ハルピュイア

深川夏眠

Harpuia


 どうじゃた商店街の一画を占める古書店で、オリジナルブレンドのコーヒーが自慢。

 わたくしことまさきマサキは店長代理として客をもてなす傍ら、趣味と実益を兼ねたちんぽん探しに余念がない。新しくなく古過ぎもしない、ほどほどな書物の中に、ひょっこり稀覯本が紛れているのがちょうどいいと考えているのだが、玄人筋では名の知れたビブリオマニアに目をつけられて難渋した。とはいえ、こちらも転んでタダで起き上がるではない。相手は駆け引きのあいだじゅうコーヒーを啜り続け、最後は胃が軋むと言って顔を歪めながら荷物を抱えて帰っていった。

 ふんだくってやった手垢まみれの紙幣を揃えて長財布に詰め、そういえば堀端で桜並木をライトアップするのだと思い出し、春の夜風に当たるのも悪くなかろうと出かけてみたのが間違いだった。人があまりにも多い。無秩序なざわめきに気分が萎える。早歩きで移動して息を吹き返した。

 普段、足を向けない寺の境内にポツポツ屋台が並んでいる。だが、いかんせん活気に乏しい。桜の樹が疎らなので、ここまで流れてくる見物客が少ないのだろう。火のが失せたじょうこうの余香は心地よかったが、変におとなしい夜店が不気味だった。

 大して見るべきものもないと、早々に立ち去ろうとしたとき、ガサガサしたノイズ混じりの古臭い音楽が小さく流れ始めた。地面にを敷いてあぐらを掻いた老人がマイクロカセットレコーダーのスイッチを入れたのだ。物悲しい太鼓とヴァイオリンの調べ。ふと、ほしみせなる風雅な題名の奇譚が脳裏を掠めた。

「おにいさん、珍しい話を探していなさるね」

 老人はザラザラしつつ同時に粘りけのある低い声で呼びかけてきた。

「お手持ちがおありですか?」

 すると、老人は一番近くの屋台を指差した。捻じり鉢巻の中年男性が串焼きの前で団扇をはたいている。炭や脂やタレの香りに混じって、何がなし違和感を覚える臭いが鼻腔を刺激した。

 私は数種類の焼き鳥とビールを買って戻った。老人は丸めてあった部分を伸ばして茣蓙を拡げ、座らせてくれた。一方的に缶を掲げて乾杯の合図をし、私の反応を待たずに勢いよく――恐らく半分ほど――ゴクゴク音を立ててアルコールを喉に流し込むと、

「こんなのはどうかね」

 周囲の薄明りに照らし出されたのはボロボロのじ。はんぼんだ。現代の感覚で言えば、およそきくばん相当。

 慎重にページをめくる間、老人は焼き鳥を齧りながら、味付けがどうのこうのと小声でぼやいていたが、

「おにいさんも食べればいいじゃない。あれ、酒も飲まないの?」

「ええ。お気になさらず」

 焼き鳥が嫌いなわけでも、捻じり鉢巻の大将の衛生観念を信用しないわけでもなかったし、聞きかじっただけだが「ちょうちん」というのだろうか、輸卵管に「きんかん」と称する卵黄が連なった、普段あまりお目にかかれない品には強くこころかれたけれども、この老人とシェアすることに、そこはかとない嫌悪の念を催した次第。正体不明の余計な臭みが気になるせいもあった。

 老人は一々、串に刺さった肉の部位や臓物の名を挙げ、以前食べて美味かった店と比べているのか、ブツブツ寸評を続けたが、ビールを飲みして一息つくと、片膝を立てて本の価格を提示した。

「奢ってもらった分をいて、こんなもんでどうだい」

「そうですねえ……」

 私はいい加減、馬鹿馬鹿しくなっていたのだが、見るともなしに開いた中程の見開きに目を奪われた。挿絵は存外、巧みだった。物語として大したことはなくとも、この絵に適当な値を付けるのはやぶさかでないと考え、ビブリオマニアから受け取った金をザッと渡した。

「こりゃどうも。ヘッヘッヘ」

 老人は落語家の所作を真似るように、さつこめかみを軽く叩いた。それをしおに、私は立ち上がって服をはたいた。彼は真上に月が懸かった参拝者用のトイレに向かう間際、要らないと断ったのに無理矢理土産みやげを持たせてくれた。


 私家版の筋書きは殺人者の逃亡劇で、捕縛される寸前に拾ってくれた船が難破し、名も知らぬ孤島に漂着した男が、被害者の血糊が付いたままのナイフで木片を削って武器を作り、野生動物を狩って火を熾し、串刺しにした獣肉を貪って飢えを凌ぐストーリーだった。先ほど魅せられた中盤の彩色画は、最強の難敵であるハルピュイアとの格闘シーンで、和本の中身がギリシャ神話もどきの展開という齟齬が妙におかしくて笑ってしまった。ハルピュイアもしくはハーピーは頭部から臍の辺りにかけてが人間の女性で他は鳥という姿をした、下品で食欲旺盛な怪物だ。死闘の末、男が勝ち、苦心して解体した妖怪を心ゆくまで味わう――文字通り骨までしゃぶり尽くす結末になっていた。目玉がどうの、横隔膜が何だの、一々微に入り細を穿つ描写がグロテスクで、売り主の老人が手を付けずに寄越した焼き鳥を食う気は完全に失せた。

 食べ物を粗末にするのはポリシーに反するけれども致し方ない。幸いみょうちょうは燃えるゴミの日、処分させていただこう――とて、ビニール手袋を嵌めてフードパックからを摘み上げたのだが……これは本当にただの鶏肉なのだろうか。


 翌日の午後、くだんの境内のかわやで老人の死体が見つかったとのニュースを耳にした。死因は調査中とか。まさか焼き鳥の串に毒が仕込んであって、それにあたったわけでもあるまいが。

 それより気になるのは、キッチンを中心に、部屋全体にうっすらと異臭が立ち込めていることだ。ハルピュイアは悪臭を放つともいうけれど……。

 コーヒー豆のブレンドという大事な業務に支障を来たしては敵わない。私は早速、引っ越し先の検討に入った。




               Harpuia【END】




*2022年3月 書き下ろし。

*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の』にて

 無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/apFqM0oy

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ハルピュイア 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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