第7話 教会へ出向くアンヌ

 

 サン・マニュエル大聖堂は聖地にあり、ノワール王国の国境を超えたかなり先にある。

 王都からだと、巡礼者の足で一ヶ月、乗り継ぎの早馬を飛ばして三日といったところか。


 アンヌの場合、音以上の速さで空を飛ぶので十分もあれば着く。


「助かるわ。何も食べてなかったの。ついでに昨日からろくに眠ってもいないわ」


 早朝。


 アンヌはサン・マニュエル大聖堂の見晴らしの良いバルコニーに通されて、用意してもらった出来合いのサンドイッチをもぐもぐと食べていた。


 具は卵だ。レタスにトマトを挟み、塩で味つけられたものもある。

 新鮮なミルクが、ほのかに甘く、温かかった。

 肉がないのがやや物足りないが、教会でご馳走される立場なので有難いと思いこそすれ文句をつけるつもりもない。


 朝日が赤々と昇り、アンヌの珊瑚朱色の髪に血のような鮮やかさを加えている。

 百年近くの時をかけて建築した大聖堂は垂直な大理石の柱とアーチから成り、屋上にある大鐘楼を中心に規則正しいシンメトリーを描いている。


 そこらのお城よりも高く作られた聖堂は、教会の権威の象徴だ。日々の巡礼者は絶えないし、寄進も相当に集まる。

 その証拠に、聖堂を彩るステンドグラスや彫像類はお抱えのガラス職人や造詣師の手によるもので、そこらの貴族が同じものを手に入れようとしたら破産を覚悟しなければならないほどの金がかかっている。


 当然、泥棒を警戒しているし、貴族どころか王族ですら立ち入りできないフロアも多い。


 ところがアンヌの場合、普通の人間にはよじ登れない石壁を軽々と超え、対魔物用の防御結界も僧兵の監視もするりと抜けると、法王の政務室に入った。


「アロー。朝早くごめんなさいね。ティアは居るかしら?」

「おお。アンヌ! やあ、びっくりした。いるよ。もちろんいるよ。直ぐに呼ぼう」


 しわくちゃの頬に喜色を浮かべ、齢九十にもなろうかという法王猊下は突然に非常識な手段で現れた美貌の女に驚きもせず迎え入れた。


 ユーゴーとは違って、彼はアンヌを怖がっていない。

 どころか、懐かしい相手との再会を喜んでいるふうである。


 それもそのはずで、法王ミシェル一世と彼女はマブダチだ。

 半世紀以上も前に、一緒にパーティを組んだ戦友だった。


 剣王、アゾッド。

 大聖女、ティアージュ。

 聖剣の勇者、リジェルド。

 黒鷺の魔術師、ミシェル一世。

 無敵の大盾使い、リーメブロウ。

 最終的に全員殺して解決する女、アンヌ。


 当時は、そんな風に呼ばれていたっけ。


 パーティ名は『虐殺の悪女と五人の高弟たち』


 ちょっとひどいと、アンヌは思う。


 いや。言い直そう。

 ものすごくひどい。

 他の面子のカッコいい二つ名に比べて、アンヌの評判だけが血生臭い。だいたいなんだ、悪女って。

 もう少しマシな呼び名は無かったのか。


 戦い方からつけられた?

 失礼な。悪評に尾ひれを付け過ぎですわ。


 わたくしが全員殺して解決するケースなんて全体の五割もいきませんわよ?

 それも、殺されても仕方がないことをしてきた外道たちばかり。

 普通は一割もいかないって?

 というか、皆殺しするなんて発想はまともなら浮かばないですって?


 それ正気? どういうお育ちなの? 本気で言ってるの?

 余りにぬる過ぎない?


「そういう所ですよ」

「本当に、姉様は相変わらずですこと」

「貴方たちはずいぶんと丸くなったわね」


 ふらりと訪れたアンヌを、大聖女ティアージュも喜んで迎えた。

 ちょうどいいから食事にしようということで、人払いをし、見晴らしのいい展望台に三人だけで向かい合い、サンドイッチをいただく。


 舌鼓を打ちながら、ここに来た理由を説明した。


「なんと――」

「困った人もいるものですわね……」


 数多くの修羅場をくぐり、魔王討伐も成し遂げた後に数十年もの人生経験も積んで、滅多なことでは取り乱さないはずの法王と大聖女の二人が瞠目し、しばし言葉を失っていた。


 魔物を際限なく呼び込む呪い。

 実際には、魔界とこの世とを繋ぐ禁呪だ。


 下手を打てば、現在の魔王との戦争にすらなりかねない。


「禁呪に指定をし、使った者は誰であろうと破門すると布告しているのですが、いやはや、無知とは恐ろしい……」


 ミシェル一世が嘆息した。

 車輪の再発見ではないが、欠陥があるなどの理由で禁止された呪文も、長い時間を過ぎると使い手が現れる事がある。

 禁止されていることも、禁止された経緯も知らずに、魔導書の記述のうちの都合の良い所だけを調べて実践してしまうのだ。


 今回もその口だろう。


「となると、申し訳ない。余に落ち度があったようだ」


 ミシェル一世が、白い聖帽をかぶっただけの禿げた頭を下げる。


「落ち度?」

「数日前に、はるか遠くのノワール王国の王子の使いという者が現れて、破邪の結界を張れる聖女を派遣して欲しいと訴えて来たんだ。かなり執拗だったそうだが。神官はそれを虚言だと判断して門前払いしたと昨日聞かされた」


 数千万の信徒を持つ教会の聖地だけに、法王は多忙を極める。

 アポイントも無しに信者が簡単に目通りできるわけがないし、大抵は下っ端の神官が対応をする。

 どうせろくに取り合わずに重要案件ではないと勝手に判断したのだろうが、今回ばかりは最悪の対応だった。


「呆れた。教会の聖職者様も随分と手抜きをするようになったものね」

「返す言葉もない」


 孫娘に近い年齢のアンヌにたしなめられて、ミシェル一世はひたすら畏縮した。


「姉様、仕方がないのよ。魔物の討伐の要請があるたびに数少ない聖女を派遣したら、いざという時に聖女がいなくなって本当に魔物討伐で困っている地域を助けられないの。だから話を聞いてみて、魔物の規模や危険度が低いと判断した場合はお帰り頂くことが多いのよ」

「呪文の性質上からしても、訴えを聞いた時の魔物の規模は大したことはなかったはずなんだ。今はどうかは分からないけれども」

「今後は、魔物の規模と質だけで下っ端に判断させないことね」

「ああ、対処する」

「よろしい」


 教師が生徒に言うような口調だが、言われた方は数千万の信徒を持つ教会の法王、言った方は辺境で暮らす女伯爵だ。


「どうやら大馬鹿の第一王子と違ってケヴィン王子の方は、相当に優秀みたいね。彼の立場と地位でできる最善手を打っているんですもの」


 呪いの禁呪によって呼び寄せられた魔物の数を減らして手が付けられない大群になるのを防ぎつつ、なるべく時間を稼ぎ、根本的な解決ができるであろう聖女に協力を要請する。


 惜しむらくは、地方国家のしかも王位継承権が三位でしかない王子ごときでは発言力が伴わなかったことだ。


 もしも教会へ来たケヴィン配下の騎士の陳情が拾い上げられ、ミシェルかティアージュが呪いの事に気づけたのなら。

 アンヌの知らぬところで、この件は円満に解決していたかもしれない。


 サンドイッチを食べきって、アンヌは立った。


「禁呪を封印しに行くわ。ティア、一緒に来て。ミシェルはノワール王国へ査問部隊を派遣。証拠を揃えて今回の事態を招いた馬鹿を徹底的に潰すこと。いいわね?」

「任せてくれ」

「まあ。姉様とまた冒険できるなんてワクワクするわ」


 老法王と老大聖女は、六十年以上も若く見える女伯爵へ二つ返事で応えた。

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