これが仕事なんです

岡本紗矢子

第1話

 ――そうか、卒業か――じゃあこれで――だな――もう――


 あれ。

 私は扉に伸ばしかけた手を止めた。困ったな。何か込み入った話をしている?

 私は耳たぶのピアスをいじりながら、少し考えた。場所は間違えてないはず。取材アポのとき、社長は「施設裏手のプレハブにお越しください。そこが事務室です」と言っていた。

 お邪魔はしたくないが、約束時間の5分前だ。遅刻も失礼だろうと判断した私は、思い切って扉をノックした。と、「ああ、はいはい」、あっさり答えが返り、扉が内側から開かれた。年配の男性の、人の好さそうな笑顔が現れる。

「あ、あの」

 意外に反応が早かったので戸惑ってしまい、私はどぎまぎバッグを抱え直した。

「わ、私、森中と申します。本日14時から、社長に取材のお約束を……」

「ああ、森中さんね。私が社長です。どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 意外。社長本人がお出迎えとか。

 事務室とあるのでてっきり何人か詰めていると思ったのだが、中は事務机がひとつと応接セットがあるばかりで、他に人がいる様子はなかった。社長は応接セットに私を座らせ、自らお茶の支度を始める。

「あの、他にスタッフの方は?」

「ああ、ここ裏方は私だけです。表の施設はチケット関係のパートさんとキャストがいるんですけどね」

 社長が私の前にお茶を置いて向かいに座る。私は頭を下げて、とにかく話を進めることにした。

「さっそくですが、本日は取材をお受けいただきありがとうございます。ではまず、御社の概要の確認を兼ねて、取材主旨を」

 社長はにこにこと頷いている。私は話を続けた。

「まず……御社はおよそ30年前、ここで単館のアミューズメント施設として『最恐!お化けの館』、いわゆるお化け屋敷をオープンされたのですよね」

「ええ。おかげさまで堅調で」

「お化け屋敷って、遊園地でならよく見るんです。でもこちらは単館で続けてこられて、しかもリピーターがついて伸びている。当誌では、伸びている中小企業様の紹介記事を連載しておりまして、それで今回、取材に伺わせていただいた次第です」

「嬉しいですね。注目していただいて」

 社長の感触はいい。きちんと話してくれそうな人だ。私は安心して「では最初の質問なのですが」と切り出した。

「まず、『最恐!お化けの館』。リピーターが多いということは、何度も足を運んでいただける工夫をされているということですよね。その工夫についてお聞かせいただけますか」

「工夫ですか。そうですね……やっぱりキャストの努力ですね。うちはコースは固定ですが、お化け役キャストに毎度アドリブを入れてもらって、本気の怖さを演出してるんですよ」

「毎回変化があるからリピーターがつくと。そこのこだわりをもっと具体的に伺ってもいいですか。キャストの方の心がけとか……」

 社長は「えーと」と天井を見つめた。あ、これはキャストの方に質問すべきだったか、と私が他の角度の質問を考えようとしていると、社長はくりっとした目をふいと私の方に向けてきた。

「一回、行ってみます? お化け屋敷」

「え。いいんですか?」

「もちろん。私がしゃべるより体験したほうが早いでしょ」

 私の心が跳ねた。今日は予定としては社長取材と撮影で終わりなのだけれど、実は私はホラー好き。帰りに自費でお化け屋敷を覗こうと思っていたのだから、願ってもない。

 小柄な背中がソファを立つ。私はわくわくしながら「ありがとうございます」と頭を下げた。


**


 社長と一緒にプレハブを出て歩き始めると、日差しが背に降り注いだ。さっき来たときは暖かいを通り越して暑いとすら感じたが、今はそうでもない。桜もまだ開き始めだし、このくらいが普通だよね――と思ったとき、ふと私は最初に聞いた扉越しの会話を思い出した。

「そういえば社長。さっき私が入る前にどなたかと……お邪魔じゃありませんでしたか」

「え? ああ聞こえていましたか。そう、スタッフが退職でね。娘さんの大学卒業を機にリタイアするって」

「ふうん、社会人も出会いと別れの季節ですね」

 雑談しているうちに本館の正面に来た。耳が受付付近で流れされている効果音を捉えた。ひゅ~ドロドロ~、ドンドンドン。看板を見上げれば、血が滴るフォントで書かれた「最恐!お化けの館」に、ろくろっ首とちょうちんおばけ。

 昭和をひきずったレトロ感満載の外観だ。私がうきうきと見とれていると、何事か受付と話しあっていた社長が戻ってきた。

「森中さん、話を通したので入り口からどうぞ。行ってらっしゃい」

 社長に手を振られ、私は係員に会釈してゲートを通り抜けた。

 垂れ幕の奥に入ると、不意に温度が下がった気がした。さっきの効果音も外の明るい光も一刀両断に切り離されて、何も見えない暗がりに私は一人になった。急に別世界に放り込まれたような、不確かな感覚が襲ってくる。

 私は数度深呼吸して、足を踏み出した。コツ、パンプスが小さな音を立てた。

 目が慣れてくると、進んでいる場所が古い旅館を思わせるデザインなのがわかってきた。やがて右手がぼやっと明るくなり、障子に日本髪の女性の影が浮かび上がる。振り乱した髪に耳まで裂けた口。うん、レトロ。

 チラ見でやり過ごして進むと次の垂れ幕があり、くぐると日本庭園風の場所に出た。お約束の古井戸から何かがでろんと出てきたが、こちとらテレビからはい出る怖い幽霊を見慣れているので何とも思わない。私はそいつに手を振って通り過ぎる。淡く光る火の玉がふたつふよふよと寄ってきたが、これも手で払った。

 その先は刑場エリア、2階に上がって廃校エリア。時々何か出るけど、演出的にはありきたりで拍子抜けだった。下に向かう階段が現れたので、私はそのまま進んで1階に降りた。

 降りたところは真っ暗で何もない、ただの通路だった。ああ、もう最終ストレートかな。このまま出口かも。

 私は進んだ。コツコツ、パンプスの音だけが響いた。

 コツコツコツ――

 ふと私は立ち止った。なぜか冷気を感じた。寒くはない、と思うのに、足先からざわざわと鳥肌が立つ気がした。

 何か仕掛けが動く? いや、でも何もない。

 私は再び足を踏み出した。

 進めばおさまると思った鳥肌は、どういうわけか歩けば歩くほど広がった。得体のしれないざわざわ感が襲ってくる。どうしてだ、何もないのに。いや、何もないから不気味なのか。この通路、これが終われば。

 終わり?

 私は目を凝らした。さっきからまっすぐ歩いているのだが、いくらなんでも建物の奥行に対して長すぎやしないか。しかもいっこうに先は見えない。はっとして来たほうを振り向いた。そちらも闇しかない。階段は――?

 初めてはっきり恐怖を感じた。走りにくいパンプスで、私は走り始めた。コツコツコツ、カツカツカツ。終わり、終わり。終わりはどこ。

 終わりは――!?

「だ」

 声が漏れた。

「誰か。誰かいませんか!?」

 

――いるよ。


 耳元を声がかすめた。


「え……どこ……」


――ずっと、いるよ。


 ふと私は気が付いた。鳥肌が全身を覆っているのは、得体のしれない怖さのせいだけじゃない。冷たさが張り付いているのだ。背中全部に。


「あ……見つかっちゃった?」


 はっきり声が聞こえた――と思った瞬間、私は自分の首の横から垂れる白い長い腕と、腕に絡んで流れる長い髪を見たように思った。

 限界だった。私は全速力で走りだした。走って、走って、走って――そして光の中に投げ出された。


**


「お疲れ様、森中さん。どうです? 怖かったでしょ」

 走り出た先はゴールで、そこに社長がにっこりしていた。

 暖かい日差しと春色の空気の匂いに一気に包まれる。一気にすべて溶かされたみたいになって、私はへたへたと座り込んだ。

「……出られないかと思いました……」

「ああ、無間地獄的な演出されました? それね、退職するスタッフの得意技でして」

「えっ? 今の、事務室にいらした方の演出なんですか?」

「そうそう。ずっとあなたが背負って――あ、いや、いないか。出る直前に離れたんですね」

 日本語ではない言語を聞いた。そんな気がして、私は社長を見つめた。

「今、なんとおっしゃいました……?」

「だから、あなたがずっと背負っていたと……ああ、あのね、うちのキャスト本物なんですよ。本物の幽霊」

 私は漫画のように口を開けて固まらざるを得なかった。

「な、なんで……え、本当なんですか……どうしてそんな……まさか社長……」

「いやいや、私はちゃんと生きてますよ。詳しくお話ししますとね、」

 社長が話し始める。私は仕事根性で、とっさにICレコーダーをオンにした。

 創業して間もない頃、一人の幽霊が「私を雇ってくれ」と社長を訪ねてきたのだという。いわく、若くして事故で落命してしまったが、妻子をそれでも養いたいと。私はここでなら役に立てる、どうか私の給料を妻子に振り込んでくれないか――。

「ほら、日本には『子育て幽霊』の話もあるでしょ。お母さんが飴を買って赤ちゃんを育てていたという、あれ。うちで現代の子育て幽霊を手助けしてもいいと思いましてね、雇ったんです。今じゃスタッフは常時20人、リピーターさんが飽きないようにあの手この手してくれてます。だいたいは、お子さんが就職されると次の世界に旅立って行かれるんですけれど」

 社長の顔は、心なしか誇らしげな笑みに彩られていた。

「お、驚きました。今までにない新しい――」

「そうですよ。企業の社会貢献活動って、いま注目されてますでしょ。私のこれも、まあ給料払ってるだけなんですが、ようは子どもを助けたいからしていることなんです。私は子どもさんはみんな豊かに育つべきだと思うから、お化け屋敷で楽しんでもらうし、死後も働きたい親御さんには場所を作る。それで子どもの未来をも支えるわけです。そういうことです」


 私は饒舌にしゃべり続ける社長に頷きながら、感動する一方で頭を悩ませていた。

 すごく、いいお話なんだけどさ。これ、どうやって記事化したらいいんだろう?

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