それは… 一
あれから18年余…。
今は、祐介との間に、桃子と太一と言う二人の子がいる。
あの夜から、祐介はずっと居続けた。久美子が夜勤明けから帰宅すれば、朝食の用意も出来ていた。そして、交代に祐介が出勤する。
その様子を見た近所のジジババ連中は言ったものだ。
「もう、男、引っ張り込んで」
「あれは、女房に逃げられたスーパーの店長じゃないか」
「あんな男が、良かったとは。いやはや、これでは親も浮かばれんわ」
そんなことはお構いなしに、祐介と休みを同じにしたある日。祐介の「家」へ行った。
「最低限のものだけにしてね。着るものも新しく買えばいいから」
この家を引き払う。業者が来る前に必要なものを取りに来た。
書類が少しと通帳、あちこち剥ぎ取られたアルバムと祐介自身の思い出の品と言う、本当に最低限のものだった。
後は業者に任せ、その足で銀行に行き、新しい通帳を作り、古い通帳は役目が終わると解約。写真も新しいアルバムに張り直した。
久美子は母の死後、運転免許を取った。車は兄のをそのまま乗っているが、いずれは新車を買うつもりにしている。今日もその車で、家具屋、洋服屋、大型スーパーを回り、支払いはすべて久美子のカードで済ませた。
母の死後にわかったことだが、両親は互いを受取人にして1千万円の生命保険に入っていた。それは兄にも同じく1千万円の保険が掛けられ、受取人は母だった。ここまでなら、取り立てて言う事もないが、驚いたのは久美子に掛けられていた保険金である。
何と、父、母それぞれを受取人にして、5千万円。計1億円掛けられていた。
----どうして、私にだけ…。
それも、それぞれの保険の加入日と言うのが、久美子が看護師としての初給料月だった。将来の嫁入りのために貯めておいてやるからと取り上げた金…。
つまり、久美子は自分の金で、自分だけでなく、家族全員の保険料を払っていたことになる。それも、自分だけ高額…。
人は年齢順に死ぬわけではない。親より先に子が死ぬこともある。看護師と言う職業柄、そんな事例は嫌という程、目にして来た。
だからと言って、両親はどうして自分だけに高額な保険を掛けたのだろう。もし、あのまま誰も死なず、久美子の結婚が決まったとしたら、貯めて置いてやると言った金の事はどうするつもりだったのか。まさか、その時はその時で、何とか誤魔化せると思っていたのか。
それだけではない。これも死後にわかったことだが、先祖から受け継いだものにせよ、父にはそこそこ資産があった。それなのに、どうして、娘にだけ高額な保険金を掛けなければならなかったのか。
兄さえいれば、久美子などどうでもよかった、いや、久美子が早いうちに死んでくれることを願っていた。そして、保険金でのんびりと老後を過ごす。いや、少しでも多くを兄に残してやりたかったのか。
それを思うと、怒りが込みあげて来た。如何に、長男が大事とは言え、娘の命を何と思っていたのか…。
当然、保険は解約。親と兄のものはすべて処分、家も売るつもりにしていた。そんな矢先のことだった。
何より、今は祐介との暮らしが一番である。とりあえずはこの家に住むことにした。その後、妊娠を機に入籍、看護師の仕事も辞めた。
そして、久美子は表札を「住田」に掛け替えた。
「あの娘は、家を継がんのか」
「やれやれ、家をつぶすとは」
「だから、女はダメなんだ」
だが、第一子の桃子が生まれると、そんな声はなかったことにされ、正式な夫婦として認知されていた。そして、太一が生まれた頃には、誰もとっくに死んでしまった、久美子の親や兄の話をする者などいなかった。死んだ人間より、生きている人間の方が何倍も面白い。
桃子が小学校へ入学した年だった。
祐介の勤め先のスーパーの社長から、祐介ともう一人の店長に話があると自宅へ招かれた。社長夫婦には娘が一人いた。サラリーマンと結婚し、孫もいるが、誰も商売に関心はなく、自分たちも高齢になり、いつまでも働けるものではない。そこで、二店のスーパーを売却することにしたと告げられた。
「それ、いくらで売りに出してるの」
スーパー売却の話を聞いた、久美子は言った。
「知らん」
「土地が売れそうなんだけど」
「土地?」
「うん、ちょっとした土地があるの。今は、田舎暮らしをしたい人がいるでしょ。買いたいって言うから、売るわ」
この家の他に土地があるなど、祐介は知らなかった。それにしても、田舎の土地と現役のスーパー店舗では、額が違うだろう。
「貯金もあるし、まあ、一億くらいは…。足りなきゃ、銀行で借りれば」
「……!!」
まさか、そんなに資産があったとは…。
早速に店舗購入の話を打診すれば、社長はものすごく喜んでくれた。息子のように思っていた、祐介が店を引き継いでくれるのだ。こんな嬉しいことはない。売却額もかなり割り引いてくれた。
それからの祐介は今まで以上に精力的に動いた。先ずは自分が店長だった店から、改装に取り掛かる。この店には二階があった。以前は婦人服や雑貨等を取り扱っていたが、時代の流れとともに売れなくなり閉鎖していた。
今の時代、共稼ぎ主婦やシングルマザー、高齢者も多い。そこで、総菜に特化した店にしようと考えた。
二階を総菜作りの厨房に改造した。いわば自家製なので、添加物も使わないので、今時の健康志向にも合っている。また、総菜のアレンジメニュー、チョイ足しレシピを募集し、ホームページに掲載、店内で配付もした。その他、通路を広くしたり、高齢者の為に店内の文字を大きくした。
経営者が変わったのである。店名も変更した新しい店は好評だった。もう一店舗の改装が終わると、祐介は改めて久美子に礼を言った。
「そんなの…。夫婦じゃない」
と、久美子は笑っていた。
「でも、これからは、少しは家庭サービスもしてね」
それにしても…。
祐介の前妻の真理子は、どうして娘を連れて黙って出て行ったのだろう。
仕事熱心で浮気もギャンブルもしない。客の相手をするだけあって、ユーモアのセンスもある。
こんないい夫、いい父はそんなにいるものではない。とは言っても、欠点のない人間はいない。祐介の欠点は身内に甘いこと。姉が二人と弟がいる。それぞれ遠方に住んでいるので、そこまでの煩わしさはないが、問題は独身の弟と甥姪である。
久美子と祐介の年齢差は15歳。弟は当然、久美子より年上であり、さらには甥姪と言っても、久美子と歳は変わらないばかりか、年上の甥もいる。
彼らはこの若い兄嫁・叔母を「久美子さん」と呼ぶが、金に困るとやって来る。頼まれると嫌と言えない、言いたくない、祐介の性格を知っている。そして、貸した金は1円たりとも返したことはない。
義弟が店で働かせろとやって来たことがある。働くのいいが、家では何もしない。
久美子が桃子を妊娠した時から、お手伝いさんに来てもらっている。そのお手伝いさんにすべてやらせようとする。
「洗濯くらい自分でやりなさいよ」
「えっ、そのためのお手伝いさんだろ」
「私は、あんたのお手伝いさんじゃありませんので。自分のことは自分でやって。それに、洗面所もトイレももっときれいに使って」
思ったことは口にする人だった。当然、祐介にも注意されていた。義弟は働いた分の給料を持って帰って行ったが、しばらくすると、今度は泣き落としで金を借りに来たし、甥姪からの借金依頼は今もある。
祐介とのケンカのほとんどが、その身内のことである。
きっと、前妻の真理子も身内のことで嫌な思いをしたことだろう。それにしても、そのことで、黙って娘を連れて家を飛び出すだろうか…。
いやいや、そんなことは、もう、どうでもいい。
久美子は自分の「目」が、正しかったことが誇らしいだけである。
----さあ、次はこの家を建て替えよう。
だが、今日、そのことが即刻に現実化することになろうとは…。
それは、衝撃の告白だった。
何と、祐介の前妻が、あの「真理子」だったとは…。
桃子と同級生の美加は仲が良かった。その縁でいつの間にか、家族ぐるみの付き合いが始まった。とは言っても、美加の母の加代と父の耕平はずっと別居しているとか。
「お宅は、仲がいいのね…」
そう言った時の加代の寂しそうな顔が目に浮かぶ。加代の兄、美加の伯父と祐介はすっかり意気投合し、伯父の水産会社で作っている「季節の珍味」を店に置かせてもらったり、一緒に飲みに行ったりしている。
だが、加代が病に伏し、そのまま他界してしまう。そんな美加の悲しみもまだ癒えぬであろう半年後に耕平は再婚をしてしまう。
久美子と桃子は、美加の今後を案じたが、よその家の事情に他人が容易に口を
その耕平の再婚相手の母親が、真理子だった。美加の祖母に当たる。
その縁で、久美子と真理子は、互いに何も知らぬままに会っていた。そして、互いに好感を持った。
まさか、あの真理子が、祐介の前妻だったとは…。
思えば、耕平と真紀の披露宴の日が変だった。あの明るかった真理子が俯き加減で座ったまま、そこから動こうともしなかった。また、娘の真紀もそれまでは飛び切りの笑顔だったのが、ふいに能面のような顔になってしまった。
あの披露宴は、真理子にとっても、真紀にとっても、まさかの再会になってしまった。
その後、祐介は真理子を呼び出し、家出の真相を聞いた。
何と、娘の真紀は祐介の子ではなかった…。
あの真理子に、そんな過去があったとは…。
ここまででも、久美子にとってもショッキングな話であるが、それだけではなかった。
あろうことか、祐介は久美子に、離婚を切り出して来た。
「……!!」
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