第三十五話・軍服少女は花畑の夢を見る

 あれが騙し討ちという技か。

 グラウンドで大の字になっているアミーはシトリーの行動を思い返していた。

 卑怯だ。狡猾だ。

 面前で叫んでもシトリーは戦い方を変えないだろう。例え、七十二柱一番の新人が相手だとしても容赦はしない。

 どんな汚い手を使ってでも勝とうとする心意気が彼にはあって、アミーにはなかった。それだけの事だった。

 思えば、この格闘術を教えてくれた師匠も同じような事を言っていた気がする。

 どんなに後ろ指を指される戦いをしようとも相手を完膚なきまでに黙らせた方が勝ちだ、と。

 師匠であり七十二柱の先輩であり憧れの存在である彼女の言葉を反故にした報いがたった今痛みとなって返ってきた。

 一方で彼女はこうも言っていた。

 己の流儀を終始貫いて勝つ事こそ闘士の誉れである、と。

 聞いていた当初は特に深く考えずそのまま受け取っていたが、思えば素手で爪で、時に相手の魔法さえも利用する変則的な戦闘スタイルの彼女にしてはおかしな発言だった。

 だが今ならわかる。

 あの言葉はアミーに向けてのアドバイスだったのだと。

 自然と感謝の思いが込み上げる。

 ――ありがとうございます。


「グレモリーお姉様……」


 起き上がる。

 背中の痛みが酷かった。何度も打ち込まれたシトリーの攻撃はアミーの肋骨を何本か骨折させていた。

 顔を上げる。

 シトリーが近づいてくる。余裕のある足取りだが、岩石に覆われた顔から辛うじて見える目には怒りが感じられる。

 序列が格段に下のアミーに少々痛めつけられたのが余程頭に来ているのだろう。


しぶてぇな」


 シトリーは手の平を天に。『岩石』の固有魔法は無から有を生み出す。

 最初はアミーの手にも収まる小さな石片が出現した。見る見る内にその大きさはシトリーの身長を越え、まだ距離があるアミーの元まで一時的な日陰を作るまでになった。

 ノーモーションからの投擲。オーラを纏わせた拳を合わせると無数の欠片となって砕け散った。

 それらがアミーの視界を悪くした。前方にいたはずのシトリーの姿が一切見えない。

 横か背後に回り込まれたかと警戒していると空中を舞う欠片を体で弾きながらシトリーが目の前に現れた。

 裏をかかれたアミーは反応しきれず、前蹴りを顔面にもらう。

 追い討ちをかけるように舞っていた欠片がアミーへ降り注ぐ。


「うわぁ!」


 シトリーの意思によって操られた無機質な暴力がアミーを破壊していく。

 ――痛いです。お父様、お母様。痛いです。

 この状況を打破しようとアミーの生存本能は自然と過去へ遡る。

 辿り着いたのは今よりずっと幼い頃の記憶。優しい両親と貧しいながらも幸せに暮らしていた。

 両親は時々何かに怯えるように二人で話をしていたが内容はわからない。

 当時から人一倍の正義感を持っていたアミーはいつか両親に恩返しする事を目標にしていた。

 だが別れは突然だった。

 近所で世話になっていた修道院のシスターに連れられて目にしたのは両親の名前が書かれた棺桶。

 なぜ死んだのかも聞かされず、アミーは両親と死別したのである。

 その日は喉が枯れても尚泣いた。喚いて叫んで気づけば朝。

 無気力に過ごす日々が何百年も続いたある日、自分がソロモン七十二柱の一人である事を修道院に訪ねてきた男から知らされた。

 まだ子供のアミーの力が必要だと男は言った。なんでもつい最近、殉職者が出たらしい。

 決断を迫られた。アミーには既にその答えが決まっていた。

 そこでアミーは現実に戻った。

 石の雨は止んでいる。止めを刺そうとシトリーが近づく。

 ――そうでした。私が七十二柱に入ったのは……。

 腕を振りかぶるシトリー。狙うは顔。どんな固有魔法を持っていようとも顔を潰して殺すのがセオリー。


「死ねぇ! クソガキ!」


 岩石の拳が当たる寸前、アミーは額にオーラを集中させ飛び跳ねるように起き上がって拳に頭突きをした。


「はぁ?!」


 岩石が砕ける。動揺するシトリーの懐に潜り込み、グレモリー直伝のバックスピンキックで後退させる。


「ぐおぉ……」


 オーラで強化したが額は無傷ではない。縦にぱっくり割れ血が出る。


「思い出しました」

「あぁ?」

「私とした事がみっともないですね。今こうしている間にも、どこかで私より苦しく辛い境遇の方がいらっしゃると思います」

「だから何だ!」

「その方達をこれ以上悲しませないために、私に微力ながらできる事があると思って、私は七十二柱に入ったんです」


 瞳に覚悟が宿る。眼光鋭くシトリーを睨みつける。


「悪魔界を力で治めようとするあなた達に、この世界は絶対に渡しません!」

「だったら止めてみろ! ガキの体で何ができる!」


 ――そうでしたか。シトリーさんは知らないんですね……。

 アミーは再度、オーラを両手に纏わせた。右には黒、左には白。

 両手を合わせる。すると、二つのオーラが液体のように混ざり合う。一つの色になる訳でもなく、ただ白と黒のオーラが互いを行き来する。

 揺らめいていたオーラは程なくして半透明の球体になり、アミーを包みながら膨らんでいく。

 アミーに起こる異様な光景にシトリーは戦慄した。

 本来であれば二人の魔力量にはかなりの差がある。七十二柱中堅メンバーであるシトリーの方が当然上回っている。

 だが今のアミーは魔力がその小さな体に収まりきれず体外に溢れる勢いで増えている。既にシトリーの魔力量どころか、彼が出会ってきた誰よりもそれは多い。


「おおぉぉあ!」


 アミーを止めるべく打ち下ろした拳。が、遅かった。オーラはアミーの全身を内側にすっぽり収め、鋼のような硬度でシトリーの打撃を跳ね返した。

 どうにかこうにか壊そうと連打するシトリーだったが、岩石の鎧が剥がれるだけでびくともしない。


「お父様、お母様。私に力を貸してください」


 半透明のオーラははっきりとした色を持ち、ドーム状になって中の様子が見れなくなった。

 静寂。生唾をごくりと飲み、シトリーは備える、ドームの中にいる何かに。

 数多の戦場を生き抜いてきた勘が訴えてくる。

 気をつけろ。死ぬぞ。

 逃げなかったのは己のプライド。序列も経験値も下の悪魔に背は向けられない。

 ドームが突然僅かに脈打った。次は少し強く脈打つ。次は大地が揺れる程大きく脈打つ。

 一旦動かなくなる。そして、数秒の静寂を挟んだ後、ドームを突き破る真っ黒な手。明らかにアミーの手の大きさではないそれはドームを破壊してその姿をさらけ出した。

 三メートルはある身長。筋肉で膨れ上がった肉体。目は白く、瞳がない。体色は全身黒地に形を変えながら蠢く白い模様。

 突き刺すような魔力は禍々しくもあり神々しくもある。

 わかりやすく言えば、気持ちの悪い魔力であった。

 シトリーは吐き気を催して嘔吐えずく。気張ってなければ正気を失ってしまいそうだった。


「げほっ! おぅえ! 何だこりゃ……」


 神族の男性と悪魔族の女性が禁断の恋に落ち、その間に生まれた半神半魔。

 相容れない二種族の魔力を両親はアミーに預け、アミーはそれらを固有魔法に昇華させた。

 アミーはこう名づけた。

 『神とゴッド・悪魔の恩愛アンド・デビル』。

 オーラ化した神と悪魔の魔力を一つにし、自身の魔力を大量消費する事で本来の姿からかけ離れた『魔神モード』に五分間だけ姿を変える。

 元よりアミーの魔力量は多くないため連続で発動できない使い所が非常に重要な固有魔法であるが初見の相手には効果絶大であった。


「ウォォォォォォォォ!」


 野太い雄叫びが大気を揺らす。

 目の前の怪物が本当にアミーなのかと疑問に捕らわれているシトリーにアミーは飛びかかる。巨大な身長に見合わない俊敏さで間合いを詰め、顔面を狙った右ストレート。

 避ける時間がないシトリーは慌てて両腕でガードするがパンチのスピードは少しも落ちず、纏っていた岩を破壊、両腕を弾いて拳は顔にめり込んだ。


「ぶっはっ!」


 パンチを受けてシトリーは気づいた。

 今のパンチはオーラで強化されていなかったのだ。つまり『魔神モード』のアミーの純粋なパワーで岩石の鎧はいとも簡単に打ち砕かれたのである。

 アミーの攻撃は止まらない。もう一度顔面を打ち抜く。シトリーは堪らず、岩で覆われている体をさらに強固にするべく魔力を防御に全て注ぎ込む。

 岩で隆起していくシトリーにアミーは猛ラッシュを仕掛ける。

 一発が超強力な上に速い。一振りで削ぎ落とし、打ち抜く。アミーの破壊に対して岩の鎧生成が全く追いついていない。

 やがて鎧がなくなり露になったシトリーの肉体に直接豪腕を振る。

 逃げられない暴力の嵐にシトリーは耐えるしかなかった。

 今のアミーにスタミナ切れという概念はない。

 無尽蔵に涌き出る体力と魔力が可能にするラッシュ。

 至るところで内出血を起こしているシトリーの皮膚から出血が始まる。

 尚も止まらない猛攻の中、シトリーの心は折れてはいなかった。

 反撃の期を見計らう。いくら怪物に変化したとて弱点がないはずないのだ。心臓が動いている限り戦い続けるのがシトリーのやり方だった。

 だがその信念もすぐに崩れ去る事になる。

 上から打ち下ろされたパンチの衝撃がガードを越えて顎に響いた。

 ぐらりとよろめくシトリーの背中を両手で掴み、天高く放り投げた。

 他人から投げられて宙を舞う。初めて体験する浮遊感。顎を打たれた事による頭痛と耳鳴り。しかし体は動き、その目は地上の黒き魔神を捉えている。

 シトリーにとっては好機だった。あの猛攻から逃れられたからだ。


「クソガキが、ぐっ、死ね!」


 魔力を解放する。

 シトリーを中心に巨大な岩石の槍が円を描いて生み出された。さらには頭上にこれまた巨大な岩塊。陽光を遮り、グラウンド全体に影を落とす。

 シトリーが作り出せる最大の大きさの岩と岩槍。この二つをもってアミーを仕留めようとした。


「これで! 終わら……せ」


 シトリーの心を恐怖が埋め尽くした。

 眼下に見えたのは胸部を異様なまでに膨らませた魔神のアミー。

 彼女が次に繰り出す攻撃の一切を悟ってしまったのだ。

 殴り殺せばいいものをわざわざ放り投げたのも必殺技を確実に当てるため。回避も防御も間に合わなかった。

 アミーが上空のシトリーに向かって開口すると、黒い怪光線が白い稲妻を迸らせながら発射され、シトリーを飲み込んだ。

 岩槍と巨大な岩塊は消滅。焼けるような熱さと稲妻の二属性攻撃を全身に浴びたシトリーは意識を失い、力なく落下した。

 アミーはゆっくりとシトリーに接近する。

 正直止めを刺さなくてもすぐに死ぬとは思うが、念には念を、後から奇跡的に蘇生して襲われても面倒だ。

 足を上げ、顔面を踏み潰す。

 頭蓋骨が割れる。弾けた水風船のように血と脳漿が飛び散り、足裏に球体を潰した時のぷちぷちとした感触。それが何なのかは考えなかった。

 何せ『魔神モード』の時間が切れるからだ。

 黒と白のオーラが煙のように立ち上る。それにつれてアミーの体は小さくなり、やがて紫色の髪と目の可愛らしい少女の姿に戻った。


「やりました…。お父様、お母様……。あぅ」


 猛烈な倦怠感に目眩がし、アミーはその場に倒れてしまった。血と脳漿の混合液に髪が汚れるのも気にせず、気を失った。

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