吾輩は焼き鳥である

綾坂キョウ

吾輩は焼き鳥である。

 吾輩は焼き鳥である。部位は「もも」。とある焼き鳥屋の皿の上に載っている。


 どこで生まれたかと言えば、北海道である。ビタミンEが豊富などという、地鶏として有名な部類であった。大勢の仲間らと共に割合広い鶏舎にてピーピー鳴いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは飼育員という、人間中で我らの世話をする種族であったそうだ。ただこの飼育員というのは時々我々を捕まえて煮て食うという話である。しかしその当時はメシを寄こしてくれる彼らを別段恐しいとも思わなかった。

 この鶏舎にてしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると仲間らと共に運ばれることと相成った。暗いトラックにより運ばれ、無暗に眼が廻る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。


 ふと気が付いて見ると、我は焼き鳥屋にて焼き鳥となっていた。他にも「ぼんじり」「とりかわ」などがいる。それぞれに吾輩の意識が宿ってあるのか否か、それは分からない。ただぷりっとした身は香ばしく焼かれ、余計な脂の抜けた表面はややカリっと、噛み締めた中は肉汁がじわりと滴るであろう出来栄えである。タレなどという無粋なものは付けず、塩のみで我が味わいを引き出している。

 塩は沖縄の生まれである。添加物を使わぬ塩は、店主のこだわりである。

 店は盛況で、今もまた、とりかわめらが石焼の皿に載せられ運ばれて行った。やいのやいのと、離れた席にて歓声が起こる。


「お客さんはどうしますか」

 店主が、カウンターに座る青年に声をかけた。青年はビールを傍らに置き、顔は既に真赤という有様だ。

「僕ですか、一串風月ひとくしふうげつ閑生計かんせいけい人食ひとはしょくす唯眼前肉ただがんぜんのにく

「何ですかそれは」

「何だかわからんですよ」

「わからんですか、困りますな。お客さん吞み過ぎじゃあないですか」

「(嘔吐が)きっと出る事になりますよ」

「困りますな」

 店主はそう言って、青年からビールを遠ざけた。


「そうですね。じゃあメニューの端から端まで」

「そりゃ愉快だ。お客さん私は生れてから、こんな注文されたことはないです。だからもう一杯水をどうぞ」と店主は注いだ冷や水を青年に差し出した。青年は一人でぐいぐい飲んで「おえっ」と呻いた。


「……なぁんでフラれたんだろうなぁ」

 店主は片眉を上げ、それからふぅと息を漏らした。それが嘆息なのか微笑みなのか、吾輩には分別つかなかった。

 やがて不意に、吾輩の載った皿が持ち上げられた。

「お客さん、若いうちはいろいろあらぁね」

 青年は、眼前に置かれた皿を見、また店主を見ると、また「おぇっ」と漏らした。その真赤な眼の際が、いくらか濡れている。

「ごちそうさまです……」

 青年の手が、ふらふらと吾輩の串をつかむ。青年の口に近づくと、ビールの苦いアルコールの香りがした。どうしても焼き鳥とビールは性が合う。


 青年が、がぶりと吾輩にかぶりつく。焼き鳥が痛みなど感じるわけもない。次第にビールの苦みと吾輩の旨味とが、青年の舌の上で一体となっていく。ただ皿には別の「もも」となった吾輩が順番待ちをしていて、皿の上にいるのだか、舌の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ食われるのを待つばかりである。否ただただ今食われてもいる。

 日月を切り落し、我が身を粉韲ふんせいして不可思議の太平に入る。吾輩は食われる。食われてこの太平を得る。焼き鳥となった吾輩は、食われなければ太平を得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

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吾輩は焼き鳥である 綾坂キョウ @Ayasakakyo

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