しようとした時、「でも」とルシファーが言葉を繋いだ。


「この戦いはそうでなければ終わらないと思います。転生者が現れてより混沌としている中、どうにか終戦させようと動いている方がたくさんいます」


 肩を上げ、深呼吸を一つ。

 オーディンが口を挟もうとしたところをベルゼブブが一睨みを効かせ、制する。

 若き王の言葉を邪魔するなと言わんばかりの圧をかける。


「ベルゼブブさんやサタンさんだって王とその次席の立場でも動いてくれてます。失敗する事だって、思い通りに行かない事だってあります。俺だって王様になっても失敗するんですから」


 ルシファーが地獄の王位に就く事になった時、不安だったのは何を隠そうルシファー自身だった。

 長く苦楽を共にしてきたベルゼブブとサタン、他の七つの大罪らはそれをわかっていた。

 当時は毎日のようにルシファーの弱音を聞きながら、食事を嗜んでいたほどである。


「起きてしまった事は仕方ないですよ。大事なのはどれだけ平和的に解決できるかです」


 突然、ルシファーは立ち上がった。

 会議出席者全員の顔を見回し、オーディンとゼウスが座る方向に目を留め、高らかに宣言した。


「現在、悪魔界にある二つの問題。七十二柱の仲間割れと転生者の件が解決するまで、我々地獄界は全面的に協力する事をこの場を借りて表明します。地獄界の王、ルシファーの名において、です」

「はーはっはっは!」


 サタンが外まで響く笑い声を上げた。

 椅子が倒れそうなほど仰け反り、机を叩く。

 ルシファーは戸惑い、ベルゼブブは静観し、他の面々は訝しげな顔でサタンを見る。

 一頻り笑い終えたサタンは挑戦的な笑みでルキフグスを見据える。


「してやられたなぁ、ルキフグス。いくらベルゼブブに恨みを抱いているとはいえ、王の命令には逆らえんだろ」


 ぎりぎりばりばり、と歯軋り。指先で机を一定のリズムで叩く。

 言葉遣いは汚いが、それとは裏腹に上下関係はしっかり守る。

 ルキフグスはそういう悪魔だった。

 ルシファーの決定は絶対であり、自分は従うしかない。

 ましてや各界層の最高級権力者の手前、反抗などできるはずもない。


「だからと言って、地獄界の負担が増すのは俺たちにとっても決していいことではない」


 淡々とした口調で言うベルゼブブの視線はオーディンに向いている。

 そう、地獄界ばかり苦しい思いをしてはいけないのだ。

 それが例え、自分を慕う仲間であっても。

 助けられてばかりでは悪魔界の面子が立たない。

 悪魔界最高権力者かつ最強の剣士という立場を乱用するタイミングは今しかなかった。


「そこでオーディン、お前の力を貸してほしい。お前のその、固有魔法をな」

「ほう?」

「できるだけ早い方がいい。大勢の死人が出る」

「まだ答えを出してないのだが……」

「いや、お前は必ず動く。俺の頼みを聞かなかった事など一度もないからな」


 ベルゼブブがそう言いきれるのは明確な理由があった。

 至極簡単な事で神はベルゼブブを恐れているからである。

 力でどうにかなるならとっくに実行に移している。

 ベルゼブブの圧倒的実力が神々の行動力を抑制しているのだ。

 観念したようにオーディンは溜め息を吐いた。


「……今日から発動しよう。その代わり、わかっているだろうな?」

「ああ。わかっている」


 小さく頷いた。

 それを受けてオーディンはもう何も言う事はないと手を振った。


「待て、ベルゼブブ。転生者はどうするつもりだ!」

「引き続き、保護管理下に置き、犯人を探す。これ以外はない」

「七十二柱の仲間割れは!」

「いざとなったら、俺が前線に立つ」


 ミカエルの追及にも冷静に対処する。

 そもそも今回の会議は今ベルゼブブが放った二言で終われるような内容であった。


「呼び出した割には薄い会議だったな」


 神、天使共に表情が強ばる。

 目の前の悪魔がベルゼブブでなかったら今すぐにでも飛びかかっていただろう。

 緊張が走る中、サタンの爽やかな声が響いた。


「さぁ、他に話す事はありますかな?」


 会議が終わるにはまだまだ時間がかかりそうだった。

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