くじらと自転車 KAC20227

桃もちみいか(天音葵葉)

出会いと別れ

 君が「くじらを見たい」と言った。


 潤んだ大きな瞳をきらきらさせながら。

 君は「くじらに会いたい」って僕に言った。


 僕はくじらよりイルカに会いたかったけど、君の喜ぶ顔が見たくて、二人でくじらを探しに出掛けることにした。

 だって君の、お願い一緒に行こうって顔、期待してる表情にはどんな用事も勝てないんだ。

 僕には君が何よりの最優先事項――であって。

 だからさ、君のことが一番だってことだよ。



 島をぐるりと、暑い海岸沿いの道路を自転車で走る。

 僕らはひたすら走る。

 道が広い時は仲良く並んで、狭い時は前後になって。


 君はスカートをひらひらさせて自転車を漕ぎながら僕にニコニコと笑うから、僕は一瞬君に見惚れて、瞬きも汗も暑さも忘れてる。

 心はいつだって眩しい君に奪われたまま。


 坂道、トンネル。

 陽射しを防いで、木陰に入るとホッとする。


 海に出たって、くじらにそうそう会えるわけがない。

 けれど、僕は君が見たいと言うなら、見せてあげたいんだ。

 こうして二人で過ごせる時間が、愛しくて愛おしくて。胸の奥いつでも君を求めて切ない。


 君をぎゅぎゅうっと抱きしめてみたい。

 そんな衝動に、僕は葛藤を覚えてる。


 くじらに会えなくて、君がもしもがっかりしたら――。


 水族館にくじらの仲間に会いに行こう、君にそう言おう。


 僕は、君の笑顔と君の気持ちばかりが頭のてっぺんから足のつま先まで支配する僕を知る。

 君が僕をすべて満たしてる。

 まるでくじらが目の前のプランクトンを丸まる飲み込むみたいにすっぽりと包まれてしまう。

 

 君は、抗えない圧倒的な魅力で僕の心を奪い、惹きつける。

 磁石みたいで、惑星の引力重力みたいで。


「くじら、見れるかな〜?」

「……たぶん。いや、きっと見れるよ」


 ほんとは分からない。

 くじらなんて船に乗ってたって、見られる確率は低いんだって聞いた。


 だけど、君となら――、くじらを見れる気がするよ。


 君と一緒なら不可能だって可能になりそうな、僕は無敵な気分。


 僕らは、くじらに会えると思う。


 出会いと別れは突然だ。

 去年の夏に出会ったばかりの僕と君。

 やっと仲良くなれたと思ったのに。

 君は夏の終わりに遠い国へと引っ越してしまうという。


 自転車を漕ぐ。

 頬を優しく撫でるように、爽やかな風が吹いていた。






      了








 

 

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