骨と肉

「本当に、寝かせておくだけでいいの」

 手元で薬研車を転がしながら、鶴乃が問う。

 なんとか落ち着きを取り戻したイサナは、それでもひどく心身を削ったらしい。部屋の奥に寝かせたら、そのまま眠ってしまった。雷太は再度、鶏の世話に行ったので、八神と鶴乃の二人は声を落として話をする。

「癇を鎮める薬もあるし、暑気あたりに効くんだってあるよ」

「大丈夫だ」

 イサナの状態は薬でどうなるものではないし、何よりむやみに本人の知らぬものを飲ませるようなことはしたくない。

「まあ、それはいいけど……。竜薬も、本当に持って行かないの?」

「いらない。今回は納めた竜の骨が少ないしな」

 背に担いだ行李に詰めてきた竜の骨身。常なら行李いっぱいの荷になるそれは、今回は半分程度に収まった。

 イサナの父親であった、竜追いに言わせれば大物で上等な肉から己の取り分を得る気にはとてもなれなかったが。

 鶴乃のように八神が竜を納めることを待っている者がいたから、その分だけは春までに狩った竜を、量が少ないながら間違いなく収めた。

 文字通り肩の荷が下りて――これからどうするかまでは、靄の中だ。

「それにしたって、竜薬に代わる薬を見繕っても釣り合いやしないよ」

 鶴乃の背に並ぶ、ずらりと引き出しの並んだ百味箪笥。

 今まで竜薬ひとつで済ませてきた八神に、その細かな効果がわかるかどうか。


「ヤツさんはさ……うちの人も、だったけど。狩った命は無駄にすべきじゃないって、言うでしょう」

 鶴乃は笊に並べた竜骨を手に取る。

 血肉を削いで洗い、天日干しまでを済ませて砕いた竜の骨。乾いた骨は白い岩石のようでもあり、固めた灰のようでもあった。所々に残る血脂の錆びた色は、骨に染み付いた命の名残だ。

 鶴乃は竜骨をさらに細かく曳いた。

 竜骨を粉にするだけならそう難しくないし、自分で狩った竜の骨を自ら砕いて常備する竜追いも多い。

 けれど鶴乃は、竜を薬として一段と活かすことができた。

 他の生薬を加えて、竜の骨身が持つ力を引き出す調合をする。竜薬は万能であるという、竜追いの大雑把な捉え方とは一線引いて、効能と用法を日夜追求している。 

「命を活かしていく。もうそんな風には、思えないってこと?」

 八神は首を振る。

「私さ、旦那が死んだことも、生き物を薬にすることも。無駄とは思わないよ」

「俺だって、無駄だとは。今でも思わない」

 鶴乃の生業は、竜と死闘を繰り広げることとはまた別の性質のもので、別の熱量を伴う仕事だと八神は思う。

「少し、考えたくなっただけだ」

 そんな答えで納得したかは分からなかったが、鶴乃は、そう、と一言だけ返した。


 それきりお互いに黙ってしまって、鶴乃が薬研車を引く音だけが響くことしばし。  

 するりと衣擦れの音がして振り返ると、上掛けにした八神の羽織の下から、イサナがのそりと顔を上げていた。

「起きたか」

 八神は咄嗟に、竜骨をのせた笊にそれを包んでいた風呂敷をかぶせた。イサナの鼻がどこまで利くものかはわからないが、露わにしておくよりはましだろう。

 八神は腰を浮かせたが、イサナの方が羽織を引きずったままこちらにやってくる。

「具合はどうだ」

「……へいき」

 ぼんやりとした声で、イサナは言った。

「疲れも出たのかね。慣れない場所を、ずいぶん歩いたんでしょう」

 顔色を確かめるように、鶴乃はイサナの頬を両手で挟む。イサナはわずかにびくりとして、けれど後はされるがまま黙っていた。

「喉も乾いてるでしょう。ほら、水」

 鶴乃は水差しから茶碗に水を注ぐ。差し出されたそれに、イサナは肩を震わせて。

「……っ」

 茶碗を持つ鶴乃の手を振り払った。中の水が舞い散って、床にこぼれる。一瞬、イサナは我に返ったように鶴乃の顔を見つめ、けれどぱっと逃げ出して八神の背に隠れてしまった。

「変なものは、何も入っちゃいないよ」

 ほどいた前掛けで、鶴乃は床を拭いた。怒ることも叱り飛ばすこともしなかったのは、何かしら事情を察してくれたのかもしれない。

「……悪い」

 八神の謝罪を、鶴乃は苦笑いで受け流す。

 叱るのはむしろ八神の役目だろう。背中にかばうようなことをしている場合ではない。けれどイサナの心中を想うと、何をどう正すべきなのかわからなくなる。

 八神は転がった茶碗を拾い、再び水を注いだ。茶碗の中身を少しだけ口に含んでから、それをイサナに寄越す。

 人と竜では毒になるものが違うから、こんな行為は意味をなさない。けれどそれでようやく、イサナはゆっくりと水を飲み始めた。飲み干して深く息を吐くと、イサナはもたれるようにして八神の肩に頭を落とした。

「おなかすいた」


「もう夕餉の支度を始めちゃおうかね。雷太ももう戻るだろうし」

 切り替えるように言って、鶴乃は土間に降りた。

とり、捌けたぞー」

 良い頃合いで、雷太が外仕事から戻ってくる。抱えた鍋の中に、肉の塊が盛られていた。

「お。イサナ、起きたのか。もう具合悪くないか? 今夜は肉食って、元気出せよ」

「にく?」

 雷太の言葉に、イサナが八神の肩から顔を上げる。

「イサナに力のつくもん食わせてやろうって、雷太が言うからねえ。お客が来た時くらいは豪勢にいこうじゃないの」

「すごいな、雷太。もう一人で鶏を捌けるのか」

 鍋に盛られた肉は綺麗に解体されて、もうすでに美味しそうな『食料』であった。

 雷太は得意げに胸を張る。

「父ちゃんがいなくなってからは、俺の仕事だからな。もう卵をほとんど産まないやつがいたから、そいつを潰して。イサナ、鶏は食えるか?」

 イサナとともに旅をすることひと月、肉の類は口にしていない。八神にとって肉といえば竜肉だったが、今は絶っている。色々と考えていたら鳥も兎も追うことなく、ここまで来てしまった。だから米と野菜と、狩りをしない農民や町人と変わらぬものを日々食べている。

「鳥は、私も食べることある」

 確かにイサナは鳥を口にしていた。イサナの狩りの光景は目にしたし、八神と同じものも食べるけれど。実際に竜が何を食べているかは、八神も決して詳しくは知らないのだった。


「だけどこんなの、鳥じゃないみたい」

 鍋の中の塊を見つめて、イサナはぽつりと言った。

「は?」

「鳥の形してない。血がほとんどないし、羽根も毛もない」

「そりゃ、バラしたからな。血は抜いたし」

「血を、抜くの?」

「うん。首をへし折って、喉掻っ切って、逆さに吊るして」

「なんで血を抜くの。そのまま食べればいい」

 イサナはただただ純粋に、雷太に疑問をぶつける。

「血を抜かないと肉が青くなって、臭くなるから」

「そんなの、獣なんだから当たり前」

 お互いに困惑した顔のまま、二人は続けた。

「それからどうするの」

「湯につけて、羽根をむしって」

「確かに、羽根はちょっと邪魔」

「細かい毛は炙っちゃう」

「丸裸にしちゃうの?」

「毛が残ってたら、口の中気持ち悪くなるだろ。で、あとは捌いてく」

「さばく」

 繰り返して言って、イサナは首を傾ける。

「そうだよ。綺麗に切り分けて、中身とかも出すの」

「ばらばらに、する」

「……嫌なら食わなくていいぞ」

 イサナの差し挟む言葉に辟易したのか、雷太は低い声で言う。


「無理はしなくていいから」

 雷太の複雑な視線を感じながら、八神は言った。

 イサナなりに、思うことがあるだろう。せっかくの振る舞いだが、食欲が湧かないと言えば非礼ではないはずだ。

 雷太たちに聞かれないよう、そっと耳打ちする。

「人がいないところでなら、好きなように食べていい」

 食べるということだけで、我々はこんなにも違う生き物同士だった。

 急に生き方を変えろというのは、難しい。

 けれどイサナは、首を振って。

「ちょっと、びっくりしただけ。ばらばらだけど、確かに鳥だね。人間は鋭い牙と爪がないし、口も小さいから。だから刻むんだよね」

 知ってる、わかってる。

 自分に言い聞かせるように、イサナは口にした。

「人には竜のことはわからないけど。私も人のことは、まだまだわからないから。だからここで、皆と、食べる」

 誰にもわかってもらえないと泣いた子どもが、それでも歩み寄ろうとする。

 それは何かに縋ろうとする弱さにも、孤独と戦おうとする強さにも思えて。

「うん。じゃあ、いただこう」

 支えなければ、と強く思う。

 イサナは耳打ちするために寄せた頭を、再び八神の肩に預けるようにした。

「……でも、おじさん先に食べて見せてね」

「わかった」

 そうして八神が食べる様子を見て、それから何度も匂いを嗅いで、確認して、やっとイサナは人と同じものを食べるのだろう。

 何もかもが、深い霧の中で、手探りをして進むようだ。

 その中で見失ってしまわないように。八神は己の肩を支えにする小さな頭を、強く抱き寄せた。

 

 


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骨身に沁みゆく いいの すけこ @sukeko

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