13  掛軸、見な

「このところ、この辺りじゃ『溝出みぞいだし』が出るってもっぱらの噂だ」


 そうさんが桐箱きりばこしば組紐くみひもきながら言う。


「溝出ってのはね……」

粗末そまつな扱いを受け、海に捨てられた亡骸なきがらが、命日めいにちになるとうらみで生者せいじゃを海に引き込むってものだ。


 それが、命日でもないのに何かが海に人間を引きこんでる気配がある。だから調査した。

「で、判ったのは、満月城の夜行やぎょうさんが出始めたのと時を同じく、現れたってことだ」


 馬と化した侍女じじょの首を切り落とした若武者わかむしゃが関係していると隼人は考え、若武者が海に引き込まれた場所はここだと突き止めた。


「今まで俺たちがしてきたのは、ここで姫さんと若武者を再開させるための準備なんだ ―― おぅ、隼人、いつでもいいぞ」

奏さんは紐を解き終わり、桐箱から掛軸かけじくを取り出してかかえている。

「うん、合図したら掛軸を開いてね」

隼人はそう言うと、海を見詰めながら両腕を前に伸ばした。


≪ 太陽神ホルスが海に命じる。とらえし若武者を開放せよ ≫


 脳裏のうりに隼人の声が響く。いつになく重い声は耳から聞こえるものじゃない。きっと人間には聞こえないはずだ。海岸にいる誰もが、もし隼人を見ても何も感じないはずだ。腕を伸ばして海の息吹を感じている、せいぜい、そう思うくらいだ。


 しばらくすると、波打ち際で何かがうごめくのが見えた。泡立つ波の間から何かがゆっくりと昇るように姿を現す。鎧兜よろいかぶと姿すがた……若武者だ。


「奏ちゃん、掛軸を――」

黙ったまま奏さんが腕をもたげ、掛軸がするすると伸ばされていく。見るとそこには花嫁が描かれている。


 花嫁の絵は、かすみのように消えていき、隼人の隣に薄ぼんやりと光りながら姿を現す。


≪ おのれ、が侍女をよくも、よくも……≫

この声も耳に聞こえるものではない。若武者はかぶとを外し、姫君を見詰める。だが、なにも言わない。


 隼人がフッと腕を払い、一本の風切り羽を宙から取り出した。そしてそれを姫君に渡すと、一振ひとふりのかたなに変わった。


≪ おのれ、おのれ!≫

 刀を構え、姫が若武者に向かってけていく。若武者は微動びどうだにしない。優しい眼差しで姫を見つめ続けるだけだ。


≪ おのれ!≫

ついに姫は若武者に辿たどり着く。若武者にやいばが突き立てられる、その間際まぎわ ――


 姫は手にした刃を自分の首に向ける。微動だにしなかった若武者が

≪ いけない!≫

と叫び、慌ててそれを止めようとする。姫の首に刃が触れた ――


 その瞬間、刀はかすみと化し、霞はあの侍女の姿へと変わり、姫のかたわらにひざまずいた。そして、ゆっくりと馬の姿に変わっていく。


≪ わたくしがお二人をお連れしましょう。わたくしの願いはお二人がう事、それだけなのです ≫


 馬がいななき、若武者と姫が見詰めあう。若武者が馬のくらに手を掛けその背に乗り、姫の手を取り引き上げる。見詰めあい、いだきあう若武者と姫を乗せ、馬がひづめを響かせる。そして朝の光と同化していく……


「終わったな……」

奏さんがぽつりと言った。


 隼人はゆっくり振り返ると、奏さんが手にした掛軸を見る。花嫁が描かれた掛軸は、多分 元通りなのだろう。白打掛の花嫁が描かれたままだ。


「もういいよ、奏ちゃん。その掛軸も雲大寺の住職に頼んで」

力なくそう言う隼人に奏さんがうなずいて掛軸を巻き始める。


 ふう、と溜息ためいきいて隼人が僕を見た。オッドアイがきらりと光る。


「バンちゃん! おなかいた。なんでボクに何にも食べさせないんだよっ!」

「判った、すぐに何か食べよう。怒るなよ」


「それにサングラス! このままじゃ物珍し気に見られるだろ? 僕を見せ物にしたいのかよっ!」

「ほい、隼人。預かっといたよ」

横から満がサングラスを渡す。


「なんでミチルなんだよ? バンちゃんがしっかりしてくれなきゃボクが困るんだ!」

サングラスを掛けながら、隼人はプンプン怒り続ける。満と僕は顔を見合わせ苦笑する。


 海岸から、車をめた駐車場まで、隼人はずっと僕に文句を言い続け、奏さんは僕らの後ろでニコニコしながら付いてくる。


 朔と満は全権を託され、コンビニに走っていった。もっとも隼人は食べ物を選り好みしない。嫌いなものさえ買って来なけりゃ文句は言わない。あとは『隼人にはない』という状況を作らなければいい。


「何にもなかった」

 朔たちが買ってきたのは菓子パンだった。もちろん飲み物は、隼人にコーヒー牛乳、満には微糖、奏さん、朔、僕はブラックコーヒー。


 奏さんはソーセージを巻き込んだパン、朔はカレーパン、満はメロンパン、僕はピーナツクリームを挟み込んだパンを食べ、隼人はその全部を食べた。


「バンちゃんっ! なんでボクに4つも食べさせるんだっ! お陰で食べ過ぎたじゃんかっ! お腹が苦しいっ!」

だから、買ってきたのは朔と満で……


「寝るっ!」

 相変わらず隼人はご機嫌きげんななめらしい。


「食べ終わったか? それじゃ行くぞ」

と、奏さんがエンジンを掛ける。そして

「片倉に寄るか?」

と隼人に聞いた。


「うん、奏ちゃん、お願い。見届けてから帰る」

「おう、判った」


 車が走り始めると、ふわっとした感触の後、隼人が僕に寄りかかった。

「ねぇ、バンちゃん……」

そしてほかの誰にも聞こえないよう、ボクの耳元でそっと呟いた。

「うん、そうだね……判った、家に帰ったらね」

そっとそう答えると、隼人は安心したのか、僕の背中に顔を埋めて眠り始めた。


 僕は結局隼人の願いを拒めない。いつも許してしまう。そう、いつも……隼人の願いが何なのか、それは僕と隼人、二人だけの秘密だ。


 朝比奈あさひなインターから横浜横須賀道路に入り、保土ヶ谷バイパス、国道16号を使って八王子に向かった。


「あの片倉の洋館、あの出窓のある部屋は、病弱な少女が住んでいたんだ」


奏さんが誰にともなく話し始める。


 少女は寝たり起きたり……それでも大好きな絵を描くのを楽しみにしていた。


 彼女が描くのは水彩画だったが、油彩も描いてみたいと思っていた。それを知った幼馴染の少年が少女に油彩の道具を送った。少女は少年にモデルになって欲しいと言った。最初に描く油彩はキミを描きたい。


 少年は喜んでそれを承知した。少年と少女は、お互い淡い恋心を抱いていた。初恋だろう。


 ところがそれ以来、少年が少女の部屋に来ることがなくなった。少女は毎日少年を待って、なにも描けないキャンバスを見詰めていた。


 どんなに待っても少年は来ない。少年は、交通事故で命を落としていた。少女の周囲は少女の嘆きを案じて、その事実を少女に告げられなかった。何年も少女は少年を待ったそうだ。そしてとうとう少女もこの世を去った。


「あの掛軸は、少女が気に入って自分の部屋に掛けていた。洋館には不似合いな、古風な日本画だったが、少女は花嫁に憧れていたんだろうな」


 掛軸は、少年と少女のやり取りを、そして少女が少年を待ち続けるのを、ずっとあの壁から見ていたんだ。


「姫君と若武者、そして侍女の物語は、隼人が掛軸から聞いた話だよ」


「紅実那さんって、掛軸の花嫁だったの?」

満が遠慮がちに奏さんに訊く。


「それが……隼人ははっきり言わないんだが、多分違うと俺は思うよ」


 その部屋で少年を待ち続けた少女だ、と僕は思った。隼人は少年に成り代わって少女のモデルを務めたんだ。僕はそう思った。


「それにしても、最初に紅実那さんの名前を聞いた時は笑いそうになったよ」

奏さんが言うと、朔がプッと吹き出した。

掛地かけじ紅実那くみななんて、隼人らしいよ」


 かけじくみな……掛軸、見な――隼人、もう少し何とかならなかったのか?


 隼人はすやすや眠っている。やっと肩の荷が降りたんだろう――



<完>

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彼女の恋人    ≪ この探偵は「ち」を愛でる 2 ≫ 寄賀あける @akeru_yoga

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