第11話

 昨日と同じようで全く違う景色が、僕の視界を横切っていく。イヤホンからは、昨日彼方さんから教えてもらったスリーピースバンドの曲が流れていた。


 彼方さんと待ち合わせの時間の指定をしていなかったことを思い出したのは、昨夜眠りにつく直前になってからだった。僕たちは連絡先すら交換していなかったので、一番当たり障りのない選択肢として、僕はまた昨日と同じ始発から二番目の電車であの海岸まで向かっていた。

 寝不足に電車の優しい揺れが追い打ちをかけ、目が霞む。寝過ごすわけにはいかないので、僕はあえて昇りかけの太陽を睨んで、重くのしかかっていた瞼を焼いた。

 なんで僕はここまでしているのだろう。そんな冷めた自分だって、もちろんいた。

 彼女が僕より追い詰められた人間であることは明らかだったけれど、別に彼女が死のうが生きようが、僕の人生は何も変わらない。むしろ、いつまた自殺するか分からない彼女と関わりを持ってしまって、それでいざ目の前で死なれたらどうする? それでもまだ、僕は傍観者でいられるのだろうか?

 そこまで考えて、もしかしたら僕は、彼方さんに対して自分が思っている以上に罪悪感を抱いているのかもしれないと気づいた。

 もしくは彼女を利用していると考えることで、自分を罰せられているような気になっているのかもしれない。

 答えは、まだ分からなかった。


 電車が停まり、ホームを抜けて石階段を下る。一歩一歩、踏み外さないように確かめながら。

 昨日雨宿りをした屋根付きのベンチに、彼方さんは座っていた。海を眺めている彼女の背中に向かって僕は歩く。


「おはよう」


 気配を察してか、彼方さんはふとこちらを振り返って、そう言った。あと一歩で僕の方から声をかけようとしていたところだった。


「……おはようございます」

「ふふ、硬いなあ」

「別に」


 彼方さんは僕が座るためのスペースを空けてくれた。


「何時からいたんですか?」

「え? 一時間くらい前かなあ」


 きっと僕が始発で来る可能性を考慮してのことだろう。


「すみません、待たせて」

「いいんだよ。私が待ちたくて待ってたの」

「……そんなことないでしょ」


 彼方さんは嘘つきだ。でも、彼女は自分のためにはそれを使わない。どちらかといえば、損でしかないような嘘ばかりをつく。

 正直、僕は彼女のそういうところが苦手だ。自分はそんな嘘をついたことがないから。


「ねえねえ、遥。聞こえる?」

「何が、ですか」

「波の音」


 彼女に言われて、僕は初めて波の音に対して意識を向けた。ずっと聞こえてはいた。けれど、能動的に聴く波の音は、もっと色々な雑音に揉まれている。さらさらとしていたり、または何かが弾けるような音がしたり、一つも同じ音はない。


「波の音は、海の鳴き声だと思うの。ほら、今だって私たちに何か言ってるみたいじゃない?」


 彼方さんの言葉に、僕はあまり関係のないことを連想していた。


 あれはいつだっただろう。確か、小学校低学年のときに受けた理科の授業だったような気がする。

 空は初めからあんな鮮やかな水色ではなくて、太陽が水面に反射して、海の色が空にうつっているから青く見えている。だから、目に見えるものが全てとは限らないし、身近な人も物も、実は思いもよらないところから恩恵を受けているものなのだ、と得意げに語る教師に対して、「ナルシストっぽい」なんてお調子者からの野次が飛んでいた。そこに関しては、僕も少し同意していた。

 そのお調子者の名前は林孝司。彼は小学生になる前から地元のサッカー部に所属していて、当時は有名なサッカー少年だった。なんでも、小学三年生にして県選抜のジュニアクラブへの加入が確約されていたという、いわゆる有望株というやつだった。

 そんな彼は、僕の降らせた雨によって利き足である右脚を骨折した。

 クラブへの加入は絶望的となり、そのまま林はサッカーをやめてしまったらしい。


 彼の未来は、僕の降らせた雨によって殺された。

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