モノ忘れ探偵とサトリ助手【焼き鳥】

沖綱真優

焼き鳥の登場する物語


「馴染みの酒場がしばらく休業しててな。様子を見てきちゃくれねぇか」


 急に暖かくなった三月初旬、回転焼きを携えて正木善治郎興信所へやって来たのは、警部山之内だ。


「ほら、おまけも付けるからよ」


 駅で配っているティッシュをふたつ、トレンチのポケットから取り出し、応接テーブルに置く。


「そんなモノで鼻を擤んだら、剥けてしまうじゃないですか」


 正木所長は言うと、ぶひー、この季節だけはセレブなティッシュを鳴らした。

 テーブルの下のクズ籠に丸めて投げ入れる。


「急にあったかくなったからなぁ。うちの若いモンもブヒブヒ言わせてるわ」

「景気の良い話じゃないんでしょうな」

「ワカモノなら酒女バクチってか?バクチは困るなぁ、商売柄」

「よくあるじゃないですか。ではなく、先ほどの」

「あぁ」


 山之内はひざを打つと、正木の後ろに立っていた助手の中島健太二十六歳を向いて、


「彼の住んでいる辺りじゃなかったかな。駅周辺の大規模工事」

「つまり、地上げに関わる話ですか?きな臭い話の割に礼がショボい……」

「まぁまぁ。じゃあ頼んだよ。住所はココ」


 メモ一枚を残して立ち上がった。



 *



 駅の高架化に伴う周辺工事で、一帯の店舗は立ち退きを迫られていた。

 市の事業であるため当然、相応の金銭か代替地を宛がわれるが、周囲の店舗が次々と閉店、移転を決める中、その居酒屋と三軒隣の質屋だけが暖簾を下ろしていなかった。

 取り壊し工事用の養生シートに囲まれた瓦礫や、取り壊し終わった更地も混じる中、子どものブロック遊びのような四角い建物がポンポンとふたつだけ孤立している。


「できるだけ長く居座って額を吊り上げる。常套ですが、周囲の風当たりは強くなりますね」

「公共事業ですし、坪単価やらで決められているのでしょう?粘り勝ちなんて、実際あるんですかね」

「まぁ、」


 駅前の一段高くなった辺りから店舗を観察していた正木善治郎は、隣の更地に軽トラックが入ったのを見ると早足で動き出した。


「こんにちは」


 作業服の若い男ふたりに近づく。


「あぁ、こんにちは。お宅は?」

「あちらのお店なんですがね」


 隣の暖簾を指さした。


「予約を取ろうと電話しても繋がらなくて、仕事の途中に寄ったんですが」

「あぁ、やってないよ。な」

「あぁ。夕方になっても匂いがしないからなぁ。やってたら寄るし」


 若い男のひとりは、噛み合わせた歯の前から横に拳を動かした。


「何か変わったことはありませんでした?」

「変わった……あぁ、そういや」


 男ふたりは顔を見合わせた。


「何日か前、黒い服を着たやつらが店の前をうろついてたな」

「いや、店の中に入ってったぞ」

「そうなのか?じゃぁ親戚か何かかな」

「もう少し詳しく聞かせていただいても?」


 正木はふたりに尋ねたが、


「あ、そろそろ行かねぇと親方に怒られるわ。すんません」

「なんか乱暴な感じで入ってったのは見たよ、じゃあ」


 作業服のふたりは慌てた様子で歩き出した。


「ありがとうございました」


 振り返らないふたりに丁寧に頭を下げてから見送ると、正木は健太を振り返った。


「よほど立ち退きたくない理由がおありなのでしょうかねぇ」

「それにしても黒服の男たちってのは剣呑ですね。拉致監禁、もしくは」

「まぁ、どうでしょう……」


 正木は顎先に拳を置いて、じっと暖簾を見た。


「意外と、何でもない話かもしれません。まぁ、長良川警部のシリーズを愛する君には少々つまらないでしょうが」



 *



 事務所に戻り、何件か電話を掛けた正木は、夕方、健太を伴って再び店の前にやってきた。

 ハッチバックを跳ね上げたベージュの軽自動車が一台停まっている。

 横開きの戸にノックもないが、健太が叩こうと拳を胸の高さに上げたとき、がらがらと開いて、中から女性が現れた。

 焦げ茶に染めた髪を無造作に後ろでひとつに束ねた若い女性は、両手に大きなダンボール箱を抱えて、今しがた戸をスライドさせた右足を健太の左足の上に着地させて、


「きゃっ」


 軽く悲鳴を上げる。


「おっとっと」


 健太は踏みつけられたまま、バランスを崩した女性を支えた。


「ごめんなさい、急に、まさか人がいるなんて」


 慌てて右足を退けると、重そうな箱を持ち直した。

 健太は下から箱を支えながら、


「車に乗せるんですね?お手伝いしましょう」

「あ、大丈夫です」


 女性は健太を振りほどくようにスタスタ歩き、車のキャビンに箱を置く。ずんと荷台が沈む。

 黒の長袖Tシャツと濃藍のジーンズ、エプロンは店のものらしいロゴと絵が描かれている。

 黒髪至上主義は改めよう。女性の横顔を見て、健太は思った。


「何かご用ですか?店の件はもう終わったので……」


 女性の冷たい声音に健太は驚く。


「結構な惨状ですな」


 後ろで店の中を覗き込んでいた正木探偵の言葉がさらに驚かせた。

 振り返ると、割れた瓶やコップが散乱し、ひっくり返った椅子が転がる床が見えた。


「まさか、無理やり……?」

「何のことですか?」

「立ち退きを拒否する店主を拉致して、書類に判を押させたのですか」

「いったい、何のこと……」

「あなたのような、あなたのような方が、そのようなっ」


 悲愴な顔で女性に寄る健太の肩を、正木が後ろから掴んだ。


「ですから、利根川警部の観すぎですよ。君」



 *



「孫の坂城茉莉さかきまりです」

「お孫さん……」

「そちらの、興信所、つまり探偵さん、」

「はい、今お渡しした名刺の通り、正木と申します」

「正木さんは、お分かりでしょうけど……」


 少々お待ちくださいと、女性はガラスを片付けて椅子を整えると、正木と健太を店内に誘い入れた。

 店の奥からサイダーの瓶を持ってきて栓を抜くとふたりの前に置き、自分も呷った。

 ぷぅ、けふ、と吐息にゲップを混ぜた女性に色気を感じ、いや、騙されるもんかと肩に力を入れた健太の横で、正木もサイダーを傾けた。

 拍子抜けて、瓶に付いた雫を指で弄っていると、ふたりは名刺交換を始めたのだ。


「おじいちゃん、腕は立つけど頑固モノで。やれマナーがとか、客が気に入らないとかで、売り上げは下がる一方。立ち退きは願ったりだったんです」


 業態的にマナーも何もないが、食べる順番やら食べ終わった後の串の置き場所やら細かいコトにうるさく、特に若い客がツイッターで噂を流し始めてからは客入りは悪くなっていた。

 味には定評があるため、昔からの馴染みは来店してくれていたが、新規顧客が増えない限り、細る一方だ。


「ひとり暴れて駄々こねて。

 おばあちゃんの法事のときに皆んなで説得して説得してやっと」


 茉莉はサイダー瓶の横で拳を握って、嬉しそうに言った。


「やっと、私の嫁ぎ先のかしわ農家の近くでお店をやってくれることになりました」


 六次産業化をめざしていると弾んだ声で話す茉莉を、健太は少しだけ恨めしい目で見ていた。

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