彼と私だけの秘密

卯野ましろ

彼と私だけの秘密

「ねえねえ、ひとちゃんって何カップ?」

「へ?」


 今日、学校で友達から衝撃的な質問をされた。 


「ど、どうしてそんなことを聞くの……?」

「だって、ひとちゃん胸おっきいじゃん! 前から気になっていたんだよね~」


 私を囲む他の子たちは全員「うんうん」と返事した。


「わ、私は大きくないと思うなぁ……」

「えー? おっきいよ!」

「そうそう。グラマーだよ、ひとちゃん」

「顔も性格もかわいいし、それにスタイル良くて羨ましい~」

「っ……!」


 みんなは褒めてくれているけど、すごく恥ずかしい。胸を覆いながら、真っ赤な顔を下に向ける。すると「ひとちゃん、かわいい~」と声を揃えて言われてしまった。


「で、何カップ?」

「え、えっと……」


 これって言わなきゃダメなのかな……。キラキラした目で見られている……。


「……Dカップ……」

「え、ひとちゃんDカップなのっ?」


 ああああああああ。

 どうしよう。

 ますます恥ずかしくなった私は、熱々の顔を両手で覆っている。


「ねぇ、それならDって大きくない?」

「Dは普乳って言われているけど、あれ嘘だよね?」

「巨乳だよ! ひとちゃん巨乳!」

「そ、そんなに大きな声で言わないで……」

「あっ、ごめん!」


 私って実は胸、大きいのかな?

 いや、そうじゃないよね……。

 きっと普通だよ、うん。


「Dカップって、確か子猫二匹分の大きさって言われているような……」

「え、そうなの? かわいい!」


 その例えが嬉しくて思わず喜んでしまうと、また「ひとちゃん、かわいい~」と、みんなに言われてしまった。

 ううん、そんなことはないよ……。


「中学時代、柔道部の男子は幸せだったろうね」

「えっ?」


 意表を衝かれた発言に、私は目を丸くした。

 

「確かに! こんなにスタイルの良い美少女と密着できてさ~」

「寝技とか、やばそうじゃない?」

「あー! やらしいよね、あれ!」

「絶対ひとちゃんの体目当てで練習する男いそう!」


 ……そっか、そういう風にも考えられてしまうのか……。


「いや、それはないんじゃないかな……。みんな部活、真面目にやっていたよ」

「あー、そりゃそうか。特に近岡ちかおかくんは、そういうの嫌そうだよね~」

「近岡……」


 ここで優士やさしの名前が挙がり、ドキッとした。


「近岡くんって、部長だったっけ?」

「うん」

「じゃあ、なおさら真剣にやるよね」

「そうだよ。ずっと近岡は……」

 

 かっこよかった。


「一生懸命だった」

「やっぱりなー」

「だよねー」


 あっさりと分かってくれた様子を見て、ホッとした。良かった。ずっと全員が頑張っていた柔道部に、変なイメージを持たれるのは悲しいから。


「それに近岡くん、好きな女の子がセクハラされるのは許せないよね」

「……」


 私が再び赤くなって黙っていると、本日三度目の「ひとちゃん、かわいい~」が聞こえてきた。

 あのことは誰にも言えない。

 初めて胸を触られてしまったこと。そして胸に触れた人が、好きな男の子だったこと。




 中学時代のある日。いつものように私は、柔道部の練習に励んでいた。練習の後半、私は優士と乱取りしていた。


「はあっ……はぁ……」

「大丈夫?」


 もうそのころの私たちは男女の壁ができて、力に差がついてしまった。そのとき優士に投げ飛ばされた私は、息を切らして畳の上に倒れていた。そんな私を心配してくれた優士を、今でも忘れられない。優しい彼は仲間としても、女としても私を大切にしてくれていた。


「……うん、ありがとう……」


 増していく好きという気持ちを、できるだけ抑えながら立ち上がった。


「……良かった」


 私が返事すると、安堵した彼は微笑んだ。

 しかし穏やかな空気も、お互いの表情も、あっという間に変わる。私が体勢を直すと、すぐに乱取りが始まった……はずだった。


「あっ……」


 乱取りが再開された数秒後、私たちの声が重なった。


「……!」


 揃ったのは声だけではない。二人は同時に顔を赤く染めた。

 優士の右手が私の左胸に触れた。まるで柔道着を掴むかのように、私は大きくてがっしりした手に胸を揉まれてしまったのだ。


「ご、ごめん!」


 優士は伸ばしていた腕を引っ込めた。そして、胸を両腕で庇う私に謝った。


「し、仕方ないよ、柔道だから……」


 本当に仕方がないと思う。柔道は密着して争うから、こういうことはあってもおかしくない。第一、いつも私たちは真剣に戦っている。絶対に優士を悪者にしたくない。


「ほら、続けよう」

「……うん……」


 私たちは何事もなかったかのように、乱取りを続けることにした。でも結局ずっと、意識し合っていた私たち二人。お互い早く終わることを願いながら、力なく乱取りを続けたのだった。

 部活が終わって帰宅しても、私は彼と胸のことばかり考えていた。左の胸に、まだ感触が残っている。

 男の子の手……。

 やっぱり近岡、男らしいな……。

 確かに初めての経験に戸惑ったけれど、私は決して嫌な気はしなかった。好きな人に触れられて、より恥ずかしかったけど……好きな人だからこそ嬉しいって気持ちもなくはない。

 でも近岡は、どんな気持ちだったのだろう。

 私の胸はDカップで、あまり大きいとは言われないらしい。全くないわけではないけれど、近岡は不満だったかもしれない。

 ……いや、それよりも私と練習するのが嫌になっちゃったりして。もしかしなくても私、悪いことしたよね……。ただでさえ女ということもあって気を遣ってくれているのに。

 ああ、私は本当にバカだ。近岡の気持ちを考える前に、触られて嬉しいだなんて。いつもあれだけ優しくしてもらっているのに、どうして私は変態になってしまうのか。


「ひとちゃん、ご飯よ~」


 一人で悶々としていると、お母さんの声が聞こえてきた。


「あ、はーいっ」

「今日は焼き鳥丼よ~」


 私にとってタイムリーな食事だった。鶏肉を食べると胸が大きくなると聞いたことがある。お母さんの焼き鳥丼は、いつも通りおいしかった。あと味噌汁に豆腐が入っていたことにも感謝した。豆腐もバストアップに効くらしいからだ。

 あの日は「もう私と練習してくれないかも」なんて心配になったけど、それからもずっと優士は私と練習してくれた。腫れ物に触るような扱いも全然なくて安心した。そして私たちは約束した。


「昨日のことは、ずっと二人だけの秘密にしよう。もし誰かに知られて広まったら、おれたちは学校にいけなくなる……」


 彼は優しいから、私のために約束してくれたのだと思う。それに、二人だけの秘密が嬉しかった。もう絶対に、ずっと守っていく。




「あ、良い匂い……」

「あー、焼き鳥か」


 私の胸の話で盛り上がった日の放課後。焼き鳥屋さんの匂いが、私たちの鼻に入ってきた。


「腹減ったし、食べるか?」

「わー、良いね!」

「じゃあ、おれ奢る」

「え、それは……」

「頼む、たまには奢らせて」


 私が鞄から財布を出そうとすると、その手を優士の手が止めた。


「……うん」


 あの男らしい手に触れ、きれいな目で見つめられた私は、大人しく彼に従うことにした。


「何食べる?」

「ぼんじりの塩」

「ぼんじり……うまいのか?」

「うん! 超おいしいよ! 中がトロッとしてて……」

「へー、おれも食べてみよう。二本目は?」

「そんなに良いの?」

「一本だけじゃ物足りないだろ。何にする?」

「じゃあ……レバーのタレかな。貧血が気になるから」

「おれは無難に、ももタレにしよう」




 Dカップ……?

 休み時間。おれは用事を済ませて教室に戻ったが、しばらく入室できなかった。すごい情報が耳に入ってきたからだ。

 Dカップ……。

 ひとみはDカップ!

 普通だとされている、Dカップ!

 いやいやいやいや何が普通だよ。

 充分でっかいぞ、あれ!

 あのとき、おれ心臓バクバクだったぞ!

 ひとみは巨乳だろ!

 誰だDは普通とか言ったのは……。

 あれで足りないなんて、どういうことだよ!

 子猫二匹分か……。

 あー、かわいいなぁ!

 その例えで喜んじゃうひとみかわい「やっしー、お願いだ!」

「はっ!」


 おれが教室の前に立っていると、隣のクラスの友達が来た。


「な、何だ?」

「なあ数学の教科書、持ってる? オレ忘れちゃってさ。貸してくれ」

「あ、ああ! 分かった!」


 会話の続きが気になったが、おれは聞くのをやめた。そして、ひとみたちから離れている方の戸を開けて入室した。

 ……おれは何てことをしてしまったんだ。

 たまたま「Dカップ」が聞こえてきたけど、その後は立派に盗み聞きしてしまった。

 ……放課後、ひとみに何か奢ろう。せめてもの禊を、お詫びをしなくては。

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