シュレディンガー猫ふたり

山本アヒコ

シュレディンガー猫ふたり

 少女はVRシュミレーターを起動すると目を閉じる。数秒後に目を開くと、そこはホテルの一室から見知らぬ場所に変化していた。

「うわあ! なにこれ!」

 電柱が並び立つアスファルトの道路や二階建てで瓦屋根の家はどれも見たことが無いものだった。瞳を輝かせて周囲を観察する。アニメで見た光景そのままだ。

 いつの間にか海のそばに来ていた。

「めずらしい。私以外の人間がいるなんて。あなた誰?」

 急に聞こえた声に振り向く。飾り気のない単色のシャツとズボン姿の少女が立っていた。茶色い髪を無造作に後ろで束ねている。頬はこけて見るからに痩せていた。

「私はベルトスカ・A・エクトル。あなたの名前は?」

「ラフカ。それで、どうしてここに? ここは人気がない退屈な場所だよ」

「だから人がぜんぜんいなかったのね。私がここに来た理由は、これよ!」

 ベルトスカが両手を前に出すと突然光る。その光が消えると彼女はピンクのぬいぐるみを持っていた。

「それってマグちゃん?」

「知ってるの!」

「うん。あなたも観たのねアニメ」

 ラフカは微笑み、ベルトスカは満面の笑顔だ。


「そうなの! パパもママもずっとお酒飲んでるだけ。私は退屈で退屈で。外にも行けないから、しょうがなく部屋でアニメ観たのよ」

 そのアニメが気に入ったベルトスカは、アニメのキャラクターを3Dプリンターでぬいぐるみにした。彼女が持つピンクのぬいぐるみがそれだった。

「なるほどね。でも、どうしてこんな昔のアニメ観ようと思ったの?」

「ここで観れるの全部昔のやつでしょ? だからいっそのこと、すっごく昔のやつにしてみようと思ったのよ。それで正解だったわ」

「百年以上も昔のアニメなのにすごいよね。ホログラムじゃないし」

「そうそう! 紙みたいに一枚の絵なのに動くの!」

 ふたりの少女は笑う。

「アニメで見た海もこんな感じだったよね。ねえ、あそこにいっぱい転がってる、変な形の石みたいなやつ何か知ってる?」

「あれは消波ブロック。大きな波を防ぐんだ」

「へー。あと、あの自動車みたいなの、何で空を飛ばないの? それにうるさいし」

「昔の自動車は地面しか走れなかったみたい。うるさいのは油を燃やしてるかららしいよ」

「油が燃えると自動車が動くの? なんで?」

「さあ? AI に聞けばわかると思うけど」

「聞きたくない」

「私も」

 ベルトスカとラフカは顔を見合わせて笑った。

「ベルトスカは駄菓子って食べたことある?」

「ない」

「じゃあ食べようよ。あっちに駄菓子屋があるんだ」

「えっ、駄菓子屋ってアニメにでてきたアレだよね? やった!」

 小さく飛びはねるほど喜ぶベルトスカを見て笑うと、ラフカは駆け出した。それを慌てて追いかけるベルトスカだったが、その顔も笑顔だった。


 次の日も、ベルトスカとラフカは同じVRシュミレーターの中で会った。ただし時刻は違う。昨日は昼間だったが、今日は夕食も終わった夜だ。

「私は嫌だって言ったのに、パパとママはぜんぜん聞いてくれなくて。何でわざわざ遠いリゾート惑星なんか行くんだろう」

「なるほど。最近ここに来る宇宙船が多くなったと思ったけど、新しいリゾート惑星に行くためだったのね」

「うん。そこへ行くのが流行ってるみたい。ママが、あの人はもう行ったーとか、あの人は今度行くーとか言ってパパにお願いしてた」

「金持ちの考えること、ほんとバカみたい」

 ベルトスカの視線に気づいたラフカは表情をやわらげる。

「でも、退屈なのはあと数日でしょ。いつ出発するの?」

「えっと……明後日の朝に出発だから、実際はもうあと一日かな」

「そう。それであなたとはお別れだね」

「うん……そうだ! ねえ明日はここじゃなくて、本物の体で会おうよ。どこか遊びに行こう!」

 笑顔で提案したが、ラフカはうかない顔だ。

「それは、無理よ。ここは移動制限があるって知ってるでしょ」

「そうだけど……」

 ベルトスカたち、この宇宙ステーションに一時滞在する人々には厳しい移動制限がされていた。

 なぜかというと、この宇宙ステーションが『光速移動加速モジュール』であるからだった。

 宇宙ステーションの内部に入った物体、宇宙船やベルトスカたち人間は『シュレディンガーの猫』になる。

 宇宙ステーションの内部は、外の人間から観測されないのだ。観測されないということは、この宇宙に存在しないということ。つまり質量がゼロになる。

 質量がゼロになった宇宙船を、ドーナツ型の加速設備で光速まで加速して目的地まで発射する。これがこの宇宙ステーションの仕事だった。

 もしも宇宙船に乗るはずだった人間が乗り遅れたらなら、一瞬で宇宙船は何光年も遠くへ行ってしまい取り残されることになる。そんな事態にならないために、乗客や乗組員は厳しい移動制限をされているのだ。

「ベルトスカ、私はここであなたと遊べるだけでも楽しいよ」

「でも……そうだ、ラフカがホテルに来れば」

「無理よ。明日は……用があるから」

「用ってなにがあるの?」

「し……学校よ」

 ベルトスカは首をかしげる。ラフカは前髪をいじりながら視線を足元へ向ける。

「私、ラフカも宇宙船でここへ来て出発を待ってると思ってたけど、違うの?」

「言ってなかったかな。私はこの宇宙ステーションに住んでるの。父親がここで働いてるから」

「へー、そうなんだー。ラフカのパパは何の仕事をしてるの?」

「大した仕事じゃないよ。ゴミ処理工場で働いてて……」


 次の日の朝、ベルトスカが朝食をとっていると、いつもは昼まで寝ている父親がやってきた。

「パパ、どうしたの?」

「ああ。目が覚めてね。明日は出発だけど、ここはどうだったかなベルトスカ?」

「ちょっと寂しいわ。友達と会えなくなるから」

「ほう? どんな子なんだい」

「ラフカっていうの。背が私より高いのに痩せていて、髪の毛をこう後ろでくくっていてね。それから……」

 ベルトスカの話を笑顔でうなずきながら父親は聞いていたが、途中で表情が変わった。

「あとラフカのパパはここの宇宙ステーションのゴミ処理工場で働いていて、ここに住んでるんだって」

「ここに……? それは変だな」

「何が変なの? パパと一緒に住んでてもおかしくないでしょ?」

「いや……この宇宙ステーションに住んでいる人間は誰もいないはずなんだが。しかも子供まで……」

「でも、ラフカが今日は学校があるって言ってた!」

「それもおかしい。学校なんてここには無い」

「え?」

「そもそも光速移動用の宇宙ステーションに長期間滞在してはいけないんだ。大変なことになってしまうから。ましてや住むなんて」

 父親の言葉はベルトスカの耳に全く届いてはいなかった。

 彼女が考えていたのはラフカについて。

 ラフカは確かに存在していたはずなのに。


「ベルトスカ、来たよ……どうしたの?」

「ラフカは嘘をついてたの? パパが、宇宙ステーションに住んでる人はいないって……学校もないって……」

 無言でラフカは堤防に座った。ベルトスカもそうした。

「うん。私は嘘をついた。父親はいないしゴミ処理工場で働いてるのは私。学校も行ってない。でも、ここに住んでるのは本当」

「でも、パパは……」

「ここに住んでるのは私たち『存在しない人間』や逃げてきた犯罪者とかそういうの。もう百年以上前からずっといるよ」

 光速移動加速モジュールを持つ宇宙ステーションの内部は、観測されないことで外部からは『時間が止まって見える』しかしそこから宇宙船が外に出ると、内部で経過した時間が『観測』され、内部の時間が進む。

 外からだとと宇宙船は宇宙ステーションに入ってすぐに出てきたように見える。しかし実際は宇宙ステーション内で過ごした時間が存在している。宇宙ステーション内と外の宇宙で、時間の差異があるのだ。

 それが数日なら問題ないだろう。しかしその差異が一年、十年、それ以上となれば、もう取り返しがつかない。

 宇宙船が一隻外に出るたび時間がずれる。この宇宙ステーションを訪れる宇宙船の数は少なくない。

「じゃあラフカは……」

「生まれたときからここにいるから……何歳になるんだろう?」

 外の世界では百歳以上になる十代の少女は笑う。

「誰も助けてくれないの……」

「宇宙ステーションに住む人間が見つかったときには、もう手遅れだったみたいだよ。本当かどうか知らないけど、クーデターから逃げてきた王族やいくつも惑星を滅ぼしたテロリストの残党がいるとか。あと大昔の政治家や大富豪の隠し子も。そういうのが見つかったら困る人がたくさんいるでしょうね」

「……逃げようよラフカ。私と一緒に宇宙船に乗って」

「移動制限されてるのは知ってるでしょ。監視カメラとセンサーですぐに見つかって捕まっちゃう。そして殺される」

 悲壮感のない声だった。だからこそ本当なのだと思えた。

「ねえ、ベルトスカ。外へ行っても数日だけでいい。私のことを覚えていて。そうすれば私は存在していない人間じゃなくなる。私は生きていたことになるの」

「いやだよ、ラフカ……一緒に行こうよ……」

「バイバイ、ベルトスカ。私の友だちになってくれてありがとう」

 ラフカの姿は一瞬で消えた。最初から存在しなかったみたいに。


 数日後、ラフカはいつも通りゴミ処理工場に積み上がった廃棄物から売れるものを探していた。

「あんたがラフカか」

 顔をあげると汚ならしい少年が立っていた。無言で持っていた荷物を投げ渡された。軽くて幅の広いテープが何重にも全体に巻きつけてある。

「なにこれ」

「これに書いてあったから金は俺のだからな!」

 少年はくしゃくしゃの紙切れを投げ捨てると去っていった。それをひろってみると文字が書いてあった。

『これをひろったひとへ。お金はあげるからラフカに届けて。お願いします』

 ぐるぐる巻きのテープを苦労してはがして中身を取り出す。見覚えのあるピンクのぬいぐるみだ。手紙もあった。


『ねえラフカ。あなたがこれを読んでいるとき、私はおばあちゃんになってるのかな』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュレディンガー猫ふたり 山本アヒコ @lostoman916

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ