温かな肌に、舌を這わせて。

 声をもらす人間に構わず、牙を突き立てる。

 そして思う存分血を吸えば、後に残るのは冷たい身体。


 私のような存在は、吸血鬼と呼ばれている。


 当たり前のように血を与えられ──そして、当たり前のように涙を求められてきた。

 吸血鬼の涙は赤く、その涙には魔力が込められて、魔法使いと名乗る者達は、それがなければ魔法を使えないのだと。

 私の涙は、赤い。

 目の前で口にされ、彼らが魔法を行使する所を、どれだけ見たことか。

 涙はお金になる。

 それを売りながら、ずっと、旅をしていた。

 最初は、顔も知らない両親を探す為に。

 もういいと思ってからは、あてもなく渡り歩いた。

 知らないものを見ることも、既視感のあるものに懐かしさを感じることも、どれも楽しく刺激的で。

 人間と同じような食事もできるから、もちろんそれも楽しんだけれど、結局、一番満たされるのは──血だ。

 あの粘着質な液体を嚥下するたび、これが欲しかったんだと安心する。

 穏やかな幸福感に包まれ、もっと、もっと、なんて求めすぎれば、あっという間に冷たくなる。

 それに淋しさを感じるようになった頃、ブレイクスミス家の初代当主と出会い、成り行きで共に過ごす内、彼の子供、それも生まれて間もない赤ん坊を抱かせてもらい──私はその時、吸血以外にも心満たされるものがあるのだと知った。

 相手にも請われたことで、二百年ほど、子守りとして雇われている。

 ブレイクスミス家の者や使用人の血を飲ませてもらうことで、飲み干さない癖もつけられた。

 ……けれど。

 何にも縛られず、行きたい所に好きに行けたあの頃を、恋しく思う自分もいて。

 だからたまに、夜遊びに出掛けることがあった。

 夜は誰もが寝静まり、私を止める者はいない。

 まぁ、赤ん坊が産まれればそういうこともしばらくできなくなるけれど、大きくなれば再開できる。


 彼と出会ったのは、お嬢様が六歳になった頃。


 歴代で一番懐いてくれたお嬢様は、眠っている時も私の身体や服を掴んで離さず大変だったけれど、現当主が娘への贈り物として白熊のぬいぐるみを渡したことで、彼女が眠った後に自由時間ができた。

 六年振りの外出は、雨の日だった。

 皆が寝静まった夜の町を、好きに歩く。

 弱くもなければ強くもない、中途半端な雨脚は、私の足音を、衣擦れを消していく。

 雨は好き。

 汚れを落としてくれるし、雨音は耳に心地良い。

 旅人だった時のように、気分が高揚してきて──ふいに、灯りが目に入る。

 小さな建物、その窓からぼんやりと。

「……」

 こんな夜に起きている人間がいるのか。それとも、灯りを消し忘れただけか。

 気になって近寄り、ドアに手を掛けると、僅かに開いた隙間から、声が聴こえた。


「──何で刑の執行時、ウルズ・スタフォードはその場にいたんだろ」


「……っ!」

 私はそのまま、限界までドアを開け、中へと足を踏み入れる。

 雨の匂いに、本の匂いが混じる。

 そこは、本屋だったらしい。

「誰?」

 奥から声がしたと思えば、灯りと共に足音が近付く。

「どうして」

 返事の代わりに、そう言っていた。

 声の主が口にした、その名前は……。

「一応、お店は閉まってるんだけど」

 現れたのは、子供。

 短い黒髪、黒い寝巻き。灯りがなければ闇に溶けてしまいそうな子供。

 だけどその紫の瞳だけは、最後までそれを拒むんじゃないか。

 一瞬そんなことを考えながら、問い掛ける。

「どうして、ウルズの名前を口にしたの?」

 子供は首を傾げながら、私の傍に来る。

 右手に燭台を持ち、左手には古びた赤い本を抱えている。

「今はもうない国の歴史書を読んでたら、その名前が出たからつい」

 ほら、と言いながら本を私の方に近付けてくるから、それを手に取る。

「どこら辺だったかな、そこに、敵国の将の処刑のことが書かれていて、その場に彼女がいたんだって。挿し絵もあるんだけど、本当にこんな顔だったのかな」

 適当に紙を捲っていく。

「彼女はその時捕まっていたらしいんだけど、虜囚をどうして処刑場に連れてきたんだろう」

「……そんなの、決まってる」

 捲った末に、指が止まる。

 処刑台を見つめる、女の横顔が描かれた挿し絵の所で。

「処刑される男が、ウルズの恋人だったから、見せしめに」

 横顔に、指を這わせながら、文章にもざっと目を通す。

 ウルズ・スタフォードの名前と共に、処刑される男の名前も記されていた。

 私の両親の名前だ。

「えっ、そんなことどこに」

「……そう、教えられてきたのよ」

 思わず、膝から崩れ落ちた。

 お姉さん、なんて子供が呼び掛けても気にせず、その横顔を見つめる。

「……本当に、こんな顔、だったのかしらね」

「……ちょっと待ってて」

 子供がどこかに行く。

 大人でも呼びに行ったのかと思ったけど、構わず、そこにいた。

 すぐに立ち上がれそうになかった。

 ──その為に旅をして、結局、どうでもいいとやめた目的。

 こんな所で見つけるなんて。

「お姉さん」

 子供が戻ってくる。足音は一人分。

 どうでもいいと、顔を上げずにいたら、頬に何か柔らかいものが触れる。

 顔を上げれば、間近に子供の顔が。

 どうやら、タオルを持ってきてくれたらしい。

「濡れちゃってるから、その、拭かないと」

「……」

 お嬢様よりも少し年上と思しき、男の子。

 同じくらい、優しい子だ。

「……ありがとう」


 それが、シリウスとの出会いだった。

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