先輩と焼き鳥と私

真朱マロ

第1話 先輩と焼き鳥と私

「変わってないなぁ」

 改札を出てすぐの懐かしい風景に、私は笑いだしそうになった。


 高校を卒業してすでに四年。

 電車通学していたなじみの駅を再び日常で利用するなんて思ってもみなかった。

 大学も無事に卒業し、通っていた高校の近くにある雑貨屋さんに面接が決まった。


 今日は面接前の下調べだ。

 約束の時間にちゃんと間に合うように計画をたてよう、とか。

 採用されなかったらどうしよう? なんて不安とか。

 そんな浮足立った気持ちで家を出たけど、懐かしい駅を出た瞬間から高校時代の無鉄砲で怖いもの知らずだった私と一緒にこの道をたどってるみたいで、緊張がほどけてくる。


 駅前の商店街を抜けると近道だったはずだ。

 記憶をたどりながらスタスタ歩く。

 何年もたっているのに、高校時代に見たままの風景が残っていた。


 私だけがタイムスリップして、迷い込んだみたいだ。

 お肉屋さんのコロッケとか、見切り品がとんでもなく安い果物屋さんとか、思い出の中と変わらず営業していて、お店に立っているおじさんやおばさんも同じ顔のままで、懐かしい。 

 商店街の端に差し掛かった時、ふわっと漂ってきた香りにグゥッとお腹が鳴った。


 香ばしい独特のにおい。

 焼き鳥の香りはいつも、ダイレクトに胃に響く。

 お昼から焼き鳥? と迷いながらも、足がフラフラと匂いに誘われて動いてしまう。


 たどり着いた緑色の暖簾に、懐かしいな、と思った。

 高校時代を思い出し、つい立ち止まってしまった。


 このお店も変わらず営業しているんだ。

 そのことが、ただ嬉しい。


 高校時代の思い出は、汗と陸上と焼き鳥だった。

 ストップウォッチとにらめっこしながら全力疾走して、一秒でも記録を伸ばそうとしていた。

 何度もフォームを確認し、頭の中は陸上しかなくて、日が暮れる前まで走ることもあった。

 女の子らしさの欠片もないベリーショートで、筋トレばかり励むから丸みやおうとつの少ない体つきで男子に交じって走り回っている私は、部活仲間からは弟扱いされていた。

 更衣室はさすがに女子用を使っていたけれど、平気で水筒を回し飲みして、タオルの貸し借りも普通だったし、気遣いどころか性差を意識すらせず、今から思えば恥ずかしさで発狂しそうになる。


 黒歴史にならないのは、先輩のおかげだ。

 部長だったひとつ上の先輩は無口で、皆が嫌がる長距離を黙々と走る人だった。

 朝練も欠かさず来るし、通常の部活時間もきちんと参加して、全員が時間内に校門を出られるように気遣いもしていた。

 少し早めに上がらなければ帰りのバスに間に合わない子が遅れないように、黙々と走っていてもちゃんと時計を見て声をかけるような人だった。


 そんな先輩だから、男子とじゃれ合う私がケガをしないように近くにいてくれたし、喧嘩の際には必ず仲裁してくれたし、水筒の回し飲みはやめろと眉間にしわを寄せて説教をされたし、女の子のタオルを野獣に渡すなとめちゃくちゃ怒られた。

 しかたないからタオル借りるのは先輩のだけにすると言って、何度も奪って走ってやった。

 短距離走者の私はダッシュこそ引き離すけれど、トラックを半分すぎるころには長距離走者の先輩につかまるのが常だった。


 私は、先輩のタオルが好きだった。

 顔を埋めてクンクンすると、いつも焼き鳥の美味しそうな匂いがした。

 実家が焼き鳥屋で、一階で焼き鳥を焼くから、二階で干している洗濯物がすべて焼き鳥の匂いになるのだと聞いて、私は「奢って」と厚かましくもおねだりしたけれど「大人になったらな」と流されたのも覚えている。


 大人っていつだよって私は笑ったし、どう頑張っても今じゃねぇなと先輩も笑った。

 だから、先輩の実家である緑の暖簾のある焼き鳥屋さんの場所は知っていたのに、中に入ったことがなかった。

 この店に入るのは大人になってからだと、決めていた気がする。


 部活で仲の良かった友達と会うと、その話が出てくる。

 良い匂いのする先輩のタオルを私が奪い、それを先輩が必死の形相で追いかけるのがお約束で、先輩が卒業するまで続いたからだ。

 それと同時に、付き合っていたの? とか、今でも付き合ってる? と尋ねられて、ご期待にそえなくてすまない、としか答えられなかった。


 あの頃の私は前ばかり見ていて、なんというか思春期で恋や反抗期で揺らぐ友達なんかと比べると、バカと紙一重としか言いようのない無敵な子供だったのだ。


 ただ、先輩のタオルの匂いが好きだった。

 私は、先輩に追いかけられる瞬間も好きだった。


 恋とか愛とか付き合うとか別れるとか、そのひとつずつの意味も感情もわかっていなかったし、想像すらしていなかった。

 私が先輩に恋をしていたのか、先輩が私に少しでも心を傾けていたのか、今でもわからない。

 それでも先輩といた時間は、間違いなく私の青春だった。


 そんな胸に詰まるような感情に引っ張られて少しの間動けなくなってしまったけれど、緊張を飛ばすように私はふぅっと強く息を吐いた。


 今ならお店に入れるけど入っていいのかわからなくなって、ふぉぉぉぉ~と心の中で悶絶していたら、ガラリとお店の引き戸が開いた。

 中から出てきた白い板前さんみたいな服を着た若い男の人が、店の前に立っている私に目を丸くする。

 先輩だった。


 ここまで向き合って、正面で目が合ったら逃げようもない。

 思い出の中よりもずっと大人になっている先輩の登場に声にならない叫びをあげ、心の中でうわぁぁぁ~と私はのたうち回っていたけれど、先輩はニッと笑った。


「久しぶりだな」


 そう言って先輩は、手に持っていたメニュー表を表に掲げる。

 書かれているのは昼だけのランチ案内だ。

 暖簾は出ていたけれど、本格稼働は今からなのだろう。


 てんぱっている私のことをいったん視界の外において、先輩はサクサクと営業準備をしていた。

 そして、なにから声をかけていいのか口をパクパクさせている私に向かって、当たり前のように「どうぞ」と先輩は言った。

 扉を開けて中に促すので、ちょっと上目遣いになってしまう。


「い、いいの? 大人しか入れないよね?」


 先輩は再び目を丸くして、くつくつと笑いだした。

 そして懐かしい笑顔になると、高校時代のように私の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。


「いいんじゃね? 髪型が違うだけで、印象も変わるな。ずいぶんと綺麗になった」


 どこのナンパ野郎に教えてもらったんだよって台詞をサラッと吐くので、私は思わずうつむいてしまった。

 その途端、サラッと流れて、伸ばしていた髪が頬にかかる。

 ベリーショートだった髪型も、今では肩甲骨ぐらいまで伸びている。

 

「やわらけぇ髪。なんかこれ、癖になるな」


 飽きもせず先輩は私の頭をなでて、愛玩動物扱いされてしまった。

 それにしても、手がデカい。声が渋い。

 なぜか、本物の先輩がかっこよく見える。


 ヤバイ。不意打ちだったせいもあるけど、心臓がはじけそうだ。

 うつむいた目に映った私の手が指先まで真っ赤になっているから、たぶん顔も真っ赤だろう。

 どうしていいかわからなくなったところで、パフッと頭にタオルをかけられた。

 てんぱっているのに気付いた先輩が、首にかけていたタオルを私の頭にかぶせたらしい。


 部活の時と同じだ。

 懐かしい焼き鳥の匂いがする。

 なんておいしそうな匂いなんだろう、と思うと同時に私のお腹は、ぐぅぅ~と怪獣のような鳴き声を上げた。

 もうやだ、恥ずか死ぬ。


「おまえ、うちの焼き鳥、今でも好きなんだな」

「え? まだ食べたことないよ?!」

「匂いと味ってのは、つながってるからな。タオル泥棒め」


 身に覚えがありすぎて、私はうなるしかない。

 先輩のタオルを奪うくらい、焼き鳥の匂いが好きだとバレていたとは。

 いや、あれだけ強奪してクンクンしていれば、当然だろう。


「それとも夜に来るか?」

 

 ビールもあるぞ、と大人に対する誘いに、なんだか肩の力が抜けた。

 そうか、いつ来ても良いんだ。


「今から、いいかな?」


 当たり前だと笑って、先輩は私を中に促した。

 懐かしくて香ばしい独特の香りが、店いっぱいに充満している。

 導かれるままカウンターに座ると、焼き鳥の香りがダイレクトに胃に届いた。


 炎にあぶられて落ちる油と、炭のはじける音と、それから汗だくで動き回る先輩。

 焼き鳥を焼いているお父さんに、私を学生時代の後輩だと紹介して、職人のように動き回っている。

 女の子の知り合いがお前にいたのかとお父さんが驚いていたので、私はひそかに喜んだ。

 親子の会話から察すると、今の先輩には彼女も恋人も奥さんもいない。

 というか、彼女いない歴は年齢とイコールで、いまだかつて付き合った女の子がいない。

 よし、ラッキー! と思った罪深き私を、神様お許しください。


 不埒なことを考えている私に気づきもせず、仲良し親子は黙々と焼き鳥を焼いていた。

 備長炭の熱に流れる汗を拭こうとした先輩は、私がタオルを持ったままだったことを思い出したのか、こっちに顔を向けるなりニッと笑った。

 

「おまえ、俺のタオルが本当に好きだよな」

「この店の焼き鳥の匂いが好きなんです」


 私は先輩のタオルを握りしめたまま、べーっと舌を出す。

 先輩はそれを見て屈託なく笑いだすし、お父さんの肩もクツクツと揺れていた。

 その暖かな空気に、胸に感情がぐっとこみあげてくる。


 高校時代の私は、自分の感情にすら無頓着だったけれど、今になればわかる。

 私は、先輩のタオルの匂いが好きだった。

 追いかけられるのも、先輩だから嬉しかった。


 汗と陸上と焼き鳥の匂いが私の青春だった。

 たぶん、あのころから、先輩のことが好きだった。


 今日の私が、焼き鳥屋さんのカウンターに座っているのは、本当に偶然だけど。

 運命だったらいいなって思うぐらい、目の前にいる先輩から目が離せない。

 こうなることが定まっていた気がする、なんて言ったらおかしいだろうか?


 思い出でも、憧れでも、幻想でもなくて、今確かに私はここにいる。

 大人になった今の私も、子供だった私と同じように、先輩に恋をするのだ。

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