第三十六話・蠅の王の外交

 神や天使と悪魔の地位は平等か、と問われる事がよくある。

 その時、ベルゼブブは必ず否定する。

 悪魔界に秩序と平穏をもたらして早いもので千二百年。

 狡猾で自分勝手な卑しい種族だと虐げられていた頃に比べればいくらかマシにはなった。

 が、未だに下等種族だと見られている節がある。

 例えば、種族の住処が悪魔界に集中している事。

 この世は五界層からなり、一番上の神界には神族。その下の天界には天使族。真ん中の人間界には人間。

 種族の出入りはあれど各界層の主な種族はそのようになっていた。

 では悪魔界はどうか。

 数が多いのは悪魔族。その他に妖精、巨人、小人、吸血鬼、ドワーフ、竜。挙げていけばキリがない。

 ちなみに最下層の地獄界には死霊と不死人アンデッドと地獄の民が住んでいる。

 こうも悪魔界に多種多様な種族が揃うとどうなるか。想像に難くないだろう。

 単純に統制が困難になるのと種族間の伝統と見解の相違により小競り合いが起きるのだ。

 上の奴らは野蛮な種族を全て悪魔界に押し込んだのだ。

 幸い、種の存続に関わるまでには至ってないが悪魔界の王にのしかかる負担は計り知れない。

 せめて悪魔族の事だけでもと結成したソロモン七十二柱も分裂し、二分し内紛状態にある。

 激化したのはつい最近の事で民の被害も出ているそうだ。

 仮にだが、どちらかの陣営が勝ちが確定したとする。

 その際、残虐性に富んだ悪魔という種族は敵を生かしてはおかないだろう。

 つまり今のソロモン七十二柱は半分の人数になる。

 そうなれば再び混沌とした悪魔界が……。


「ねぇ、お面のお兄さん」


 おそらく自分の事と思い、声のする下の方を見る。

 考え事に耽っていたせいで気づかなかったがそこには華奢な体つきの少年が三人。獣の皮を加工した民族的な衣服を身につけてベルゼブブを見上げている。

 どうやら何度も声をかけていたらしく、やや鬱憤溜まった表情をしていた。


「……なんだ」

「その背中の籠の中身って、もしかして魔鋼竹?」


 ここは七つの大罪の館から北東へ少し進んだ所にあるドワーフの里。悪魔界にいくつかある里の中で一番大きく、ドワーフ達にとっての首都である。

 この場所に訪れる時間がいつもと違って昼間だからか周囲には道行くドワーフが多い。

 ほとんどがが丸石に四肢と頭を生やしたずんぐりとした体型。子供程の背丈ながら大人の顔つきで髭を生やしている者までいる。細身で若々しいのは目の前の少年らと遊び回る彼らと同い年くらいの子供とベルゼブブだけ。

 足止めしている少年ドワーフ達も数十年後には横幅が広い大人ドワーフに成長する。

 あるドワーフに謁見するにあたって、土産として持参した暴食の竹林に自生する魔鋼竹。

 さすがは高度な鍛冶や工芸技能を持つドワーフ。子供であっても、その目は誤魔化せない。

 観念して正直に答える。


「そうだ」

「本物なの? そんな綺麗な魔鋼竹初めて見たんだけど」

「本物だ。俺の魔鋼竹は他のより魔力を多く含む。違って当然だ」

「すごいすごい!」


 ベルゼブブは時折、育った魔鋼竹を間引いて各所に売っている。品質はトップであり他の生産地から何かと恨みを買われている。

 そうして得た大金は全額寄付している。交通網の整備や難民救済などだ。

 一方で悪魔界の王という立場からか、自身を崇拝する団体から多額の支援金が自然と集まる。

 金には困っていないが、使い道がなさすぎて有り余ってしまう。

 そして結局、館で働く悪魔民の給料になっていたりするのだ。


「その魔鋼竹見せてくれない?」

「ああ」


 適当に取り出した魔鋼竹を渡す。

 魔力を多量に含んだ魔鋼竹は普通の竹より数段重く硬い。両手で取った少年がその見かけによらない重さに「重っ」と呟いた。


「魔鋼竹とか初めて触ったよ!」

「綺麗に加工するには五十年修行しなきゃいけないってお父さん言ってた!」

「そんなに待てないよな! 早く加工してぇー!」


 魔鋼竹に興奮する少年ドワーフ達をベルゼブブは無言で見つめていた。

 彼らがドワーフとしての人生を送れるように悪魔界を守るのが王の務め。

 彼らの横を通り過ぎて目的地へ向かう。


「あっ! お面のお兄さん! これは……」

「貰っておけ。俺は急いでる」


 振り返らずに答えた。


「――っ! お兄さん! ありがとう!」

「ありがとう!」

「俺、立派な工芸家になるよ!」


 片手を挙げて応じた。

 魔鋼竹一本で大袈裟な、と思ったが幼い彼ら――ドワーフにとっては最上の素材を手にする事は最初の至福。それから最上の品物を作るモチベーションが育まれるという。

 大人でも子供でも関係ないらしい。


「ねぇ、あの仮面の人って王様じゃない?」

「おいおい本物だぜ。でも何でこんな時間に」

「わぁー! 王様だ! サイン貰いに行こうよ!」

「こらダメよ。多分、職務中だわ」


 倍近い体に異様な風貌、それに昼時という時間帯。目立ってしまうのは仕方がなかった。

 ドワーフ達はベルゼブブに聞こえないように声を潜めて話しているつもりだろうが、音の固有魔法を使うベルゼブブには全くの無意味。

 一度集音魔力を発動させれば遠く虫の羽音さえも聞こえる。他種族の声を聞き、自分に対する評価を収集しているのだ。

 概ね好感を持っている声が聞こえている。その中に少なからず混ざる批判も取るに足らないものだ。

 ここ二日間で数種族の里を訪れたが、ドワーフとの関係が一番良好だった。

 十字路を右折してすぐ。岩穴に住むのを好み、家を建てても地下室を作る事が多いドワーフにしては珍しい三階建ての家で店番をしている女ドワーフに声をかける。


「ご婦人、久しぶりだな」


 女ドワーフはベルゼブブに気づくと数えていた宝石類を引き出しに無造作に入れ込み笑顔で対応する。


「あら王様! ご無沙汰してます!」

「急にすまない。詫びの品は持ってきた」

「いえいえ、いいんですよ! 今夫をお呼びしますね!」

「ああ」


 ベルゼブブから渡された魔鋼竹が満杯に敷き詰められた籠を受け取って家の奥へ行く。


「あんたぁー! 王様がいらっしゃったよ!」

「あぁん? わぁたわぁた。今行く」


 ガチャガチャと雑に工具を片づけているのだろう。この家の奥は工房になっている。自宅兼仕事場という訳だ。


「おい、酒と菓子だ。あとチビ共の面倒も見てくれ」

「あんたが用意しなよ! いつもあたしじゃないか!」


 痴話喧嘩をしながら出てきたのは白髪白髭、皮の帽子を被った皺だらけの顔をした目つきの悪いドワーフだ。

 彼を見ると毎度オジキ――ベルフェゴールを思い出す。髪と髭と皺だらけの顔なんかそっくりだ。

 ただベルフェゴールと違うのは禿げ上がった頭頂部を隠す帽子と長年同じ手で金槌を振り続けた結果、明らかに太い右腕を始めとする屈強な体。ベルフェゴールが肥満ならば彼は骨太と言うべきだ。


「旦那ぁ! よく来たな! いつぶりだ?」


 強面に似合わずその口調は元気に溢れ明るい。


「六年と四ヶ月程だ。まだまだ現役だな、ドワーフ族長」

「お互い様だろう。まぁ座れ座れ」


 ベルゼブブはドワーフ族長が産まれてからの付き合いだった。

 彼の父親もまた族長の座に就いていた。それを受け継いだ彼との関係はすこぶる良好。

 端から見れば無礼だと思われる族長の言動は気にはならない。


「どうした? 座らんか」

「ああ」


 族長の隣に腰かけたタイミングで婦人が二人分の酒と菓子をお盆に乗せて持ってきた。

 例を言い、菓子を手に取る。

 小麦の生地に甘い果物と酒を混ぜて作ったパンのようなものだ。


「いただく」

「おうよ。遠慮するな」


 仮面の下から管が伸びる。先端が大きく口を開いて菓子を一呑みにした。

 管はベルゼブブの口内に直接繋がっており、仮面を外せないベルゼブブは食事の時は管を通して食べている。


「まだその仮面は外せないのか」

「ああ。俺が死ぬまでな」

「是非とも見てみたいもんだなぁ。探究心旺盛なドワーフとしては謎は解いてなんぼよ」

「外せないものは仕方ない。諦めてくれ」

「けっ、相変わらず揺るがねぇな」


 そう言って盃に注いだ酒を呷る。

 まだ一杯目なのに族長の顔は既に紅潮している。昨日もしこたま飲んで、酒がまだ残っているのだろう。


「例のあれは解決したのか?」


 族長が話を変える。

 おそらく七十二柱二分抗争の事だ。


「いや悪化している」

「大丈夫なのか?」

「持ちこたえてはいるが、いつ瓦解するかわからない。平和的解決はできない」

「おいおい……」

「安心しろ」


 ベルゼブブも管から酒を飲む。


「俺が守る」


 族長が急に静かになる。

 見ると、腹を抱えて笑いを堪えているようだ。


「がぁはっは!」

「何が面白い?」


 悪魔界の王として悪魔界を守るのはベルゼブブの責務。

 当たり前の事を言っただけなのに、どうして大笑いできるのか理解できなかった。


「いやぁすまん。さすが、悪魔界の王。頼もしいな」

「……」

「旦那がいるから今がある。旦那はよくやってると思うな」

「そうか」


 族長は妻に呼びかけ、もっと酒を持ってくるよう言った。家の奥から怒りを孕んだ声が返ってくる。


「それで、今日はどういった用だ? 世間話だけしにきた訳じゃあるめぇ」


 ベルゼブブは何の用事もなしに外出する事はない。

 六年四ヶ月前に族長を訪ねた時も悪魔側による不当な鉱石類高騰のための最終会談に赴くためだった。

 ベルゼブブが留守にしている間、竹林の警備は非常に緩くなる。

 音の結界を仕掛けても、たまに少々腕の立つ賊が忍び込んだ時には多少被害が出る。すぐに見つけ出して問答無用で息の根を止めているが。


「四界層会議の開催が決まった」

「早くないか?」

「臨時会議だ。嫌でも行かなくてはならない」


 人間界を除いた四界の代表者が二名ずつ出席し、この世のあらゆる事物について話し合う四界層会議。百年に一度開かれる通常会議に対して代表者が発議すれば即座に開かれる臨時会議と二つある。

 各界が崩壊するような緊急事態や最も非力である人間界に多大なる影響を及ぼしたなど、開催理由は様々。

 問題なのは、臨時会議の開催は今回が初回な事だ。

 開催理由は考えるまでもなく大和の件だ。

 大和をこちらに連れてきた犯人はわからずとも、上は「悪魔界にいるのだから悪魔が犯人だ」と決めつける。


「連中はあわよくば俺を王の座から退けさせ、また悪魔界を自分らの手の内に収めようとしている」

「でもよ、説得はしたんだろ?」

「議題が一つなら向こうも応じた。だがそれに加えて、前回から追及されている七十二柱の内紛。集中砲火になる」

「なるほどな。それで旦那はこんな状況でも変わりないか確かめに来たって事か」

「理解が速くて助かる」

「その様子だと他の種族にも行ったみたいだな。どうだった? 待遇というか何というか」


 あえてベルゼブブは答えなかった。

 ここに訪れたのと同様、事前連絡なしに出向いていた。

 嫌味一つ言わず迎えてくれたのはドワーフ族長だけで、他の種族の族長達は突然の訪問に揃って不愉快極まりない顔をしていた。

 その理由は悪魔族と言うよりベルゼブブ個人に対する不満。

 悪の象徴に自分達が住む世界の実権を握られているのが堪らなく嫌なのだ。

 かと言って反乱など起こそうものならベルゼブブに皆殺しにされ種族が根絶やしにされる。

 そんな事は決してしないのだが、生きとし生けるもの最強の剣士という異名は種族間の外交に良くも悪くも影響を与えている。


「まぁ、なんだ。俺達は特に変わりない。今日も今日とて金槌を振るだけよ」

「ならいい。安心した」

「感謝してるんだぜ、旦那には」


 その時、ベルゼブブが来た道からドワーフ達のどよめきが耳に届いた。

 族長も気づいたようだった。

 猛スピードで近づいてくるそれは二人にとって別れの合図であった。


「もうちょい語りたかったがな。旦那もあっちに行ったりこっちに行ったり大変だろうが、頑張ってくれや」

「ああ。任せておけ」


 盃を置く。最後に菓子を一口。


「美味かったと言っておいてくれ」

「おう。またな」


 族長の家の前に精巧な木彫りが施された箱馬車が止まる。引いているのは館近くの森に住む三つ目の獣が成獣になった怪物二頭。

 二頭はベルゼブブを見るなり頭を垂れ、口を開いて舌を出した。

 この怪物の舌には四つ目の目が存在する。

 これを見せるときは威嚇、挑発などがあるがベルゼブブに対しては尊敬の意味を持つ。

 頭を撫でると舌上の目が気分良さそうに笑った。


「また会おう」


 族長に一言残して馬車に乗り込んだベルゼブブを待っていたのは館のメイド長メリル。しかめっ面で隣に座ったベルゼブブを睨む。

 カーテンが勝手に閉まり、馬車が動き出す。

 そろそろ小言を言いそうだと思うと、案の定メリルは溜め息を吐いて口を開く。


「ご主人様、竹林から離れる際は館の者に外出の詳細を述べてくださいと、何度言ったらわかるのですか」

「言ってどうなる。お前らにあそこを守れるとは思えない」

「誰もそんな事言っていません。伝言を残してくださいと言っているのです。悪魔界の王として然るべき対応をお願いします」

「時間が惜しいんだが」


 また溜め息を吐く。

 この一連のやり取りを一体何回やってきた事か。

 彼女には本当に申し訳なく思っているが、悪魔界の存続のために必要な事だ。


「館に戻りますか?」

「……」

「ご主人様?」


 悪魔界の王として然るべき対応。

 数日前、竹林にやって来た弟子と友と転生者。

 弟子に応援を直談判されて曖昧な回答をしていたが、そろそろ王自身が動き出さないといけない状況まで来てしまったのかもしれない。


「ミスラへ向かえ。早急にだ」

「ご主人様、寄り道している暇など……」

「従え」

「……わかりました」


 メリルは三つ目の怪物に行き先を告げる。

 二頭の唸り声が流れていった。

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