第八話 墓参り

 翌日の朝、シュツェルツはできれば会いたくない父に謁見するために東殿の二階に向かった。うしろにはエリファレットを引き連れている。アウリールを父に会わせるのは避けなければならないので、彼には侍医の詰所で待ってもらう。


 つかまえた侍従によると、父は既に屋外に出ているということだった。午前中は狩猟に出かけるらしい。朝から疲れないのかな、と思いつつ、シュツェルツは父を追うために南殿の正面玄関へと急いで向かった。


 趣味である狩猟に出かけられるからか、朝の陽光に照らされた父は、上機嫌にお付きの者たちに指示を飛ばしていた。父を不機嫌にさせると自覚しつつ、シュツェルツは彼に近づき、胸に手を当てお辞儀をした。


「父上、お願いがございます」


 予想通り、父は笑みを消してこちらを見やった。


「……何用だ」


「ラヴェンナ女侯のお墓に参りたいのですが」


「勝手に行けばよかろう。王族なら側妾の墓地に入れることくらい知っておろう」


 シュツェルツはぐっと拳を握りしめた。


「アウリール・ロゼッテも、ともに連れて参りたいのです」


 アウリールの名を聞いた父は、一瞬考える目をしたあとで、不快げに顔をしかめた。


「……ああ、ベアトリーセの。無理だ」


「なぜでございましょう」


「部外者は側妾の墓地には入れぬ」


「ですが」


 シュツェルツがなおも食い下がろうとすると、父はエリファレットにちらっと目をやる。


「ああ、護衛は別だったな。そなたの近衛騎士なら入れるゆえ、それで我慢せよ」


 父はこちらを追い払うように手を一振りし、乗馬に向けて歩き出した。

 シュツェルツは腹の底から湧き起こる怒りを抑えきれず、父のうしろ姿を睨み据える。


「……殿下、とりあえずアウリールに報告しましょう。墓前には、わたしがご一緒いたします」


 うしろからかけられたエリファレットの声には、ただならぬ気遣いが滲んでいた。シュツェルツは深呼吸する。どうにもならない怒りを感じた時は、深呼吸をするとよろしいですよ、とアウリールが言っていたから。

 シュツェルツはエリファレットを振り返ると微笑した。


「そうだね。ありがとう、エリファレット」


 エリファレットが安堵の表情を浮かべる。シュツェルツはエリファレットとともに東殿に戻り、アウリールに事の次第を報告した。アウリールは苦笑する。


「さようでございますか。予想通りですね。殿下、お手数をおかけいたしました」


「これくらい、なんでもないよ」


「墓地には入れないまでも、途中までご一緒してよろしいですか」


「もちろん」


 父と会ったあとにアウリールの顔を見るとほっとする。シュツェルツはアウリールとエリファレットを連れ、正殿を抜け、北殿に向かった。

 主拝殿のある北殿の裏側には王室墓地が広がっている。シュツェルツも行き慣れた場所だ。


 準王族である側妾の墓地は、そこから左に回ったところ、つまり東殿のちょうど反対側に建つ西殿側にあるという。

 西殿は国王の側妾とその子どもたちが生活する場所だ。父の寵愛を受けていた側妾ベアトリーセが昨年亡くなってからは、住む者は誰もいない。

 ステンドグラスに彩られ、各所に神像が建てられた北殿内を進む。


「では、わたしはここで」


 アウリールが墓地に向かう扉の前で立ち止まり、早咲きのラヴェンダーの花束を差し出してくる。まだ蕾の多い薄紫の小さな花からは、ほのかに爽やかな香りがした。


 シュツェルツは頷いて花束を受け取ると、エリファレットだけを伴い、北殿を守る近衛騎士たちによって開けられた両開きの扉の外に出る。

 先ほど正面玄関を出た時は晴れていた空は灰色の雲に覆われていた。


「これは一雨くるかもなあ」


 エリファレットに向け無邪気にそう言いながらも、シュツェルツは内心で父の狩猟が中断されたらざまを見ろだ、と思っていた。


 エリファレットとともに西側へ歩いていく。小鳥のさえずりが聞こえてくる。王室墓地が見えなくなってきた頃、新たな墓地が見えてきた。きっと、あれが側妾たちが眠る墓地だ。


 王室墓地はもちろん、準王族の眠る墓地には、彼女たちの親族と王室の一員、それに聖職者と墓守しか入れないことになっている。例外として認められているのは王室を警衛する近衛騎士だけだ。

 緑に覆われた広い墓地の中に、目的の墓石はあった。墓碑銘にはこう刻まれている。


「第二十代マレ王国国王メルヒオーアの寵姫、第十一代ラヴェンナ女侯爵ベアトリーセ・ヴェレ、ここに眠る。帰年歴三五九九年八月二十五日──三六一八年十一月十八日」


 それを見て、シュツェルツはすっと胸が冷えたような気がした。彼女が本当に亡くなったことをようやく実感したのだ。


 三年前まで、ベアトリーセはシュツェルツ付きの衣装係女官だった。長い褐色の髪に黒真珠のような瞳。貴族出身ではなく盾持ちの家の娘だからか素朴で、小さな白い花のような少女だった。


 五歳年上の優しいベアトリーセにシュツェルツは惹かれたが、彼女が好きになったのはアウリールだった。悲しかったし悔しかった。それでも、アウリールを嫌いになれなかったシュツェルツは、二人が恋仲になるよう画策した。


 晴れて恋人同士になった二人は結婚を目前にしていた。そこに横槍を入れ、ベアトリーセを自身の側妾にしたのが父だ。

 シーラムと違い、貴族女性は爵位を継ぐことができないマレでも、側妾への一代限りの叙爵は認められている。ベアトリーセにはラヴェンナ女侯の称号が贈られ、広い西殿に閉じ込められることが決まった。


 シュツェルツはベアトリーセを救うために父に掛け合った。結果は無惨なもので、シュツェルツは己の無力を思い知らされた。

 シュツェルツが懇願の末、唯一勝ち取ったのは、アウリールの自由だった。父は厄介払いのために、アウリールを他の女性と結婚させるつもりだったのだ。


 この胸の悪くなるような話をアウリールは知らない。知る必要もないと思う。

 同じ年に暗殺未遂に遭ったシュツェルツはアウリールとエリファレットを連れてシーラムに留学した。


 ベアトリーセが父の子を死産した末、亡くなったという知らせが届いたのは昨年のことだ。

 身を裂かれるように辛かった。ベアトリーセが亡くなったことも、まだ見ぬ弟が光を目にする前に失われたことも。

 シュツェルツはひざまずき、ラヴェンダーの花束を墓石の前に供えた。生前の彼女が好きだった花だ。


(ごめん……ベアトリーセ)


 君を助けられなくて──君より、アウリールを助けることを選んでしまって。

 楔のように心に打ち込まれたこの罪は、生涯消えはしないだろう。

 それでも、自分は心のどこかで思っている。ベアトリーセではなくアウリールを助けられてよかったと。

 自分の酷薄さと惨めさに涙が出そうだった。

 不意に、ぽつっと水滴が頬に落ちた。涙ではない。雨だった。


「殿下、そろそろ建物に戻りましょう。雨に濡れてしまいます」


 うしろに付き従っていたエリファレットが促した。シュツェルツは振り向くと頷いた。これ以上、この場に留まることに耐えられそうになかった。もう一度だけ、墓石を振り返る。


(ごめんね……いつか、必ずアウリールをここに連れてこられるようにするから……)


 そのためにも、これ以上、彼女のような人を出さないためにも、自分は王太子にならなければならない。

 失われた命に値することをなす。それが、シュツェルツが帰国した目的であり、望みだった。

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