振り向いたらいつも君がいた……

かずみやゆうき

第1話 振り向いたらいつも君がいた……

 毎朝、スマホのアラームが鳴る前に目が覚める。

 どうやら僕は目覚めがいいらしい。

 ベットから立ちあがると大きく背伸びをする。確か、今日は春冷えする一日と天気予報が言ってたっけ……。


 僕は、厚でのシャツにカーディガンを羽織るとクローゼットから季節外れのダッフルコートを取り出す。そう、僕は、人よりも寒がりで、ちょっと暑いくらいが丁度良いのだ。


 立ったまま、昨夜コンビニで買ったパンを口にくわえると、インスタントコーヒーを入れたカップにお湯を注ぐ。

 正直、こんなに急がなくても大学の一限目には十分間に合うのだが、僕は時計をチラチラと眺めながら、出かける準備をこなしていく。


 午前七時五分発の電車がホームに滑り込んで来た。

 僕は、ホームの後ろ側に早歩きで急ぐ。そして、八両目の進行方向から三つ目のドアの前に並んだ僕は、ドアが開くと右奥に三歩ほど入っていく。

 この時間なのにもう通勤ラッシュが始まっているから奥へ行くのも大変だ。でも、僕は、へこたれない。何故なら、どうしてもそうしなければならない理由があるからだ。



『いた!彼女だ』



 実は、彼女を意識しだしてから、もう一年近く経っている。

 彼女も何処かの学生なんだと思う。重そうなリュックを胸側に背負って、僕と同じ月曜日から土曜日、いつものこの電車に乗っている。

 彼女は、右手で吊り輪を持つと、左手で文庫本を器用に持ち、終着駅までずっとその本を読んでいる。


 毎日、終着駅まで集中して本を読めるって凄いなというちょっとした気持ちから彼女に興味を持ったのだが、よく見てみると彼女は、とても可愛いらしい顔をしており、吊り輪につかまる彼女の前に座っている男性がチラチラと見ているなんてのはもう日常茶飯事だった。

 だが、彼女はそんな男性達の視線になぞ目をくれず、ただ終着駅までずっと本を読んでいるのだ。


 そういう彼女を見るだけで、僕は幸せな気持ちになった。

 電車に乗り込んで、三歩右の奥に進み、振り向くと彼女の横顔が見える。今日はどんな本を読んでいるんだろう、今日はリュックじゃ無いんだとか、今日の服は凄く似合ってるなぁなんて思う。ただ、余りジロジロと見るわけにも行かず、彼女の姿を見た後は、僕もトートバックから文庫本を取り出すと、彼女と同じように終着駅まで本を読むのが日課となった。


 ある日、いつもの電車に乗った僕は、いつものように三歩右奥へ進んでいき、そして振り向く。だが、いつもの吊り輪を掴んでいたのは、中年の男性でそこに彼女の姿はなかった。どうしたのだろう?と思ったが、この一年の間、こういう時が何度かあったこともあり、明日は会えるさと気にしないようにした。


 だが、そんな僕を嘲笑うかの様に、彼女が姿を見せなくなって、既に一ヶ月が過ぎようとしていた。僕は今まで経験したことがないような脱力感、いや喪失感を感じていた。

 彼女のことを何も知らない、いや、何も知らなくていい、ただ同じ車両にいれるだけでいいと思っていたのに……。なのに、僕は、彼女と会えなくなってから今更ながら自分の気持ちに気づいてしまったのだ。


 そして、月日は流れ、彼女と会えなくなってもう一年が過ぎてしまった。


 僕は、大学を卒業するとそのまま大学院へと進んだ。でも、僕はあの時からずっと止まっていて動き出すことが出来ていなかった。

 彼女をもう一度見たい。それだけで、きっと前に進めるのに……。

 そう思う気持ちは萎むどころかますます大きくなっていった。


 だからだろうか……。

 大学院の講義は週三日なのに、僕は大学時代と同じように月曜日から土曜日まで、あの電車に乗って大学へと通った。

 毎日、毎日、その電車の八両目の進行方向から三つ目のドアに乗ると、右奥に三歩ほど行き、そして振り向く。だが、結局、大学院に通った二年間の間、彼女と遭遇する機会は訪れなかった。


 それはそうだろうと思う。

 東京には何千万の人が行き交うのだ。その中で、そんな偶然がある訳ないじゃないか……。


 心が晴れないまま過ごした大学院だったが、大学院の授業料を少しでも親に返そうと僕は、塾講師のアルバイトに励んでいた。

 僕が勤めた塾はそこそこ大きく、その支店は、東京、新宿、渋谷、池袋などの大きな駅前に必ずあった。教え方が上手いから凄く評価が高いよと事務長に言ってもらった僕は、特別コースの講師に採用され、様々な支店で教鞭を取ることになった。

 だから、家や大学から、その勤務地迄への電車の中でも、僕はいつも彼女を探していた。そして、休日は、本が好きな彼女なら来ているかもしれないと思い、神保町の古本街へも足げに通った。


 そう、、僕は、何処に行っても彼女を探していた。

 大きなリュックを背負って、片手で文庫本を器用に持つあの横顔を探していたのだ……。


 でも、結局は会えなかった……。


 もう、どうしようもないんだ。自分勝手にいつまでもうじうじと……。

 これって、一つ間違えばストーカーじゃないか……。

 僕は、自己嫌悪に陥ってしばらく塞ぎ込んでしまった。

 

 だが、そんな僕でもこれからは、しっかりと生きて行かねばならないと思う気持ちも少しはあった。だから、まずは、教師として一人立ちしようと思い立った。

 幸い、生徒に順序立てて教えるのは得意だったし、教えた生徒がぐんぐん成績が上がって、難関校に合格すると自分も幸せになった気がした。また、生徒の親とのトラブルも何とか未然に防ぐことが出来ていたのも自信の一つにはなっていたと思う。


 正直言うと、教師になったら、彼女のことを忘れられるような気がした。

 それは何故だか分からない。

 一つの区切りということでそう思ったのかもしれないが、でも、ただ、ただ、そう感じるのだ。強く、強く……。


 猛勉強をして何とか教員免許を取得した僕は、進学校と言われている私立高校の国語の教師に採用が決まった。今は女子校だが、どうやら再来年からは共学になることが決まっているようだ。

 早速、今年採用された六名の新人教師向けの説明会があると言うことで、明日、その高校へ行くことになった。

 学校の朝は早い。渡されたプリントには、明日は七時半までには職員室に入るようにとの指示が書かれている。いつもより相当早く家を出ないと間に合わない。


 当日の朝、着なれないスーツ姿の僕は、六時少しの電車に乗る。勿論、乗るのは八両目の三番目のドアだ。右奥に三歩進んで振りむいても彼女はいないと分かっているのに振り向いてしまう。

 高校の最寄り駅で降りた僕は、その高校の前を通る路線バスに乗り込むと生徒で埋まった車内に圧倒されながらもいつもの癖で、右に三歩奥に進むとこれまた癖で振り向く。


 すると、奇跡が起こった……。


 なんと彼女がいたのだ。

 僕と同じ様にスーツを着こなした彼女は、やはり左手に文庫本を持っていた。

 僕は、抑える事が出来ず彼女をじっと見つめてしまう。三年ぶりに見た彼女はとても素敵な女性になっていた。薄い化粧が彼女の清楚さを際立たせている。

 あの頃と違うのは髪がロングになった事と、リュックからトートバッグになった事、そして、、、、薬指にリングが光っている事……。




 「くっ、、、、、、」


 僕は、冷や汗をかいたまま飛び起きる。


 『はぁ、、夢か……』


 ついに彼女の夢を見るようになってしまったようだ。

 正直、僕はかなり重症のようだ。

 でも、夢で見た彼女の顔はなんとなく覚えている。三年前も素敵だったが、さらに綺麗になっていたような気がする。

 あれから一度も会ってないのに、彼女の変化まで具現化出来る自分の想像力に苦笑してしまう。


 ふと時間をみると、五時半だった。今日は、六時過ぎの電車に乗らなければ間に合わない。急いでスウェットから真っ白なワイシャツを着ると赤の細身のネクタイをしめる。黒に近い紺色のスーツを着た僕は、ピカピカの革靴を慣れない靴べらを使って履くと「さぁ、行くか」と小声で自分を鼓舞しながらアパートのドアを閉めた。


 やはり、、、、

 夢で見たような事は起こらなかった。

 

 高校の門を少し通り過ぎた所にあるバス停で降りた僕は、少しがっかりしたまま職員室に向かう。


「髙橋先生、おはようございます」

「あっ、本日よりお世話になります。どうぞよろしくお願いします」


 僕は、総務担当の阿津木先生に挨拶をする。ちょっと声がうわずってしまったのが恥ずかしい。


「この部屋でやりますので、座って待っていて下さい」

 

 僕は、空いていた机に座るとトートバックから真っ白なノートを取り出す。

 どうやら、六名の中で、僕が一番遅かったようだ。まだ七時十五分にもなってないのに、みんな早いなと思いながら、いつもの癖で右に振り向いた僕は、その場で固まってしまった。


 そこには、いつも会いたいと願っていた彼女が座っていた。この三年間、毎日彼女のことを考えていた。どうやってもどう願っても会うことが出来なかった彼女が確かにそこにいた。


 彼女は僕の想像よりも遙かに綺麗になっていた。

 やっと会えた……。やっと……。


 僕は、彼女を見たまま動けなくなっていた。だが、彼女は、僕と視線が合うと笑顔で「よろしくね」と小声で呟いた。

 その声を聞いた瞬間、僕の心は熱をおび、体中の血が騒いだ。そして、漸く動き出した鼓動と共に「こちらこそ」と言葉を絞り出す。




 それから一年が経った。

 


「なに?」

「いや、ごめん。ちょっと色々思い出していたんだ」

「何を?」

「いや、いつも右を見てしまうのって、癖なんだなぁっていうことをさ」

「ふふっ、へんなの」


 僕らは、小さなソファーに座って文庫本を読んでいる。

 今、彼女が読んでいるのは、僕が好きなミステリーだ。

 彼女は、僕の肩に頭を乗せると、「凄く面白いね。犯人、絶対言っちゃだめだよ」と言った。



 僕の右横には彼女がいる。

 僕が振り向くといつも笑顔の君がいる。

 これからも永遠に……。





 終わり

 



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