第2話:地雷系カノジョのウラ顔


 その日、俺は図書委員の真司から放課後の仕事を丸投げされて、2時間ほど図書室に軟禁されていた。


「はあ……眠い」


 放課後の図書委員の仕事なんて、せいぜい返却された本のバーコードを読み取って本棚に返すくらいだろうに、真司は「このあと部活の練習があるんで」と言ってスパイクを鳴らしたままどこかへ走り去ってしまった。

 

「真司のやつ……」


 いつかそのスパイクで頭をスパーンとやってやろうか、と怖い妄想を頭の中で膨らませる。

 俺はカウンターの椅子に座ってぼんやりとしながら、窓の外で夕日に照らされる入道雲を眺めていた。

 そのとき、だった。


「あれ、誰かいる?」


「ん……?」


 図書室のドアを開けて誰かが入ってきた。

 誰だろうと思って視線を声のした方向に向けてみると……それは町灯実里だった。

 どうして彼女みたいな陽キャが放課後に一人で図書室へ……? という考えが脳裏をよぎったが、ひとまず俺は彼女と話すときに変な声を出さないように喉のチェックをしながら待ち伏せる。

 町灯はカウンターのところまでやってくると、俺を見て目を見開いた。

 

「あ、キミってA組のほら、シュー……なんとかくんだよね。まだいたんだ」


「愁です」


 シューなんとかってなんだ。シュークリームか。


「あ、そうそう。渋谷愁くん。あたし知ってるよ」


「それはどうも……光栄です」


「えっと、本の返却ってまだできる?」


 と、町灯は持っていた学生カバンから一冊の本を取り出すと、こちらに渡してきた。


「ええ、大丈夫ですよ。俺は少なくともあと30分はここに軟禁される予定なんで」


「ナンキン……?」


 町灯はあまりピンときていないようだが、いちいち説明するのも面倒くさい。というか陽キャ女子とあんまり長い時間いっしょにいると俺がもたない。

 よし、このままさっさと返却作業を済ませて彼女には帰ってもらおう。なんだか人払いをしているようで若干申し訳なく感じるが、町灯だって俺なんかといっしょに居たくはないだろう。


「じゃあ、とりあえず本預かります」


「あ、うん。ありがと」


 俺は町灯の持っている本を取ると、なんとはなしに表紙を確認した。

 「イマドキ女子の流行モノ100選」……。

 なるほど。この本が最近の陽キャ女子のあいだでは流行っているのだろうか。少なくとも俺には分からない。


 バーコードリーダーを使って流れるように本の裏表紙のバーコードを読み取ると、適当に返却箱の中に放り込む。


 本当はいちいち一冊ずつ本棚に戻したほうがいいのだろうが、いかんせん今日は箱に入っていた本が多かったから、あとでまとめて戻したほうが早いだろうという俺の考えだ。


「…………」


「ふう、じゃあ戻すか」


 町灯はもうじきここを離れるだろう。そうなればここにはおそらく誰も来ない。本を戻すのには絶好のチャンスだ。

 椅子から腰を上げた俺は箱の中のものを物色する。


「えっと、これはたしか向こうの本棚で、こいつはたぶんあそこの……」


「…………」


「あ、これどこだったっけ。まあいいや。あとまわし」


「…………」


「んーと、ブルーバックスは」


「…………っ」


 なんだろう。

 さっきからものすごい視線を感じる。


 しかも、本来だったら絶対に俺を見つめるなんてありえないだろう人からの熱いまなざしが。


 さすがに耐え切れなくなったので振り返る。そして入り口の前でいまだ蛇に睨まれた蛙のように硬直している彼女を捉えると、勇気を振り絞って呼びかけた。

 

「あの」


 とたん、彼女の背中がぴくんと跳ねる。


「は、はい、じゃなくて、なに?」


「俺が本を本棚に戻してるところなんか見ても面白くないですよ」


「あっ、ううん、違うの。ちょっと探してる本があって……」


「探してる本?」


「うん。もう図書室って閉館しちゃう? それなら明日にするんだけど」


「いや、別に構いませんよ。どうせ誰も来ないし」


「そ、そっか。じゃあお言葉に甘えるね」


 やたらとぎこちない反応を見せる町灯は俺の言葉を聞くと安堵したような表情を浮かべてそばの本棚に近寄った。

 彼女みたいな陽キャがいったい何の本を探し求めているのか大変気になったが、現世の流行とはかけ離れた場所で暮らしている俺が聞いてもどうせ分からないような代物だろう。

 だったら、俺は俺に与えられた仕事を完遂するまでだ。


「えっと……どこだろ」


 本棚を挟んだ向こう側から彼女の声が聞こえる。町灯は本当に声だけ聴いてもとても可愛らしい。なんていうか一昔前に流行った萌え声というやつだろうか。2010年代初期の萌えアニメのヒロインみたいな。

 萌え声というのも、声優以外の三次元の女性が出しているとなかなかにキツイ声ではあるが、不思議と彼女の場合は気にならない。それも町灯が絶世の美少女だからだろうか。やっぱりすべては顔じゃないか……。


「うーん、なかなか見つかんないなー」


 というか、いまはこうやって一人で図書室に来ているけれど、友達はどうしたのだろうか。彼女のまわりには大体いつも5人くらいの男女がいるから、ひとりでいる町灯を見るのはなかなか新鮮な気もするけれど。


「……あ、町灯さん」


「へっ? あ、はいなんでしょう……じゃなくて、どうかしたの?」


「ちょっと俺トイレ行ってくるんで、もし本が見つかったらカウンターのバーコードリーダーで勝手に読み込んじゃってください。自分の利用カードと裏表紙のバーコードを読み取れば借りたことになるんで」


「あっ、うん。わかった」


 と、ここに来て尿意を催したので図書室から離脱。かなりぶっきらぼうな貸し出しの説明をしてしまったが、まあそんなに複雑な手順を踏むわけでもないし大丈夫だろう。


 そう思って、残りの本が入った返却箱をひとまず棚の上に置くと、俺は小走りで付近のトイレへと向かった。



 目当ての本を探していると、ふとスカートのポケットに入れたスマホがぶるぶると振動した。


「……誰だろ、結奈ちゃんかな?」


 実里はスマホを取り出すと発信者の名前をチェックする。薄暗い部屋の中でぼんやりと発光して見えるのは「結奈ちゃん」の文字。彼女の予想はあたりである。


「うーん……ほんとは図書室で通話しちゃダメなんだけど……まあ誰もいないしすぐに切れば大丈夫だよね」


 勝手に理由付けをし、うんうんと頷いて無理やり自分を正当化した実里は、本棚の隅に寄って小声で会話し始めた。


「もしもし、結奈ちゃん?」


『あっ、みのりん。教室探してもいなかったんだけど、もしかしてもう帰っちゃった感じ?』


「ううん、ちょっと図書室に用事があったからいまは図書室にいるよ」


『え、みのりんってもしかして文学少女? 中原中也とか愛読してる系?』


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


『いま私たち駅前の繁華街に向かってるんだけど、みのりんも来る? いまんとこ私と早紀ちゃんと真守まもるくんがいるんだけど』


「ど、どうしよっかな……あたしがいまからそっち行っても間に合うかな」


『大丈夫だいじょうぶ。今日は街をぶらぶら歩くだけだから。途中参加歓迎だよ』


「そっか。じゃあ用事が終わったらすぐに向かうね」


『うん、待ってるねー……あ、真守くんも「早く来いよ」だってさ』


「うふふ、分かったよ」


 と、電話を切る際に実里はスマホを口に近づけて、わざとらしい猫なで声を出した。


「じゃあまたね、愛しの結奈ちゃん」


『おうおうー! 待ってるぜ愛しのマイダーリン!』


 そして通話は切れた。実里が結奈との会話を終える場合は大体いつもこんな感じのやり取りを挟んでいる。

 それはただ単に実里が結奈のことを好きだからやっている常套句みたいなものなのだが、まわりの男子からは「実里と結奈は付き合っている」という妙な誤解を生むきっかけとなってしまっている。


「……ふう。今日もちゃんと可愛く振る舞えたかな」

 

 実里がぽつりとつぶやく。

 スマホをポケットにしまって、本探しを続行する。


 実里が探している本は「地雷系ファッションのあれこれ」という雑誌である。地雷系女子としてクラス内はもとより学校内でも有名な彼女であるが、実際のところはまだまだ勉強中。

 地雷系女子を思わせるような振る舞いや所作だって、まだまだ研究をしている段階なのだ。

 なので彼女はそれがバレないよう毎日一人でここにやってきては、数冊の雑誌をこっそり借りて帰る、という行為をここ数か月間くり返している。


 おかげで少しずつではあるが、「地雷系」と呼ばれている女の子には近づけているんじゃないか、という自負はある。

 しかし、ずっとを演じ続けていると、さすがの実里とはいえ、少し疲れが見えてくるわけで。


「おっし、じゃあ再開するかー」


 ふと、図書室のドアを開けて入ってくる青年が一人。彼の名前は渋谷愁。先ほどまでここでカウンター業務をしていたクラスメイトだ。


「ん? あれ、町灯さんまだいたんですか」


「あっ、はい。探している本がなかなか見つからないので」


「……敬語?」


「えっ」


 実里の頭がストップする。慌てて口を押えたが時すでに遅し。今までは何とか途中で言葉を飲み込んでごまかしていたが今回はアウトだ。思いっきり最後まで敬語でしゃべってしまった。

 

「あっ、あの、これは違うんです……っ」


 見るからにあたふたして両手をぶんぶん振る。


「だ、大丈夫?」


(大丈夫じゃないよぉぉぉぉ!!)


 心の中で叫ぶ。

 そう、本来の実里は親しい間柄でもつい敬語を使ってしまうような礼儀正しい人間だったのである。

 それを普段は封印して、常にタメ口のなれなれしい女子生徒を演じているため、ふと気を抜いた時にはつい癖で敬語を使ってしまうことがあるのだ。


「え、えとっ、わ……はっ」


「……わたし?」


「はぅっ」


 ついでに、キャラに合わせて一人称も変えている。陽キャの地雷系女子を演じているときは自分のことを「あたし」と呼んでいるが、もともとは「わたし」である。

 それを目ざとく愁に指摘されてしまった実里は、もう後にも先にも退けない状況に陥ってしまった。


「……あの、渋谷さん」


「し、渋谷さんって……はい、なんでしょう」


「その、ちょっとこっちに来てくれませんか?」


 言って、実里は近くの読書用テーブルを指さした。

 もうこうなってしまってはしょうがない。

 ここで変にいつものキャラを装っても余計に不審がられるだけだ。


「えっと……」


 と、目に見えて困惑している愁。

 実里は彼の腕をガシッと掴むと、無理やり椅子に着席させた。


「えっ、ちょ、町灯さん⁉」


「無理に連れてきてすいません。だけど、どうしても渋谷さんに伝えておかなければならないことがあるんです……」


 実里は小さく息を吸い込むと、自分がいままで隠してきた秘密を洗いざらい告白することにしたのだった。

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