第35話:察しが良すぎる奄美さん

***


 それから自習室に移動して、いつものように生徒の質問に答えたり、事務仕事をこなした。

 小豆は机に向かって、一生懸命自習してる。すごく真剣な顔だ。


 小豆って、その気になったら集中力が凄いな。

 奄美さんが言うように小豆って地頭は良さそうだし、これを続けたらきっと成績爆伸びするぞ。


 それにしても……ああやって熱心に打ち込んでる姿は、キラキラと輝いて見える。


 ──って!?


 いやいや。最近の俺はヤバい。

 つい小豆を見てしまってるし、しかもなんか可愛いとか輝いてるとか。そんな目で見てる。


「ねえ銀次。大丈夫?」

「え? ……あ、大丈夫だ」


 うわっ、横の席で竹富が怪訝な顔してる。

 激ヤバだ。

 コイツに俺のそんな態度を悟られちゃダメだ。

 えらいことになってしまう。殺されるかも。


「竹富先生。質問いいですか?」

「あ、うん。どうぞー」


 生徒さんが竹富に質問に来てくれて助かった。

 ギリ、セーフだ。

 キミに人命救助の表彰状を進呈しよう。




 それからは俺も竹富も割と忙しくて、なんやかんやと仕事をしているうちに勤務時間の終わりを迎えた。

 修羅場にならなくてホッとする。


 竹富がトイレに行ってる間に、俺は先に講師準備室に戻った。

 そして帰り支度をしてたら、奄美さんに声をかけられた。


「佐渡君、ちょっといいかな?」

「あ、はい。なんでしょう?」


 さっき小豆に『めちゃくちゃ可愛い』って言ってたのを見られたからなぁ。

 塾内で何を言ってるんだって、叱られるのかも。

 うわ、怖えぇ……


 他の人に聞こえないように部屋の隅に移動してから、奄美さんはニヤリと笑った。


「なかなかやるね佐渡君」

「えっと……なにがでしょうか?」


 バレバレだとは思うが、一応とぼけてみた。


「めちゃくちゃ可愛い……」

「いや、俺の声色こわいろを真似て再現しないでください。恥ずかしすぎますから」

「うんうん。香川さん、すっごく嬉しそうだったよね。恋する乙女の顔してた」

「そ……そうですかね?」

「佐渡君も嬉しそうな顔してたし……」

「してません」

「香川さんを好きになっちゃった?」

「いえ、そうじゃなくて」


 ドキリとすることを言わないでほしい。


 あれは小豆が髪色を変えたことを後悔しないように。そして勉強へのモチベーションを保つためにしたことなのだ……という説明を奄美さんにした。


「うんうん、わかるよ。あれだけ可愛い女の子に本気で恋されるとね。佐渡君だって本気で好きになっちゃうわ」

「いや。人の話、聞いてますか? だからあれは……」

「佐渡君も恋する純情男子の顔してたよ?」

「……まあ見た目を変えたし、かなり素直になったから、確かに以前よりは可愛くなったとは思いますけどね。恋する純情男子ってのは違います」

「香川さんの見た目が変わったのは単なる一つのきっかけに過ぎないわ。本質はそこじゃない」

「えっと……つまり?」

「つまり。佐渡君は香川さんに恋してるってことね」

「いや、だからですね奄美さん……」


 確かに今は小豆を可愛いと思う。だけどこれは本物の恋なのか?

 今まで俺は本気の恋なんてしたことないからわからん。


「そう言えば佐渡君。竹富さんだって、以前と変わったようなこと言ってたよね? じゃあ竹富さんにもおんなじように思うのかな? うふふ」

「あ、いや……それは……」


 確かに奄美さんの言うとおりだ。

 竹富も確かに可愛くなったと感じるけど、そこまで感情が揺さぶられたり、気になるわけじゃない。


 ──ってことは。やっぱ俺は小豆に本気で恋してる? マジか?


「あ、でも。相手は高校生だし生徒さんだし、そういうのマズい……ですよね?」


 奄美さんはバイトの先輩だし、真面目な人だし。

 生徒と恋愛禁止! なんて言いそうだ。


「別にいいんじゃない? 遊びで生徒に手を出すなんて言語道断だけど。佐渡君みたいに本気になって、真面目な付き合いするならいいと思うけど」

「……え?」

「周りに誤解されないようにだけ気をつけてね」

「えっと……俺と小豆が付き合うの、既定路線みたいになってませんか?」

「ああ、もうっ。煮え切らないねぇ。生徒さんってのがそんなに気になるなら、私と付き合っとく?」


 言ってから、奄美さんはニヤリと笑う。


「いや、それ冗談ですよね! からかわないでくださいよっ! ドキドキしますからっ!」

「あは。ごめんね。冗談よ。だって佐渡君があまりに煮えからないからね」

「そうですね。俺の方こそごめんなさい」

「付き合うっていうのは冗談だけど……佐渡君って付き合ってもいいなぁって思える素敵な男性だってことは間違いないからね」


 またウインクされた。

 そんなこと言われたら……ドキッとしすぎて俺死んだ。


「まあ私がどうこう言う話でもないからね。佐渡君が自分で決めなさい」

「はい。わかりました」


 なんだよ、奄美さんのこのすべてを包み込むような温かい笑顔は?

 まるで聖母様かよ。

 聖母様の実物に会ったことはないけど。


 でも俺も……自分がこれからどうすべきか、ちゃんと考えなきゃな。


「ねーねー銀次ぃー」


 あ、竹富が戻ってきた。


「ん? なに?」

「もつ鍋行く件だけど」


 いきなりもつ鍋の話ですか。

 めっちゃ行きたがってるなコイツ。

 頭の中がもつで溢れてるんじゃないか?


「そう言えばこの前は、飲み会に行けなくて悪かったな」

「ううん、いいよ。ところで銀次って誕生日はいつ?」

「え? 俺の誕生日? なんでいきなり?」

「あ、ほら。二十歳はたちになったらお酒もいけるなぁ、なんて思ってさ」


 どうした竹富?

 突然真面目になったのか?

 コイツなら二十歳とか関係なく飲ませそうだからな。


「えっと……七月七日」

「七夕?」

「おう。そうだな」

「うわ、もう来週の日曜じゃん!」

「あ、うん。そうだよ」

「よし決まり! もつ鍋行くの、その日にしよ!」


 ……え?

 俺の誕生日に竹富と飲みに行く?

 二人で?


「えっと……」


 頭に小豆の顔が浮かんだ。

 俺の誕生日に竹富と二人で飲みに行くなんて知ったら、アイツどんな顔するだろうか。


 それはヤバいよな。

 だけど竹富には、もつ鍋行くって約束しちゃったし。

 ランチのお返しもしなきゃならないし。

 これは断りにくいぞ。


 例え日を変えたとしても、結局二人で飲みに行くってことになるよなぁ。


 うわ、どうしよう。


「竹富さん。いいねーもつ鍋。みんなで行こうよ」

「え? 奄美先輩。私は銀次と二人で……」

「実はね。佐渡君が二十歳になったら飲みに行こうって、前から約束してたのよ。ね、佐渡君」

「あ、はい」


 そう言えばそんな約束をしたな。

 奄美さんの顔を見たら、こっそりウインクしてる。


 ……ウインク?


 あ、これは。

 奄美さんの助け船だ。

 さすが気配りの人奄美さん。

 ホントにありがたい。


 これで竹富との約束も果たせるし、塾のみんなで行くなら問題はない。これが最適解だ。


「そうなんだよ竹富。奄美さんとの前からの約束なんだ。みんなで行こう」

「あ……うん。そういうことならそうしよう……」


 竹富はちょっと不満そうだな。

 だけど他の人の手前もあるのか、奄美さんの提案を素直に受け入れた。


 でも俺の誕生日。

 みんなで飲み会って……大げさなことになってるぞ、おい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る