スリーピング・ダイ

夏伐

それは死者の感情

 茶色のコートを着て、私は走っていた。季節は春で、桜が目の端で満開に咲き誇る。


 国営企業から重要機密がつまったディスクを盗んだ男女二人組の企業スパイを追っていた。奥に細い山道、道路の片側が水に沈んでしまっている。


 現在はコンクリートでできた橋の上にいた。車では通れない狭い場所まで来ると二人は橋から飛び降り男はダムに用意していたボートで逃げようとしている。女は陸路から逃げようとした。


『殺すなら一撃で殺すのよ』


 通信が入る。


「わかってる」


 女は飛び降りるときにこけたようだ。少し段差があるようで、落下するように視界から女の姿が消えた。


 女はスーツであり、男はカジュアルな恰好だった。

 男は訓練された兵隊であり、女は現地の協力者。女の勤める大企業の裏の顔がそのディスクに入っている。私はそれを確保ないし破壊し、できうることなら二人を生死問わず捕まえなくてはならない。


 女はずぶの素人であるため、女が消えた方向を確認し、私は男を追った。

 こちらを見て勝ち誇ったようにディスクを掲げる男。

 私は鞄から拳銃を取り出し逃げる男の手元を狙う。


 おかしい、拳銃を撃つたびにゆるやかな軌道を描いて水が飛び出す。虹が出る。


 手元をよく見るとそれは銃ではなく黄色い水鉄砲だった。


 プロである私がこんなミスを? 焦り男を追う。


 いつの間にか大きな浮き輪のような素材で出来たトンネルがすぐ目の前にあった。水に沈んだ地面の上に、でぷかぷかと安っぽいリゾートのような雰囲気だ。


 男はそこにたどり着き私はそれを追った。なんだかふわふわとした気分になる。男も同様のようで、まるで友人に話しかけるように私に言った。


「旅は道連れと言いますが、どうですか少し泳ぎませんか」


「いえ、泳ぎは苦手なので」


 断った瞬間、吸い込まれるように水に落ちた。


 ぷかぷか浮く素材の進んでいった道が水に沈みはじめていたからだ。

 水から顔をあげると私は女になっていた。

 それなりにかわいい。

 二十代前半の女だ。おかしい。私はもう四十になる男だったはずだ。だが、疑問はどこか遠くに行ってしまった。


「大丈夫ですか」


 男がいい、水の中は案外心地が良かった。


「少し泳いでいたいのです」


 私はにこやかに応えた。男は嬉しそうに来た道を戻っていく。私はその背中をちゃんとした銃で狙った。

 命を狙われているはずの男は楽しそうにトンネルを歩いていく。


「一期一会だとかそういうのって悲しいですよね」


「そうですね」


 少し寂しい。


 が、こいつを殺さなくては。


 戻る途中に男と一緒にいた女がビキニで通路のはじで寝転がっている。女はずっと男を見ている。


 男が背中を向け女は私を見ていない。私はチャンスだと思いぷかぷかと浮かぶ素材の下にある銃に手を伸ばそうとした。黒くてよく見えないが、大きい虫の死体に手が当たってしまう。


 それが「ブフッ」と鼻を鳴らした。


「ひゃっ!」


 よく見ると、カワウソだ。


「「カワウソー--!?」」


 男と二人、こんなところでカワウソ? え、カワウソ?と言い合っている所で私はふと我に返る。


 これは夢だ!!!


 はっと気づくと私はコンクリートの橋の上にいた。

 男を探す。

 男はボートに乗る前に倒れて眠っていた。


 逃げたはずの女が消えた方向へ向かうと彼女は痙攣して血を流していた。


「女は眠り病の発生源になっている」


『そう。伝えておくわね』


 私が相棒に通信すると、彼女はぶっきらぼうに答えた。すぐにタイピング音が聞こえ、デバイスに救急班がこちらに向かうというメッセージが届いた。


 私は気絶している男を確保した。ディスクもすばやく回収する。

 女に応急処置を施し、救急班と迎えの到着を待つ。


『どんな夢を見たんですか?』


 眠り病は、他者の走馬灯に巻き込まれるという現象だと言われている。その内容を口外することは推奨されていない。ある者は、知りたくなかった父母の秘密を知り、またある者は親友の裏切りを知る。


「そういえば夢の中で、」


『夢の中で?」


 男が眠っている顔を見る。

 ちょっとキュンとする。


「俺は、………いや、なんでもない。……夢ってのは感染源が死にかけて様々な走馬燈と現実が混ざってる状態なんだろう?」


『そうね。巻き込まれた人物がいつの間にか感染源の人間になって思い出を追体験なんて事例もあるわ』


「そうか……そうだよな!! そうだよ!」


『ちょっと、どうしたの!?』


 思わず倒れている男の腹を蹴り飛ばす。

 私は高笑いした。一瞬でも悩んで損をした。


 この感情はそこで死にかけている女のときめきであり、俺のものではない。最後にこの世に残しておきたいものが、恋なのか、そう思うと可哀想な気もする。


 『眠り病』は近年発見された寄生虫が起こす事象だ。強い幻覚を見せ、脊椎と脳に埋め込んだ同調デバイスを狂わせる。宿主の命が危なくなる瞬間に近くにいる人間のデバイスをハックする。


 おかげで巻き込まれた側は死者の気持ちを押し付けられる。


 私はまだギリギリ息のある女の調査資料をダウンロードした。友達と行った海外旅行で偶然に男と出会う。その時は彼女の友人が男を紹介した。


 男は初めから彼女に狙いを定めて、彼女の友人に接触したのだろう。


 先ほどの見た夢の中の男は彼女から見た男の姿だった。資料についていた彼女のバカンスでの写真は、大きなフロートタイプの浮き輪の上に寝そべっている姿だ。

 その浮き輪はどこか夢の中のトンネルの素材に似ていた。


 読み進めていくと、彼女と男のツーショットがあった。そこは水族館だ。ああ、カワウソはここから来たのか、と私はどこか納得した。


 入り込んだ夢の中、私は自身のものとは違う感情で男に出会い、そして夢から覚めて別れた。

 こうして近くで見る気絶している男も逃げて死にかけている女も、面倒な仕事を増やしてくれる厄介者だ。


 自分の感情を取り戻すために、煙草に火をつけた。同調デバイスは必死に警告を鳴らす。そのサイレンを聞いて、私はよくやくほっとすることができた。

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スリーピング・ダイ 夏伐 @brs83875an

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