【KAC20225】誰もが傷ついた子どもだった

肥前ロンズ

誰もが傷ついた子どもだった

 現在、私の祖母は88歳である。

 そして母は、49歳で死んだ。くも膜下出血だった。

 当時私は14歳で、反抗期のただ中だったが、多分この世の誰よりも母を愛していた。多分、と言うのは、愛情と言うのは私の中では食べること寝ることと同義であり、それを特別だとは思わないからだ。つくづく恵まれていた、と母の死を懐かしむようになった今なら思う。

 だから大学進学して、引っ越し先が見つからなかった時、祖母が「一緒に住もう」と誘ってきた時には躊躇った。

 母は、生まれた時から祖母に傷つけられていたからだ。




 私から見て、母は人格者だった。私は母から人の悪口を聞いたことがない。それは祖母も同様だ。そして祖母は、私を可愛がってくれる優しい人だった。

 だが、母が祖母の家へ行く時、ふとバックミラーを見ると、氷のように固まった母の表情が見えた。子供が叱られることを怯えるような、あるいは理不尽に、向けて怒りを堪えるような表情だった。それは一度や二度ではなく、私はその度に母が今怒っているんじゃないかと不安になり、何時も尋ねていた。すると母は、やんわりと笑って、「頭が痛いだけだよ」と答えた。

 母は偏頭痛持ちだった。母は、最期の時もその延長だと思っていたのだろう。

 祖母が母に向けて、酷く罵っていたのを聞いたわけではない。ただ、電話先で祖母が「お母さんに代わって」と私に言い、私が「お母さん、おばあちゃんが代わってって」と言うと、母は必ず自室に閉じこもった。それが随分長電話だった。1時間なんてものじゃない。夕食の支度が遅れたりすることもあったが、子どもの私は、祖母の長電話が当たり前のものだと思い、隔てた扉や壁から漏れてくる、くぐもった声しか聴こえなかった。


 どうしてその後の長電話で、母の疲れきり、寝込む姿に、疑問に思わなかったのか。


 それを後悔したのは、遺品整理をした時。母の本棚には、親子に関する資料がずらりと並んでいた。

 幼児心理学の論文から虐待の記事、そして毒親とアダルトチルドレンの本。赤いボールペン、黄色い蛍光色、ピンクのふせん。沢山の線が引かれ、書き込みがされていた。本や論文、記事の端はよろよろになり、あるいは少し破れていた。

 それらの資料は、幼い頃感じた違和感も含まれていた。そして、それらの中に、私が知らない母の幼少期の傷があることは容易に想像できた。

 悲痛な叫びだった。誰にも届かない、心を引き裂かれるような抗議。

 味わったことがない私が、そう思えるほどには。


 くも膜下出血が起きる原因は、未だ判明されていない。だが、ストレスにより血管が傷つくことが指摘されている。いや、母が抱えていた偏頭痛も、恐らくは祖母に起因するストレスだったのだろう。

 私は困惑した。




 結局その後、祖母は自分の家を売り払い、高齢者専用住宅に住むことになった。

 一応、血縁者として祖母のところへ行くこともあったが、大学や仕事が忙しくなるほどにどんどん通う回数も減っていった。祖母がスマホに買い替えた時、SNSの使い方を教えたりもしたが、電話ならまだしも、文字を打ち込んで送信する、というのを理解しなかった祖母は、私に連絡を取る回数も減った。私が電話を取るほど暇ではなかった、とも言うし、取る気が起きなくなった、とも言う。

 ただ、通帳を開けると、50万円ほどのお金が支払われることが度々あった。


 どうしてこの人は、ちっとも連絡をよこさない孫にはこれだけ尽くしてくれるのに、娘にはあんなにもひどい目に遭わせたのだろう。


 困惑が徐々に、怒りに変わった瞬間だった。







 祖母が認知症になり始めたのは、80を超えてからだ。

 認知症によって、祖母が殴ったり、声を荒げたりする、という話は聞かなかった。だが誰かさんは私をいじめる、という愚痴で他人を拘束し、更には「だからあなたはダメなのよ」「あなたのせいで私は傷ついた」と、とにかく被害者ぶって人格を否定し始めると言う。どうやら特定の女性職員さんを捕まえているようで、それが母の代わりであることには容易に想像できた。

 職員さんに申し訳なかった。そして怒りは濁った色に変わっていく。


 せめて、孫である私にすればいいのに。

 そうしたら祖母の主張すべてを否定して、全部母が隠していた想いをぶちまけ、祖母の心をぎたぎたに刻み込んでやるのに。


 それが極端な思考で、良いこととは思わなかったから、実行しなかった。

 祖母が憎いわけではない。けれど自分の半生で育った常識や良心が、祖母のあり方を許せなかった。祖母が痛みつけなければ、母は頭痛で寝込むことも、薬を飲む必要もなかっただろう。もしかしたら、死ぬこともなかったかもしれない。

 だが一番後悔していることは、祖母に言われるがままに、電話を渡していたことだ。祖母に従わず、私が、「お母さん、長電話に疲れているって」って一度でも言えたらよかった。母の頭痛にも、疲れている事に疑問にも思わなかった自分が、一番悔しかった。

 呑気に甘え生きていた私が一番、母の優しさを搾取していたのだろうか?

 この怒りは、母を想う義憤ではなく、それを認めたくない自己弁護、祖母への八つ当たりなのだろうか?









 そんな行き場所のない怒りとそれに対する罪悪感は、ある時終わりを迎える。

 私の前で、祖母が泣きだしたのだ。



 ――ここから出たくない、何で出ないといけないの、日本なんか行きたくない。どうして捨てないといけないの。捨てたくない、捨てないで‼



 それは恐らく、祖母の11,12歳のころの思い出だ。祖母は台湾からの引き揚げであり、そして日本へ帰って来た。私が知っているのは、それだけだ。

 祖母が台湾にいた頃を話すことはなく、母が少しだけ話していた。




 ――殴らないで。バカって言わないで。何でいじめられなきゃいけないの。日本なんて嫌い、大嫌い。

 ――伯父さん嫌い。酒飲んでて、何言ってるのかわからない。……やめて。来ないで、嫌!

 ――本当は大学に進学したかった。何で兄さんだけなの。私ばっかり。お父さんもお母さんも、大切なのは兄さんだけで、私のことなんてどうでもいいんだ。


 ――私の人生、何もいいことない。



 それは甘えだった。自分の不幸を、誰かに押し付けなければならない子どもだった。

 だけど私にとっては、誰かに聞き届けて貰って当然の訴えだった。



 ……私は台湾から引き揚げてきた人々が、全財産を没収され、日本へ戻って来たことを知らなかった。船はすし詰め状態で、わずかな現金と荷物と、布団袋だけが許されたという。

 日本についても、職を失い、財産も失い、住む場所も失い、友達関係もなく、社会から取り残される。

 かつて居た土地を追われ、見知らぬ土地で、同じ民族だと言う子どもたちに殴られ、バカにされて、殴られて当然だと言われて、酔っぱらった男に身体をまさぐられて、お金がないから諦めなくちゃいけないことをいくつも経験した。

 そしてその傷は、誰にも癒されることもなかった。祖母もきっと、傷つけられたことを、今まで黙っていた。

 傷ついたことを認めるのが恥ずかしかったのか。もしくは罪悪だと思っていたのか。

 だがひょっとしたら、


 戦後、きっと大人たちは生きるのに必死だった。そして子どもたちも必死だった。命の方が大事で、日々を生きるのに精いっぱいで、そんな時に心の傷なんて構っていられない。

 だけど、その傷はなくなったわけじゃない。そのツケが十年後、二十年後に膨れ上がっていく。わけがわからないまま傷つけられ、手に入らなかった幸福な子ども時代を、祖母は母で取り戻そうとしたのかもしれない。


 それとも傷ついたことに気づかないまま、半狂乱で武器を振り回し、周囲を傷つけなければならなかったのか。


 戦時中殺された、殺した、痛みつけられた、破壊された、死んだ、犯された、病にかかったことがピックアップされても、その後に続く、十年、二十年後の日常の影に光を当てることはないのだろう。過去は遠くなれば現実味を失い、現在に根を下ろす問題の因果関係として認められなくなる。

 そうして収拾がつかなくなって断ち切ろうとした時、今ちょうどよく辿れる人を黒幕だと見なすのだ。そうでなくては、話が綺麗に纏まらない。

 祖母が傷ついたことも、母が傷ついたことも。被害者から見たら、当然の報い、当然の罰なのだろうか。そうかもしれない。加害者の傷の話をしたところで、「だから何だと言うのだ」と、「こんなものじゃ足りない」と、憎悪の薪になる。

 でも。


 ロビーの机に、数珠玉で詰めた、四角い形をした花柄のお手玉が転がっていた。祖母はそれを手に取って、しわくちゃになった目や口をほころばせる。動かなくなった指で、布や、中に詰まっているものの感触を確かめる。

 それは間違いなく、祖母の子ども時代のひとかけらであり、今の彼女を作るものだった。



 祖母は戦争で傷ついた。母は祖母に傷つけられた。

 だが祖母は、自分が傷ついていたことを知らなかった。あの部屋の片隅で言葉を探し続けた母は、そのことに気づいていたから、自分で癒そうとし、私に残さなかった。

 そして私は、母の死で自分が傷ついていたことに、ようやく気付いた。

 心の内にいた14歳の私は今、泣きわめきながら振り下ろしていた凶器を下ろす。からんと、金属の音が頭の中で響いた。



 きっと自分は、傷ついた子どもだった。

 すべての人が各々に気づけば、今振り下ろそうとする凶器を、静かに下ろし、手放すことが出来るのだろうか。

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