第13話:えい、触っちゃえ!

 講義準備室で事務作業をしてたら、八丈先輩と奄美さんが講義を終えて戻ってきた。


「ねえねえ佐渡君」

「はい、なんでしょう?」

一昨日おとといはすごかったね~」

「一昨日?」


 あ、小豆あずき落下事件のことか。


「落ちてきた香川さんをガッシと受け止めて、ふらつきもしなかったって聞いたよ」

「あ、いえ……大したことないです。彼女細身なんで軽かったし」

「そうだよ、みどり。相手が女の子だからなぁ。大したことないよ」


 いやいや。落ちてくる小豆をよけた八丈先輩が言わないでくれ。


 ──と思うけど、先輩だから黙っておく。



「そんなことないわよ。か細い女性って言ってもそれなりに体重があるんだから。ああ、佐渡君の活躍、直接見たかったなぁ」

「いやホント、たまたま運がよかったんですよ」

「でも佐渡君はなにかスポーツやってたんでしょ? 捻挫の応急処置も手早くて慣れてたもの」

「そうですね。中高と柔道部でした」


 そのせいで、汗と血と畳の匂いが俺の青春の思い出だ。女っけゼロの男臭い青春。悲しい。


「へぇ~ 柔道部!? 意外ね。見えないよ」

「よくそう言われます」


 柔道部って言うと、一般的にはガッチリ、ずんぐりしてるってイメージがあるらしい。あとガニ股のイメージな。


「俺は軽量級だったんで、ちょっとイメージ違いますかね?」

「うん。それと佐渡君って優しくて可愛い顔してるでしょ。柔道部の人ってイカついイメージあるよ」


 か、可愛い顔って……

 奄美さんは時々そう言うけど、こんな美人に言われたら照れる。顔が熱い。


「ふぅん……可愛いねぇ……」


 あ。八丈先輩が不機嫌な顔でブツブツ言ってる。


 ヤバ。あの人奄美さんを好きだし、お試しとは言え付き合ってるだもんな。

 彼女が他の男に可愛いなんて言う姿は見たくないに決まってる。


「ねえねえ佐渡君って細く見えるけど、実は細マッチョだとか?」


 浪人してる時も大学に進学して一人暮らししてからも、一応毎日筋トレはしてる。

 元々贅肉は付きにくい体質みたいで、筋肉量はある方だ。


「すごいね! ちょっと触っていい?」

「あ、やめてくださいよ奄美さん!」


 イタズラっぽい笑顔で人差し指を伸ばしてくる奄美さん。俺は身体をよじって逃げるが……


「うふふ、逃がさなぁ~い。えい、触っちゃえ!」

「うわ、なにすんの奄美さんっ!?」


 指先でぷにぷにと胸筋をつつかないで!

 シャツの上から奄美さんの指先の感触が伝わる。

 くすぐったい!


「わあ、すご~い! 固くて厚いね、胸筋きょうきん


 奄美さんの嬉しそうな笑顔。やっぱ美人だ。


 ──おい俺の胸筋。

 ミス帝都大に触られて嬉しいか?

 嬉しいよな!


「クッ……」


 ──あ。八丈先輩がすごい目で睨んでる。


 やめて奄美さん……八丈先輩の視線が怖い……

 


「そうかそうか。佐渡は筋肉自慢なんだな、あはは」

「あ、いえ。別に自慢じゃないですよ。あはは」


 八丈先輩、絶対に怒ってる。目が笑ってない。

 笑って誤魔化すしかない。


「まあ俺だって、今まで喧嘩で負けたことないぞ」

「へぇ、凄いですね。その上イケメンで帝大生だなんて。八丈先輩、最強ですね。そりゃモテまくるのも納得です! あはは」


 今までドラマとかで上司にゴマをするサラリーマンを見て、なんだコイツらとか思ってた。だけど謝る。ごめん。

 今ならあなた方の気持ちがよくわかります、日本のサラリーマンの皆さん!


 いつも職場で顔を合わす先輩に、恨みを持たれたくない。


「そうだろそうだろ! 佐渡、よくわかってるじゃないか。なあみどり!」

「へえ、そうなの。八丈君はインテリ派だと思ってたけど意外だね」

「いやいや。俺は文武両道派だ。高校ん時はサッカー部だったし」


 運動部やってて現役で帝都大に合格するなんて、それはやっぱ八丈先輩ってすごいな。お世辞抜きに。


「あ、そう言ってたよね。そっか。サッカーは氷上の格闘技って言うもんね」


 ──へ?


 それはアイスホッケーじゃね?

 そもそもサッカーは氷上じゃないし。


 いやでも、奄美さんは天下の帝大生だ。

 もしかしたら俺が知らないだけで、そう言われてるのかも……


「佐渡君。冗談だよ?」


 奄美さんが俺に向けてニッと笑った。

 なにこれ。お茶目すぎてめっちゃ可愛いんですけど?


「あ、やっぱり……でも帝大生の奄美さんが言うから、一瞬ホントにそうなのかと思いましたよ」

「それはハロー効果だねー」

「ハロー効果……ですか?」

「うん。心理学用語ね。ハローってのは後光って意味。帝大生だから正しい知識を持ってるって、過大評価してしまうってわけ」

「なるほど……」

「だから大事な物事を判断する時には、そういうバイアスがかかってないか、見直すことが大切なのよ」


 ほぇ~

 奄美さんの説明はよどみなく、わかりやすかった。

 すげえなこの人。


 知的で美人で優しくてお茶目なところもある。

 こんな女性が好きになる男って、いったいどんなスーパーマンなんだろう。


 ──ま、少なくとも俺みたいな男じゃないことは確かだ。だから考えても仕方ないか。


「ホント、奄美さんってなんでも知ってますね!」

「なんでもは知らないわ。知ってること……(以下略)」


 奄美さんと楽しくワイワイ喋ってたら、気がついたら八丈先輩は部屋を出て行ってた。


 ヤバ。機嫌損ねたかなぁ。

 今後は気をつけよう。

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