二幕目 輪廻を映す鏡①

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 和歌子が周りの人間とは違うのだと自覚したのは、幼稚園に通いはじめたころだ。

 ぼんやりと浮かびあがるように思い出される記憶は、現代ではない。平安末期、動乱の世に生きた武将、源義経の生涯に一致すると気がついたのは、幼稚園で歴史の絵本を読み聞かせてもらったときだ。

 前世とはいえしよせんは他人の記憶だ。いろいろ思い出してしまうものの、和歌子の話ではない。突然、テレビの電源が入って、歴史番組が垂れ流されるくらいの気持ちだった。日常生活に、さほど支障はない。

 記憶だけなら。

 問題は、和歌子に人並み外れた能力が備わっている点だ。

 軽々と跳躍したり、速く走れたり……和歌子の頭が、身体の動かし方を記憶している。ほとんど本能で動いており、第六感がフル回転している状態だ。

 和歌子にとっての普通だった。他人より足が速くて嬉しい。幼稚園の運動会では一等賞が当たり前だったし、漢字もみんなよりたくさん読める。なにをやっても、一番だと褒められるのが楽しくて仕方がなかった。

 それが間違いだと気づいたのは、小学校に入学したころだ。

 和歌子は高校生とけんをした。しかも、男子相手である。いわゆる、不良と呼ばれるグループだったのだろう。怪我をして腕をギプスで固定している彼らの同級生に、石を投げて暴行していた。

 その様が、どうしても許せなくて……和歌子は小さな身体で飛び出したのである。

 和歌子としては、弱者を集団で虐げる行為をよしとしなかっただけだ。誰にも助けてもらえないなんてつらい。見捨てられているみたいで……手を差し伸べたかった。

 前世の和歌子は、誰にも助けてもらえなかったから。

 戦さに明け暮れて、気がつけば、周りに味方はいなくなっていた。

 過去を思い出して、和歌子は独りよがりの正義感をふりかざしたのだ。

 そして――やりすぎてしまった。

 和歌子のしたことはすぐに問題となり、保護者や学校での話しあいが開かれる。

 誰も殴ったりしていない。和歌子はただ挑発して、逃げ回っただけだ。しかし、不良グループの一人が足を滑らせて転倒し、骨折していた。そのため、逆に自分たちが被害者であると主張されてしまったのだ。

 けれども、小学生の女の子が木々を飛び移ったり、宙返りしたりして高校生をほんろうしたなどという話を信じる大人はいなかった。結局、親同士の示談で片づいたらしい。


 ――和歌子。お前は、普通じゃない。


 事件は解決したけれど、それだけでは終わらなかった。

 和歌子は追いやられるように千葉県のしんせき宅へとあずけられ、小学校も転校した。和歌子が相手した不良の報復から身を守る意味もあったが……もう、周りに「和歌子は普通ではない」と噂が広まっていた。しばらくは、別の土地で大人しくしていろという、罰だ。流罪のようなものか。

 和歌子は、普通ではないらしい。

 身体能力だけではなかった。価値観や立ち振る舞いも、現代にはそぐわない。

 前世と――義経と同じではないか。能力を発揮して、人から疎まれる。前世となにも変わっていない。

 和歌子は、それから自分の能力を隠した。徒競走では常に真ん中の順位を走り、球技も不得意なふりをする。前世の記憶があるなど、絶対に知られないよう注意した。調子にのって喧嘩もしない。

 それは普通じゃないから。

 わたしは、普通に生きるんだ。

 目立たず、静かに、まっとうに……普通の女の子として生きようと誓う。小学校、中学校を実家から離れて暮らし、ようやく高校で鎌倉へ帰ってきた。両親も、充分に反省した和歌子を見て、今は安心してくれている。

 もう、失敗しない。

 それなのに――。


「だから、敬語で話しかけないでくださいよ。変な関係だと思われたら、どうするんですか!」

 校門につくなり、和歌子は叫んでしまった。それは、もう力いっぱいに。

 なのに、言われた当人は、不思議そうにまゆを寄せていた。

「主人を敬うのは当然では?」

 蔵慶武嗣は、至極真面目な顔で言い放つ。

 一方の和歌子は、納得がいかない。昨日まで、かなりフレンドリーな話し方をしていたはずなのに、どうしてこうなった。変わり身が早すぎないか。

「もう主人じゃないですから。あなたとわたしは、他人。他人です。百歩譲って、担任教師と生徒ですよね?」

 和歌子は、叫びたいのをぐっと我慢して、声を潜める。

「なのに、あんなこと言って……」

「あんなこと?」

「覚えてないんですか。じゃあ、無効でいいですね」

「結婚については本気ですが」

「冗談であってほしかったんですけど、そこは」

 昨日のことを思い出すと頭が痛い。

 武嗣は、和歌子が薄緑を扱うのを目撃し、義経の生まれ変わりだと知った。そして、今世もお守りしますと誓ったのだ――ここまでは、理解できる。いや、理解できないけど。理屈としては、通っていなくもない。

 あろうことか、勢い余って武嗣は和歌子にプロポーズしたのである。

 なんで、その思考に辿たどり着くんですかね!?

 和歌子だって、恋愛には興味がある。顔面偏差値が高い武嗣からの告白なら、並みの女子はうれしいだろう。

 しかしながら、これは違うと断言できた。弁慶……ではなく、武嗣は和歌子に恋をして、こんなことを言っているわけではないのだから。

「だいたい世間的に見て、教師が生徒にいきなりプロポーズとか、ありえないですから」

 どう考えても、よろしくないだろう。少女漫画の筋書きなら、キュンとするのかもしれないが、あいにく、これは現実だ。禁断の恋で燃えあがるのは、人の心ではなく、世間からの評価である。炎上的な意味で。

「無論、あなたが法的に結婚できる年齢まで待ちますとも」

 武嗣は、「きちんと心得ている」とばかりに胸をたたいた。いやに頼もしいし、なにより顔がいいので、和歌子は反射的に「うんうん」と、うなずきそうになる。

「いやいやいや、そういう問題じゃないんですってば。わたしの意思を尊重してください。今は政略結婚じゃなくて、恋愛結婚の時代なんですよ」

「政略結婚ではないでしょう?」

「たしかに。じゃあ、これって何婚なんですかね」

「さあ?」

「さあ、って……だいたい、わたし元は男ですよ。その辺、気にならないんですか」

「どうして、気にするのです?」

「わたしは気にしてます!」

 案の定、なにも考えていなそうな返事に、和歌子はまいがした。なんなの、この人。本当にノリと勢いだけで生きてませんかね。前世なら、快活とでも表現できたかもしれないが、現代では通用しない、否、通用させてたまるか。

 というより……昨日、武嗣は他の生徒に「片思い中」と答えていたではないか。女けの嘘だったのか。それとも、片思いの相手とは、まさかと思うが前世から――いくらなんでも、それは嫌すぎる。

 現在とは価値観の違う時代で、そういう趣味の男にも寛容だった。だが、義経には理解できない趣味である。女は好きだが、男は嫌いだった。というより、そこそこ容姿が整っているが背丈に恵まれなかったせいで、言い寄ってくるやからが後を絶たず、幼少期からうんざりしていたのだ。周囲にめかけを置いたのも半分男除けだった。

 いまさらそんな……あんまりだ。少なくとも、こちら側にその気はじんもなかった。現在進行形でも、ない。ないわー……ないわー!

「気にする必要が見当たりません。今は、ほら。可愛い女の子ですよ?」

 武嗣は、悪気がなさそうな表情で、和歌子の眼鏡に触れた。不意のことで、和歌子もけられず、あつなく眼鏡が奪われてしまう。

「似合っていませんよ。なら、外しておきましょう」

 和歌子の眼鏡は、全然似合っていない。それは、和歌子も自覚している。

 けれども、これは和歌子にとっての防御壁だ。他人からの視線が怖い。眼鏡の薄いレンズ一枚あるだけでも、気持ちが落ちつく。気休めだが、お守りだった。

「返してください……可愛いとか、そういうの……嬉しい女ばかりじゃないんですよ。決めつけないでもらえますか」

 和歌子がぶっきら棒に言うと、武嗣は渋々眼鏡を返してくれる。レンズに指紋がついてしまったので、ハンカチで念入りにいた。

「それは申し訳ありません」

 低い声で残念そうにつぶやかれると、胸がざわつく。横目で表情を確認したら、犬みたいに目を伏せている。中身は大して変わっていないはずなのに、弁慶の面影が消し飛んでいてやりにくい。前世では、多少キツい言い方をしたって、一ミリも良心は痛まなかったのに、今は罪悪感がわいてしまうのが不思議だ。顔面の威力、ズルすぎない?

 しかし、和歌子は唇をへの字に曲げた。

「あと、何度でも言いますが、敬語やめてください。教師と生徒なのに変じゃないですか。TPOって、知ってますか」

 今だって、校門の前で武嗣と話し込んでいるのが恥ずかしい。はたには、「呼び止められて指導を受けている」ようなシチュエーションだ。実際は、こちらが指導しているのに。

「ほら……いつかやったみたいに、熱演してくださいよ。できるでしょ?」

 義経が追われておうしゆうへ落ち延びる際のできごとだ。関守に、義経の変装が見破られそうになってしまう。機転を利かせた弁慶が、とっさに義経を杖で打ちのめしたことで、役人も納得して通行が許可された。歌舞伎の『かんじんちよう』という演目だ。後世の創作とされているが、似たような状況が実際にあった。

「あのときは、あのときです」

 武嗣はむずかしそうな顔をして、てのひらで「ノー」の意思を示した。そんなにむずかしい要求とは思えない。だって、昨日までは普通に話しかけてくれていたし。納得いかない。

「おはようございます。武嗣先生、和歌子ちゃん」

 おっとりとしたあいさつをされて、和歌子は会話を中断する。

 顔を向けると、吉沢明日華がていねいに頭をさげるところだった。

「明日華ちゃん、おはよう」

「昨日は家まで送ってくれて、ありがとう」

「ううん。いいんだよ、頭あげて?」

 お辞儀をする明日華の前に、和歌子は両手を出す。

 昨日、和歌子は明日華にいた悪鬼をはらった。そのとき、明日華は気絶していたので、なにも覚えていないだろう。

「授業が終わってからの記憶があんまりなくって……和歌子ちゃんと一緒に、電車のった辺りまではわかるんだけど……あたし、また急に倒れたの?」

「あー……」

 あのあと、気絶した明日華を武嗣と一緒に、自宅まで送り届けている。明日華は、改めて武嗣にも「お世話になりました」とお礼を言っていた。

「最近、本当におかしいなぁ」

 明日華は悩ましげにため息をつく。

「病院には行ったんだけど、とくに異常はないんだってさ……和歌子ちゃんのおうちは、神社だったよね。お祓いとかしてもらったほうがいいのかなぁ?」

 明日華に起こった異常は取り除いたので、病院へ行っても意味はない。お祓いも必要なかった。

「もう大丈夫だと思うよ」

 和歌子は笑うが、明日華はまだ不安そうだ。

「でも」

「心配なら、しばらく一緒に帰ろうか」

 そうやって手を差し出すと、明日華はクスリと笑う。

「やっぱり、和歌子ちゃん……かっこいい」

「そうかな……?」

「うん。エスコートっていうんでしょ。こういうの」

「エスコート?」

「サラッとこういうのできて、イケメンだよ。やっぱり、王子様みたい!」

 王子様ではなく、前世はもののふだけど。しかも、崖を馬で駆けおりるタイプの。

 気恥ずかしくなってきた和歌子の手に、明日華が手を重ねた。

「でも、お友達なんだから。なにもなくても、和歌子ちゃんと一緒に帰りたいな。いっぱいお話ししたい」

 明日華は微笑みながら、和歌子の手を両手で包んだ。

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