【短編】聖女になれば結婚してやると言われて殺されかけたら聖女になった。結婚するはずない

未知香

短編

 息が苦しい。何が起きたのかわからなかった。

 広がるスカートが見える。このスカートのレースは特別に今日の為に作った繊細なもので、職人の技術が伺える。

 それが幾重にも広がり、水の中で揺らめいている。

 息が苦しい。空気を求めて、口が開きそうになる。でも入ってくるのは水だけだとわかっている。

 それでも、我慢しきれずに口が開いてしまう。当たり前に入ってくる水を飲み込んでしまい、ともかく苦しくて、頭がぼんやりとする。

 わたし、きっとこのまま死んでしまうんだ。

 こういう時に思い出すのは走馬灯って言うんだっけ?


「本気でこの俺と結婚しようとしているだなんて、お前は馬鹿だ。俺にはレオノアが居る。白の魔法の使い手で聖女である、お前とは違う完璧な女性だ。俺と結婚したければ聖女にでもなるんだな」


 嫌な声が蘇る。

 レオノアは確かに白の魔法の使い手だ。そして、この声の持ち主のシリウスの想い人だ。

 シリウスはわざとらしく顎に手を当て、考える素振りをする。そして、ちらりとわたしの後ろにある泉に目をやった。


「ここに落ちた女性が聖女になったという言い伝えがあるのを知っているか。魔力も何も無い落ちこぼれだったお前が、聖女に憧れて飛び込むんだ。俺と結婚したいがばかりに」


 何を言われているかわからなかった。この王城の一角にある泉には確かにそんな言い伝えがある。

 だが、わたしは聖女になんて憧れたことは無い。

 魔法に関して落ちこぼれはその通りだったが、聖女になりたいなどと思ったことは無い。

 そもそも聖女など、二百年前に一度現れたのが最後なのだ。夢物語だ。


「どうして私がそんなことを……?」


 疑問には、衝撃で答えられた。

 シリウスが私のことを突き飛ばしたのだ。泉の中に。


「お前はここに飛び降りると言っているんだよ。可愛げがないだけじゃなく頭も悪いな」


 沈んでいくわたしを嘲笑うシリウスの声が聞こえる。

 わたしはそんな馬鹿なことはしない。

 いくら魔法を重視するお国柄とはいえ、王女に必要なのは魔法ではない。私は王太子であるシリウスと結婚するには十分な身分があり、教育を受けていた。だから、選ばれたのだ。

 聖女になれないから死ぬだなんて、誰が信じるというのか。

 馬鹿な男の浅はかな考えで、泉に突き飛ばされてしまった。王太子であるシリウスの家である王城の一角にある、伝説の泉に。

 そしてそのまま私は沈んでいる。

 息も吸えず、水を飲み、もう、死んでしまう。

 何故なの。ずっと頑張ってきたのに。シリウスのことだって、必ず立てるようにしてきた。レオノアのことだって咎めたことなど一度もなかった。なのに。

 なのに、なんであんな男のために。

 色々な事が思い浮かんで消え、後に残ったのは、ただシリウスへの怒りだった。

 私は、シリウスへ恋心なんてなかった。

 結婚もずっと昔から決まっていたけれど、私が望んだものではなかった。それでも私は。

 それなのに。それなのにこんな風に死んでしまうなんて……! 


 ふざけるなーーー―! ! ! ! 


 怒りが頂点に達した瞬間、私は意識を失った。


「ミリア……! 無事だったのか?」

 遠くから、聞きなれた声がする。なんだか頭がとてもぼんやりしている。そして、頬が痛い。

 不思議に思いながら目を開けると、凄く近くに金色の髪をした、整った顔があった。

 私はどうやら彼に抱きかかえられているようだった。


「ストレイン……?」


 すぐに状況を飲み込めなくて、私は目を瞬いた。

 ストレインはシリウスの護衛騎士で私の幼なじみでもある。今日もシリウスの護衛として、パーティーに参加していた。

 私に心配そうな顔を向けるストレインの目は潤み、綺麗な金髪は濡れぽたぽたと水滴が落ちている。

 あまりにも近いストレインの顔に、私は慌てて彼から離れようと体を起こす。


「ぐっ……ごほっ」


 慌てたためか、そのまま私は咳き込んでしまった。ストレインが気遣わしげに背中をさすってくれる。

 そこで私は、やっと先ほどまでのやり取りを思い出した。

 痛む頬は、ストレインが目覚めない私の頬を叩いたのだろう。

 私は殺されかけたのだ。


「急に動くな。ミリアがそんな追い詰められていたとは気が付かなかった……すまない。助かってよかった。本当に」

「え? 何を言っているの?」

「シリウス様から君の姿が見えないと聞いて、探しに来たんだよ」


 慌てて周りを見ると人だかりになっていた。

 当たり前かもしれない。この国の王太子であるシリウスの婚約披露パーティーの途中だったのだから。

 発表はパーティーの中頃で行われる予定だったので、シリウスに外で風に当たろうと誘われた時はなんの疑問も持たなかった。

 シリウスでも緊張するのだなと思っただけだった。

 そのシリウスは今、人混みの端に忌々しそうな顔をして立っていた。

 そんな顔をしたら、ばればれですよ。

 死にかけている婚約者を見る目ではない。私はため息をついて、ゆっくりと起き上がる。


「ありがとう、ストレイン……」

「君が無事なら、全てがなんてことないよ」


 お礼を言うと、ストレインはさっと手を取って支えてくれた。いつでも優しいこの幼なじみは、本当に心配してくれていたみたいだ。


「無理をするなと言っただろう。本当に、何故こんな事を」

「わからない。……ストレインが助けてくれたの?」

 

 私は首を振って、理由は答えなかった。

 先程は気が付かなかったが、ストレインが濡れていたのは髪の毛だけではなかった。その均整の取れた身体にとても似合っていた燕尾服もびしょびしょだ。彼が飛び込んでくれたのだろう。

 そっとシリウスの様子を伺うと、私の言葉にほっとしたようだった。当然のように濡れたりなどはしていない。

 ばーか。

 私は心の中で毒づいた。


「ミリアは大丈夫なのか?」


 私が訴える気は無いと思ったのか、シリウスが心配そうな顔を作って話しかけてきた。

 怒りで顔が歪みそうになるので、私は下を向いた。


「私は大丈夫です……心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 丁寧に礼をするが、ドレスからは水が滴り重い。飾り付けられた頭も、濡れて崩れてしまっているだろう。綺麗なレースも無残な姿になってしまった。

 ストレインが守るようにそっと私の肩に手を回してくれる。

 その心配する手に、気持ちが和むなあと思ったすぐ後に、とんでもない言葉が聞こえてきた。


「ミリアは聖女になりたいと良く言っていた。今のままでは私には釣り合わないと……。今回このような行動に出たのもそのせいだろう。レオノアに対しても嫉妬で悪口をよく言っていた……私が追い詰めてしまったのかもしれない。あなたに相応しい人になると外に出た時に、気が付けば良かったのだ」


 朗々と良く響く声で、シリウスが後悔するように言い募る。そして悔しげにその顔を押さえながら、何故か隣に居たレオノアの肩を抱く。

 どうやら想い人だというのは私の勘違いだったようで、恋人だったようだ。レオノアも悲しそうな顔をしながら、彼に寄り添う。

 婚約者が飛び込み自殺をしたという状況で、よくその態度が取れると感心すらする。

 私には穴だらけだと思えるこのシナリオで、二人はゴリ押しするようだ。

 くらくらする。倒れそうになる私をストレインが支えてくれる。

 そして、彼はキッとシリウスを睨んだ。


「何が追い詰めてしまったかもしれないだ! ミリアはそんな弱い女じゃない! お前がそういう行動を取らせるような何かしたのではないか?」


 そんな彼の行動を鼻で笑い、更にシリウスは言葉を重ねた。


「次期王である私の隣に立つのは、彼女には重荷だったようだ。確かに実力が伴っているとも言い難い。……私の隣に立つのは、レオノアのような聖女の方がいいだろうと思う」

「なっ……!」


 とんだ発言にストレインは声も出ないようだった。

 断わっておくが、レオノアは聖女ではなく白の魔法の使い手だ。白の魔法の使い手は回復魔法や補助魔法が得意で、確かに聖女のようだと言われるが、聖女ではない。

 そして白の魔法自体の他にも使い手は居る。その中でレオノアは最も優れていると言わざるを得ないが。


 かつての聖女は国を救ったといわれ、聖女を重要視されるのはわかる。それでも、この行動はあり得ない。

 ストレインもそう思ったようで、厳しい顔でレオノアに尋ねた。


「レオノア様は、どうお考えですか?」


 レオノアはシリウスの腕にそっと触れながら、震える声で答えた。


「私が聖女かどうかはわかりませんが……シリウス様がそうおっしゃるなら、私もそのようにしたいと思います。シリウス様のご期待に添えるように、頑張っていきたいと」


 弱そうに見せかけながら、何気に図々しいことを言っている。

 聖女かわからないじゃない。白の魔法の使い手で聖女ではないだろ! という突っ込みは何故か誰もしない。


「本気なのか……シリウス様」


 衝撃から立ち直ったのか、ストレインが尋ねる。ストレインは私を守るように、前に出てくれた。問題ないと思っていたけれど、視界からシリウスが消えると、ちょっとほっとした。

 泉に突き飛ばされた衝撃もあり、怒りで他の気持ちなどは感じないと思っていた。だけど、やっぱり怖かったようだ。それをストレインの優しさが溶かしてくれるみたいで、なんだか嬉しい。


「本気も何も、この通りだ」


  何故か勝ち誇ったように笑って、シリウスはレオノアの手を取った。レオノアも手を握り返し、照れたように微笑んでいる。なんだこの二人の世界は。

 そして二人して私の事を馬鹿にしたような顔で笑った。

 いい気になっている二人を見て、私は心の底で笑う。

 今に見てろ。


 ストレインはそんな二人を見てため息をついた。


「シリウス様の気持ちはわかりした。それなら……」


 何かを決意したように呟き、ストレインが私の方に向き直った。その顔は真剣で、なんだか急にドキドキしてしまう。

 ストレインは私の幼馴染で、魔法騎士団の団長だ。若く、才能も有り私は昔から尊敬し憧れていた。

 いつも見ていたきらきら光るような茶色の瞳が、私の事をじっと見据える。

 じっと見つめられて、急に濡れそぼった自分の姿が恥ずかしくなってくる。何もかもが台無しになっているはずの今の姿。婚約者に捨てられ自殺をした、馬鹿な女。

 それを見ても笑うこともなく、ストレインはそっと私の前に跪き、手を取る。


「ミリア、私はずっとあなたの事が好きだった。しかし、あなたは王妃になることが相応しいと思っていた。あなたには才能があり、優しさがあり、強さがあった。そして、そのための努力もしていたのを知っていた。なので、恋心を封印しあなたを応援していた。でも、こんな扱いを受けてまで、そうする必要はない」


 ストレインはぎゅっと目をつむる。そして再び開かれたその目は切望を写していた。

 まさか。本当に? これは現実なの?


「こんな事になったので、この国にいるのは難しくなるかもしれない。でも私の実力なら、他の国でもやっていけると思う。お願いだ。幸せにしたいんだ。私と結婚してほしい」


 いつも冷静な彼の顔が、不安に満ちている。叶うはずがないと思っているかのように。そんな顔をして私の手を取らないでほしい。

 嘘みたいだ。

 私は目が覚めてから、シリウスに仕返しすることしか考えていなかったのに、こんな夢のような展開が待っているなんて。


「本当に? ストレイン。ねえ、私、こんな幸せになってもいいの?」


 ずっと我慢していた。シリウスが他の人を見て、私の事を蔑ろにしても。自分にも愛情がないことを言い訳にして、気にしてないと言い聞かせていた。

 本当はストレインが好きだった。しかし、許されないことはわかっていた。

 ただ、二人でお茶を飲む時間が幸せだった。それだけだと思っていたのに。


「私の手を取って頂けますか?」


 ストレインが、そっとつぶやく。


「もちろんです……」


 私の手にキスが落ちる。

 こんな幸せなことがあるなんて。信じられない。ストレインが私を好きだったなんて、考えてもみなかった。嬉しい。本当に嬉しい。

 すっかり幸せに浸ってしまった私に、現実的な声が届く。


「何を言ってるんだ。こんな女の為にお前は私に仕えるのを諦めるというのか?」

「シリウス様が、レオノア様を選びましたので……。それに、私は国に仕えています」

 ストレインがきっぱりと伝えると、シリウスは激高した。


「馬鹿にしているのか! おい! 誰かストレインとミリアを連れていけ! ミリアも私と婚約中でありながら、ストレインとできていたとは!」


 自分たちの事を棚に上げて言いたい放題だ。しかしそれでも王太子の言葉だ。あまりの展開に呆然としていた周りもハッとし、動き出した。

 ストレインは私の事を守るように、肩を抱いた。

 わー幸せだなあ。

 肩を抱かれた私はすっかりふわふわした気持ちになった。

 でもこの状況はまずい。

 シリウスはにやにやと笑っている。レオノアも隣で、勝ち誇った顔で微笑んでいる。

 それはそれは楽しそうな二人だ。

 

 私はストレインの腕から抜け出し、一歩前に出た。

 展開は決まっていたけれど、ストレインのおかげでさらに勇気が出た。


「シリウス様。私は聖女にはあこがれていませんでした。でも、この国ではとても聖女が重要視されていますね?レオノア様もまるで聖女だと」


 私はゆっくりと告げる。


「そうだ。レオノアは聖女だ。残念だったな。この国に必要なのは聖女なのだ」

「そうですね。聖女が居ればこの国は安泰という話でしたものね」

「聖女に選ばれた私こそ、王の中の王といえるだろう」


 その言葉を聞き、私は二人ににっこりと笑いかける。二人は私の笑みに不愉快そうな顔をした。

 二人に見せつけるように、私は片手をあげた。


「ねえ、シリウス様とレオノア様。聖女とはこういうものではありませんでしたか?」


 私はそう言い、魔力を放つ。すると、精霊がやってきて、キラキラとした光がそこらじゅうに降り注いだ。

 その光は先ほど私が死にかけていた泉の水にも反射し、とても幻想的な風景を作り出した。

 そして私の足元には徐々に草が生え、大きくなり、花が咲き誇った。

 私の周りを中心にどんどん花が咲いていく見たこともない光景に、周りの誰もが圧倒されているのがわかる。


「な……なんだ! なんだこれは!」


 シリウスが戸惑ったような声を上げる。

 ストレインも驚き、私の事をじっと見ている。その視線を感じた私は、ストレインに笑ってみせる。


「ま、まさかこれはお前が……」


 シリウスは青い顔をしている。レオノアも、シリウスの顔と私の顔を、おろおろと交互に見ている。

 その二人に決定打となる言葉を伝える。


「当然ご存じだとは思いますが、聖女は精霊魔法の使い手の事です。白の魔法ではありません」


 私がそういうと、すうっと半分透き通った羽の生えた精霊が現れる、そして私の隣に留まりにこりと笑う。

 私が契約した、あの泉に住んでいる精霊だ。


「あなたが私を泉に突き飛ばし、落としたおかげで、私は精霊魔法が使えるようになりました。聖女ともいえるでしょう」

「そんな……、そんな、まさか……」


 シリウスは、ぶつぶつと繰り返すだけで未だに信じられないという顔だ。

 ストレインの手を取ると、状況を理解したストレインがにやりと笑う。


「さすがミリアだ。全て確認して、上げて落とす。やられた方はつらいな。私にはどうぞお手柔らかに」

「そうね、考えておくわ」


 ストレインを見てふふっと笑う。彼は悪い顔もかっこいい。


「聖女に選ばれた人が王の中の王でしたっけ? そうしたらストレインは王なのかしら」

「私達は残念だが、国外逃亡しよう。ただ、聖女を逃した彼は、……もう王ではないかもしれないね」

「王じゃないなら何になるのかしら」


 私はうそぶいた。そして、青を通り越して白いシリウスに視線を合わせ、にっこりと笑う。


「もちろんシリウス、あなたとの結婚はお断りよ」


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【短編】聖女になれば結婚してやると言われて殺されかけたら聖女になった。結婚するはずない 未知香 @michika_michi

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