見える景色

海風りん

見える景色

「たっくん、今日は電車に乗ろうね」

小さな手を握りながら、駅までの道をのんびり歩く。

家を出る前は、ベビーカーに乗せるか少し迷った。

せっかくいい天気だ。抱っこの方が何かと身軽だし、息子もだいぶ歩けるようなった。

眠ってしまったときだけ、抱っこ紐でがんばればいい。

そう思い、二人でのんびり歩いていくことにした。

春。桜の蕾がほころびはじめ、可憐なピンク色と青空のコントラストが眩しい。

「たっくん、お花きれいだね。これからどんどん咲くよ」

のんびり話しかける。

「うん。きれい!」

息子は嬉しそうに、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら歩いていた。

大きくなったなぁ……

何気ない会話ができること。

この喜びが、しみじみと心に広がる。

去年や、一昨年は、こんなではなかった。

新しく誕生した命。やっと授かった息子。

待ちわびた命なのに、いざ自分の腕に抱くと不安しかなかった。

小さな身体。頼りない手足。何もかも柔らかくて、少しの衝撃で壊れてしまいそう……

こんな小さな命を、かけがえのない命を、私なんかが預かっていいのだろうか……

今まで感じたことのないような焦燥感にさいなまれた。

通り過ぎてしまえば、産後のホルモンバランスの変化や、慣れない育児のストレスと、いくらでも説明はできる。

しかし只中にいるときは、今日一日を無事に終えること。それだけに必死だった。


「たっくん、今日乗る電車はね。地面の下を走るからお外はみえないんだよ」

日比谷線上野駅のホームに着き、息子に言った。

ここから夫の実家のある人形町駅まで、10分にもみたない距離だ。

「うん!」

息子はあい変わらず、嬉しそうに頷く。

やれやれ、本当に分かっているのかな?

そんな思いで待っていると、ゴーゴーと音を立てて、銀色の電車がやってきた。

平日、昼間の空いた電車に乗り込み、座席に座る。すると案の定、息子は靴を脱ぎたがった。

「お外みる!」

「お外真っ暗だよ」

「お外みるの!」

こうなると強情だ。

まぁいいや。と靴を脱がせると、息子はくるりと向きを変え、窓に張り付いた。

電車が走りだしても身動ぎもしない。

「何かみえるの?」

窓の外は真っ暗なのに……

「あのね。キラキラ、きれい!」

息子は嬉しそうに言った。

はっとして窓の外をみる。

そうか。確かに真っ暗ではない。

闇を照らすライトの光が、電車の動きにあわせて流れていく。

「そうだね。流れ星みたいだね」

大人だから暗闇を見るのか、子どもだから光をみるのか。

いや。そうではない。

違う人間だから、同じ景色に違うものをみるのだろう。

一人の人間として、大きくなっていく息子。

これから、限りない可能性を持った横顔をみながら、思わずほほ笑みがこぼれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見える景色 海風りん @umikaze_rin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ