第四十五話・四界層会議

 階段を上りきった四人を待っていたのは槍を片手に橋の脇に立つ二人の大男と、正面に立つ口髭を貯えた男。

 男は四人を見るなり、緊張した面持ちで生唾を飲み込んだ。

 男の護衛としてこの場にいる二人の大男は冷や汗を流し、できるだけ四人を視界に入れないように努める。

 権力、実力共に各々の世界で最上位級の者が四人もいるのだから無理もない。

 やや上ずった声で男は言う。


「あ、悪魔界最高権力者ベルゼブブ殿と補佐官サタン殿! 地獄界最高権力者ルシファー殿と補佐官ルキフグス殿! 以上四名をヘイムダルの名の元に通行を許可する!」


 言い放って深々と頭を下げた。

 その言葉を聞いた四人はずかずかとヘイムダルの横を通り、橋へ向かう。


「いつもご苦労だな」

「暇してるなら遊びにでも行けよ」

「すみません。失礼します」

「帰りも頼むぜ」


 思い思いの言葉をかけられたヘイムダルは肩をふるふると震わせている。

 神という種族でありながら、下級種族のベルゼブブたちに頭を垂れるのが不愉快かつ不本意で堪らないのだ。

 神の威厳など彼らの前では無意味。

 力で挑もうにもベルゼブブがいるので不可能。

 主の命令で橋の番を何千年も勤め続ける限り、四界層会議が開かれるようになってから下等種族に頭を下げなければならない。

 神らしからぬ神に対して不憫に思うのはルシファーだけで他の三人は気にも留めない。

 特にベルゼブブとサタンはこれから始まる会議に向けて思案する事に頭一杯でそれどころではないのである。

 それぞれの思惑を持ち、四人は光に包まれた。


 ※ ※ ※


 光を抜けた先、ビフレストに続いて四人を待ち構えていたのは北欧神話最高神オーディンが所有する宮殿、ヴァルハラ宮殿である。

 入り口まで真っ直ぐ伸びるおよそ百五十メートルの幅広の道の両脇にずらりと整列した神族の兵士。

 彼らもまたビフレストにいた大男同様、四人を直視しないよう視線を逸らしている。

 ベルゼブブら、下界の者の魔力は天使界、神界の者から言わせると禍々しい事この上ない。

 いやでも感じ取ってしまう悪魔たちの魔力は、本来来てはならない存在が来てしまったと神界広域に認知されるには充分だった。

 そこからベルゼブブたちの足取りに迷いはなかった。

 王とその補佐官らしく堂々と進んで宮殿へ立ち入ると、出迎えてくれた数人の召し使いを無視して右折。

 突き当たりの螺旋階段を上って、少し進んだ所にある一室。

 両開きの扉にはお決まりのごとく兵士が立っているが、四人の姿を視界に捉えた途端、背筋をぴんと伸ばした。

 扉の前に立ったベルゼブブは先陣を切って、室内の者たちに言う。


「入るぞ」


 ノックもせず、乱暴に扉を開ける。

 室内は四人の登場に一瞬だけ、どよめきを見せたのは壁際に立つ神族の兵士。すぐに静まり返って視線を逸らした。

 大きな円卓に並べられた八つの椅子の内、すでに四つが神界と天使界の会議出席者によって埋められていた。

 髭を生やした老体二人と真っ白な羽と頭上の輪が特徴の若者二人。


「早く座らんか。若造共」

「約束された時間には来た。急かされる理由はない」

「蠅の王、ベルゼブブよ」


 ベルゼブブが座ろうとした時、二つ隣の席に腰かけていた金髪の男――天使界代表ミカエルは一睨みを利かせて言った。


「オーディン様とゼウス様はここに到着されて小一時間経っている。主催者の意向に従うのが懸命ではないか?」

「そうですよ。卑しい……失礼。気高い種族のあなた方が最高神のお二人と話し合いができるだけで奇跡というのに」


 ミカエルの隣、豊満な肉体に白い布一枚だけを身に纏っている金の長髪の女性――ガブリエルがミカエルの言葉に同意する。

 だがベルゼブブは平然とした様子で座り、足を組み、腕を組み、二人の方を見ずに言葉を発した。


「先に来たとか知るか。早く来てほしいならさっさと連絡ぐらいよこせ。こちとらビフレストを通ってきたんだ。神界への直通道があるお前らとは勝手が違う」

「お前たちを糾弾するための会議だというのに、随分と不遜な態度だな」

「不遜? それはこいつだろ」


 右隣のルシファーを親指で示す。

 指差されたルシファーは「えっ?」と驚き、わたわたと慌てた様子でベルゼブブの方を勢いよく振り向く。

 自身の罪である『傲慢』を掘り返さないでほしい思いから「いや」とか「ちょっとそれは」とぎこちない笑みを浮かべながら言う。

 それを無視するベルゼブブ。

 二人のやりとりを見ているサタンが笑わないように我慢している。

 本来は厳粛な会議の場にも関わらず、和気藹々としている大罪たちに、左目に眼帯をつけたオーディンと白髪白眉白髭のゼウスは揃って眉間を押えた。

 憎たらしい顔の天使二人を余所に、ルキフグスが口を開いた。


「で、始めるなら早く始めねぇか。いつまでも待たせるな。自分んとこの仕事がまだある」


 オーディンがごほんと咳払いを一つ。


「これで全員揃った。それではこれより、四界層会議を開催する」


 サタンが鞄から会議資料を取り出し、手早く全員の手元に置く。


「急拵えで作ったので情報が不充分かと思われますがご了承を」


 各自、サタンが用意した資料に目を通す。

 たった七ページの資料には、今回の会議の議題になるであろう転生者長谷川大和についてが事細かに記載されていた。

 事態の始まりから現在に至るまで。七十二柱二分抗争への影響。他種族、他界層への影響。

 急拵えと言った割には上出来な方だ。


「今回の議題はこの資料にもある転生者についてだ。これは過去、類を見ない事態である。まずは悪魔界の意見を聞きたいのだが、これから彼をどうするつもりだ?」


 サタンが挙手し、立ち上がった。


「えー、悪魔界としましては彼を厳重な管理下の元で護衛します。護衛の任は七十二柱トップクラスの実力を持つ者に任せています。それから人間界で彼を殺した犯人を一刻も早く見つけ出す。その先は彼の意思を尊重し、行動に移していきます。そして……」

「ちょっと待てい。サタンよ」


 話を遮ったのはゼウスだった。

 資料をぱらぱらと捲り、老眼鏡をかけ、資料の小さな字を眉間に皺を寄せて凝視している。


「儂の見間違いか? この資料によると護衛対象である人間を七十二柱二分抗争に巻き込み、戦地に赴かせているようだが、これ如何に?」

「そうだ。護衛対象の意味をわかっていないのか、お前たちは」


 ゼウスの意見にミカエルが続いた。

 神の御前。嘘を書いてもどうせ見破られる。それなら堂々とありのままを記した方がいい。

 ベルゼブブからの指示だった。

 必ずされると踏んでいた追及。

 だからこそ事前にベルゼブブと打ち合わせで対策を練っていた。納得させられるかどうかはわからないが、反論する他ない。


「転生者の大和にはある程度の戦闘力を身につけてもらい、周囲に護衛がいない状況でも一人で対応できるようにとの事です。何卒、ご理解を願います」

「目的はわかったが、今までに何か成果は出てんのか」


 ルキフグスがどすの利いた声で言う。

 地獄界の者の彼は毎回悪魔界側に対して否定的な対応をする。

 それもこれもベルゼブブと仲が悪いせいなのだが。


「具体的には七十二柱を二名撃破。巨神器魔剣フルングニルの覚醒が主に挙げられます」


 会議室の空気が変わった。

 天使も神も、まさか人間が巨神器を覚醒させるとは夢にも思わなかったのだ。

 かつて起きた大戦の巨人、その中で最も猛威を振るっていたフルングニル。気高く、屈強で頑固者のフルングニルを、だ。

 これもベルゼブブからの指示であえて資料に書いていない情報だった。それを提示する事で、かなりの衝撃を与えたに違いない。


「あの、そんな情報、資料には書いていないのですが」


 ガブリエルの言葉も想定内。

 サタンは何も言わず、阿吽の呼吸でベルゼブブに繋げる。


「お前らが緊急開催なんてするからだろうが。サタンの普段の執務に加えて今回の資料。どっかの全知全能の神じゃないんだ。書き忘れはある」


 のっぺりとした仮面がゼウスの方を向く。

 髭をしごいて目を細めるゼウス。


「それにサタンは最初に情報の不充分さについては断りを入れたはずだが、そんな数分前の事も忘れたのか?」


 小馬鹿にされても尚、その柔和な笑みを崩さないガブリエルだが頬がぴくぴくと痙攣している。

 ビフレストの番人ヘイムダルと同じ様に悪魔に笑い者にされるのが気に入らないのだ。

 尤も、ベルゼブブが天使や神を小馬鹿にするのはこれが初めてではない。幾度となくあった。

 それこそベルゼブブが大罪を犯し、神界の牢に囚われてからずっとだ。

 それでも未だに苛つくのは、種族的に馬鹿にされ慣れていない証拠だった。


「まぁ、ともあれ、戦闘力には我らが蠅の王からも定評があります」

「本当か? ベルゼブブ」


 オーディンが尋ねる。

 「まぁな」とベルゼブブが短く応じる。


「期待はできる」

「お前がそう言うのなら本当だろうな」

「納得していただけたようでなりよりです。他に聞きたい事があれば答えます。さ、どうぞ」


 にっこりと笑ってサタンは言った。

 神と天使側にはまだまだ質問異論はある。

 それを言っても悪魔二人に言い負かされてしまう気しかしなかった。

 今回の四界層会議緊急開催で悪魔界側を追い詰める思惑は少なからずあった。

 だが、まんまと二人の作戦に嵌められてしまった結果、ぐうの音も出なくなってしまったのだ。


「では、異論がないようですので、別の議題を……」

「待て」


 手を挙げたのはルキフグスだった。

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