第32話:ちょっと体調が悪い

 ある土曜日のこと。その日は夕方から少し体調が悪かった。


 身体が重くてだるい。体力自慢の俺にしては珍しい。

 だけど熱があるわけでもない。

 色々あったし、ちょっと疲れが溜まってるのかもな。


 寝込むほどじゃないから、夕方からバイトには出勤した。

 こんな体調の日に、竹富のテンションに付き合うのはつらいな……


 ──と思ったら。

 ヤツはバイトを休んでる。

 ラッキーだ。


 講師準備室で竹富の空席をぼんやりと眺めてたら、奄美さんが教えてくれた。


「竹富さん、今日は休むって連絡くれたわよ。ゼミの特別ミーティングと、その後打ち上げがあるんだって」

「あ、そうなんですね」


 ──ん?


 よくよくLINEを見たら竹富からメッセージ入ってた。

 メッセージが来るなんてあんまりないから、マメにチェックしてないんだよなぁ。

 着信音にも気づかなかったよ。


『今日はゼミの打ち上げあるんでバイト休みまーす またね♡』


 なんだよこのハート。

 ……で、奄美さんの言葉を思い出した。

 竹富は俺に好意を持ってる?


「どうしたの佐渡君。顔色悪いよ?」

「あ、いえ。大丈夫です」


 決して竹富のハートマークに当てられたわけじゃない。今日は体調が悪いせいだ。

 でもとにかく仕事はちゃんとやらなきゃな。



 身体はだるいけど、いつもどおり仕事はちゃんとこなすことができた。

 講義が終わった後の自習室での生徒さんからの質問も、まあいつもどおり対応できてる。


「銀次さん、ちょっと質問いいかな」

「……あ、うん。小豆あずきか」


 最近小豆はちゃんと自習もしてるし、ちょくちょく質問にも来るようになった。

 有言実行でがんばってるみたいだ。

 ちょっとコイツを見直した。


「どしたん? 大丈夫?」

「なにが?」

「ん……ちょっと元気ないなって」

「ああ。ちょっと体調が悪くてな。でもちょっとだけだから大丈夫だ」

「そっか……」


 小豆が俺の隣の机をチラッと見た。

 竹富の指定席だ。

 今日は誰も座っていない。


「竹富サン、今日は休みなんだね」

「ああ。なんか大学のゼミの飲み会らしい」

「ふぅーん……」

「どうした? 気になるのか?」

「いやべーつに……」


 小豆は竹富を嫌ってるのかと思ったけど、いなくて寂しがってるのかな。


「ところでさ銀次さん。ここの解き方がよくわからないんだけど」

「ああ、これはだな。ここで出た計算結果をここに代入して──」


 何はともあれ。

 小豆が熱心に勉強に取り組むようになったのは大きな変化だ。

 俺はコイツに約束したように、それを全力でサポートする。今はただそれだけを考えよう。



***


「ふう。今日は疲れたな」


 バイトが終わって、やるき館から最寄り駅に向かって歩道を歩く。

 やっぱり体調悪いのかな。いつもより疲れた気がする。

 まだちょっとだけだるいな。


「ぎーんじさん」

「えっ? あれっ? 小豆か」

「ぐーぜんだね」


 コイツ、先に塾を出て帰ったはずなのに。

 道沿いのコンビニの前に小豆が立ってる。


「帰ったんじゃないのか? こんなとこでなにしてんだ?」

「あ……えっと……ちょっとこのコンビニで買い物してた」


 小豆の手を見たら通学カバンしか持ってない。

 コンビニで……買い物?


「あ、飲み物買おうと思ったけど、いいのがなかったんだよねー」

「そうなのか」

「最近のコンビニはダメだねー 品揃えがなってない」


 何様だよコイツ。あはは。

 今度はコンビニの品揃えをディスってやがる。


「銀次さんは駅まで行くの?」

「おう、そうだよ」

「じゃあ、一緒に行ってあげるよ」

「あげる……ってなんで?」


 えっと……俺、頼んだっけ?

 うん、頼んでないよな。


「いや、あ、あたしも駅まで行くからさ。話し相手がいた方がいいでしょ」

「いや別に。俺はぼっちは慣れてるし」

「だよねー やっぱ話し相手がいた方がいいよねー」

「人の話、聞いてるか?」

「うんうん。わかるよ銀次さんの気持ち」


 コイツ。わざと聞こえないフリしとるな。

 まあいいか。これ以上ツッコむのもめんどい。


「そうだな。話し相手がいた方が嬉しい……かな」

「あ……うん。だよね」


 俺が肯定した途端、恥ずかしそうな顔すんなよ。

 なんでなんだよ。

 こっちまで恥ずかしくなるじゃないか。


 肩を並べて歩き始めた。

 なんか小豆のヤツ、距離近くないか?


 隣を見たら華奢な身体が目に入る。

 だけど胸はしっかりと女の子らしい曲線を帯びた形をしてる。

 ……って俺、どこ見てんだよ。

 また小豆にスケベな目で見てるって怒られるぞ。


 そう言えば階段から落下するのを受け止めた時。

 あの時は必死だったから気にしてなかったけど……


 軽くて華奢で、だけど柔らかかったよな、小豆の身体。

 すぐ横を歩く小豆を見て、そんな感触が甦る。


 ──あ、ヤバ。


 そんなことを思い出すなよ。

 ドキドキしてきたじゃないか。


「あのさ銀次さん」

「……えっ? な、なに?」


 うわ、びっくりした。突然こっち見るなよ。

 目が合って心臓が止まるかと思った。


 男子大学生、街中で突然死。死因心臓麻痺。

 シャレにならんだろ。


「なにキョドってんの?」

「きょ、キョドってなんかない」

「ふぅーん……」


 もしかして、今俺、スケベな目で小豆を見てなかったか? 大丈夫か?


「まあいいや。それよりもさ。聞いて銀次さん」

「なに?」

「ウチの親がね。本気で勉強する気があるなら、髪をもっと落ち着いた色に染め直せって言うんだ。本気度を態度で示せだって。銀次さんはどう思う?」

「勉強の本気度と髪の色は関係ないだろ」

「でもね。あたしは以前、勉強しろばっか言う親に反発して、髪をこんな金髪に染めたんだよね。それは親もわかってる」

「そうなのか」


 なるほど。

 コイツの親にとっては、小豆の金髪は勉強しないことの象徴なんだな。

 でも。だからと言って。


「小豆がその髪色が好きって思うなら、そのままでいいんじゃないか。勉強への本気度は他のことで示せばいいし」

「そっか。ありがと銀次さん」


 そうだ。別に好きなものを捨てる必要はないと思う。


「でも別にあたしは特にこの色にこだわってるってわけでもないんだよねぇ。銀次さんはどんな髪の色が好きなの?」

「えっと……一番は黒髪かな」


 うん、友香ちゃんみたいな黒髪好きだな。


「うぐっ……金髪は……好みじゃないと?」


 うわ、そんな暗い顔で睨むなよ。

 ヤベ。思わず本音を言ってしまった。

 もしも小豆がホントに俺を好きなら、今のはマズかったかも。

 


「あ、いや……金髪もいいと思うぞ。あはは、気にすんなよ」

「な、なに言ってんの。銀次さんのこここ好みなんて、ききき気になんかしてないんだからっ」

「ん……だよな。だったらいいよ。ホントに気にすんな」


 しまった。なんだか気まずい空気が流れてる。

 小豆も無言になってしまった。

 ああっ、もうっ。俺ってやっぱ気が利かないダメ男だ。


「あの……さ。銀次さん」

「ん?」

「体調悪いって言ってたけど大丈夫なの?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「でもなんか、まだいつもよりしんどそうに見えるけどなぁ」

「大丈夫だって。あとはもう家帰って寝るだけだし」

「あ、そだね」


 ──ピコン!


 スマホからメッセージの着信音が聞こえた。


『やほ。今一次会終わり~ これから少人数で二次会なんだけど、銀次も来ない?』


 竹富か。なんで俺がアイツのゼミの飲み会に行くんだよ。

 んなわけないだろ。


『行かない』


 シンプルにそれだけ送り返した。


「どうしたの銀次さん。メッセージ?」

「ああ。竹富が今から飲み会に合流しないか、だって」

「え……?」


 ──あ、しまった。黙ってりゃよかったか。


 小豆と竹富の嫉妬心を刺激しないようにするつもりなのに。俺って迂闊だ。


 横を歩く小豆が、不安そうな顔でじっと俺を見つめていた。

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