【出会いと別れ】春風のように

ながる

三両目、端のドア

 春は出会いとお別れの季節。

 そういう歌が街のあちこちや、隣の人のイヤホンから漏れ聞こえてきたりする。

 通学で乗る車両では、だいたいいつも同じ顔ぶれで、それももう少ししたら入れ替わることになる。

 スマホに夢中なサラリーマン。揺れやカーブを熟知して化粧を続けるお姉さん。本を読む大学生。その横で眠ってるお爺さん。埋もれちゃいそうな小学生。何人かの高校生。あぁ、あの親子は見たことないな。ようこそ一見さん。


 かく言う私も高校の制服に身を包み、ガラスに映る自分を見て、前髪の乱れやリボンを直してみたりする。ドアの戸袋側を背に身を落ち着かせれば、ちょうど反対側の同じ位置に男子高校生が見えた。特に好みでもなく、かといって酷い顔でもない。癖のある髪は手入れもされず伸ばしっぱなしにされて、派手な寝ぐせがついていたり、かと思うと突然さっぱりと綺麗に短く刈り込まれたり。少し猫背で野暮ったい印象の他校生。

 多分、向こうも私に似たような印象を持っていると思う。

 毎朝見かける、特別じゃない人。


 この車両に乗り始めて初めての夏、汗を拭こうとポケットからハンカチを取り出したら、どう引っかかったのか、リップのキャップが一緒に飛び出した。

 あっ、と思ってハンカチを掴んだままの手を出してしまい、案の定、弾かれていく。傍にいた人が咄嗟に出した指にまた弾んで、座っている人の方へと飛んで行った。幸い、そこに座ったいた女の人が上手く捕まえてくれて、人づてに戻って来たけれど。車両内には「そそっかしいヤツ」という印象がついてしまったに違いない。

 あるいは、鞄についてる缶バッチやキーホルダーから「ハリネズミの人」かもしれない。通学の間にいくつか落としてしまっているのだけど、そのたび増やしているので、私の鞄は賑やかだ。

 これといって特徴のない私を識別する唯一のもの、かも。


 今日も私は彼の前を通ってホームに降り立つ。丸二年も通っていれば、人の流れに合わせるのも上手くなった。

 私は、彼より後に乗って、彼より先に降りる人。


 🌸


 今日は学生が少ないかな?

 なんとなく、いつもより車両内に空きスペースがある気がする日だった。どこかの高校が卒業式なのかもしれない。うちの学校も明日卒業式で、在校生は休みとなる。

 他の顔ぶれはほとんど変わりなく、でも、来月になれば結構入れ替わるんだろうなと、去年のことを思い出してちょっと寂しくなった。一年間、毎朝会えるのを楽しみにしていたサラリーマンのお兄さんが、今年度は乗ってこなくなって結構ショックだったのだ。

 話しかけるでも、会釈を交わすでもないんだけど、毎朝元気をもらっていたのに。


 最寄り駅に着いて、いつもより余裕の足取りで出口に向かう。

 いつもそこに居る彼が、ポケットに手を突っ込んだのが目の端に入った。だいたいスマホを操作してるか、眠そうにしているので、別の動きがあるのが珍しいな、なんて思ってしまう。

 そのまま、いつものように通り過ぎようとして、つい、と袖を引かれた。

 えっ、と思う間もなく、ポケットに何か突っ込まれる。さらに何を言うでもなく肩を押されたので、体はホームへとつんのめるように出て行った。二、三歩進んで振り返る。右手で持っていたリュックが重くて、その場に置いてしまった。


「……何ですか」


 やっと出た声に、出発のメロディが重なり、ドアが閉まる。

 彼は口元を歪ませて、にやりと笑い(笑ったのだと思う)ひらりと手を上げて、すぐいつものようにスマホに視線を落としてしまった。

 呆然と動き出す電車を見送りながら、ポケットに手を入れてみる。

 何かふわっとしたものと、かさりとビニールの感触。取り出してみれば、私の好きなハリネズミのキャラクターのキーホルダーだった。ふわふわした方には見覚えがある。以前に落としたやつだ。


 もうひとつ、ビニールに入ったままのものには見覚えはない。振るとカラカラ音がして、鈴みたいになっているらしい。こんなのも出てたのか。

 でも、ビニールはヨレヨレで、どこかに突っ込まれていたのか、放置されていた感じがする。

 ポケットの中身を全部出してみても、それ以上のものは何も出てこなかった。メモも手紙も何も。

 行ってしまった電車にもう一度目をやってから、学校へ行くことを思い出した私は慌ててリュックを背負い、駆け出した。


 お礼を言うべきなのか、でも明日は休みだし、日を開けると声をかけにくくなるし、とか、私も何かお返しした方がいいのか、とか、ぐるぐるして、緊張して、結局自販機で買った烏龍茶を(リュックに烏龍茶のペットボトルが入っていたのは見たことがあった)降りがけに押し付けようと決めた。手に持ったまま乗った二日後の車両には、彼の定位置に別のお姉さんが立っていた。

 三日後も、四日後も、春休みが過ぎても。

 車両から何人かがいなくなって、何人かが加わった。




 ひとつ先輩だったのだなぁ、と、今でも烏龍茶を見ると思い出す。

 何も始まらなかった。でも、そんなものだ。

 歩行者信号が点滅したのを見て、少し走る。背中でハリネズミがカラカラ鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【出会いと別れ】春風のように ながる @nagal

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ